前世紀遺跡探訪<80s-バブル終焉>

80年代~バブル文化圏終焉(実質的なバブル崩壊は91年だが、バブルの延長的な空気が即終了したわけではないので90年代前半までとりあえずバブル文化圏と仮定しとく)の音楽や音楽をとりまく事象について、あれこれと。

光GENJI - ガラスの十代(1987)

ショタコンという言葉がある。
簡単に言っちゃうと「少年嗜好」だ。
「少年が好きな人」「少年に萌える人」「少年にハァハァする人(性的な意味で)」と説明すれば、真っ当な皆さんにも通じるだろうか。
真っ当に生きてる皆さんには全く関係のない言葉だ。
わたしは決して真っ当に生きてるとは言い難い人間だが、とりあえず少年嗜好というメーターはゼロなのでわたしにも関係のない言葉だ。
実は「どこまでショタの対象となるか」の定義は曖昧らしい。毛が生えたらもうショタではないという説(生々しいなあ)、半ズボンが似合ってるうちはショタだ説、いや中学生までOKだ説、童顔なら高校生でもOKだ説、社会人でも童顔なら合法ショタだ説。
というわけで、何歳から何歳までの少年をショタの対象と定義するかはけっこう難しいようだが、大人の女性がジャニーズジュニアなどに入れあげたりする現象には、ファンの方には非常に申し訳ないが、かなりショタコン臭が漂う。性的な意味合いを一切含まず、「可愛いから応援したい」くらいのライトな動機であっても、である。

実はショタというのはコミケなどに代表される同人誌界(ハイ、また真っ当に生きてる皆さんには一生関係ない単語が出ました〜)では、圧倒的に男性向け市場なのである。描き手側も買い手側も圧倒的に男性。ショタ専門イベントの男女比は8:2とも9:1とも95:5とも言われる。 なんでショタ好きはそんなに男が多いのか。
一説では「男性性からの逃避」だと言われているらしい。
やおいやBL(ボーイズ・ラブ。簡単にいうと女性が描いて女性が読むホモ漫画・小説)は、女性による女性性からの逃避」説の逆バージョンですね。
が、わたしは「ショタコンに男が多い」のは、「ルーツは衆道じゃないか」と思ってる。衆道つうか稚児遊び(幼い男の子を性的対象として愛でる)ね。稚児遊びは日本では伝統的に男性の愉しみなんである。古くは奈良時代平安時代から既にそーゆーのはあった。いやマジだって。今昔物語集宇治拾遺物語とかにも出てんだよ、文句はそっちに言え。戦国時代には武士道と結びついて広まり、江戸時代にはかなりポピュラーな遊びとなり、陰間茶屋(美少年専門売春宿)なんてーのも普通にあった。あ、陰間のお客は男ですよ、もちろん。陰間の美少年が女性客を相手にするのは20歳を過ぎてから。江戸時代は成人してない男性は、一般的には女性の性的対象じゃなかったわけです。

つまり、「大人の女性が幼い男の子を愛でる」「大人の女性が10代の男の子に熱い視線を送る」というのがポピュラーになったのは比較的最近の現象なのだ。昭和に入ってからというか、「ジャニーズ系」という概念が世の中に浸透してからの現象。少なくとも江戸時代や明治時代にはそういう現象はない。歌舞伎の女形を女性が愛でるというのは昔からあるが、それはショタとは違うし。江戸時代の春画や「好色一代男」などに大人の女が少年に性的イタズラするというのもあるにはあるけどね。なんかどうもこれらは「少年萌え」とは違うような印象があるんだよなあ。じゃあ「マダムとツバメの関係」はどうなんだと文句が来そうなんで、一応説明しとくが、「年上の女性に愛される年下の若い男」を「ツバメ」というが、これは1912年の平塚らいてうと、年下男性・奥村博史の関係に由来する言葉だ。が、当時らいてうは26歳、奥村は21歳。5歳しか離れてなかった上に、成人した大人同士の関係だったので、これをショタと結び付けて考えては無理がある。


おそらく、だが。
「大人の女性が10代の少年に熱い視線を送る」という現象がポピュラーになったのは光GENJI以降だと思う。
それ以前のジャニーズのアイドルというのは、アイドル本人もファン側も、同世代だった。同世代でないとしても年齢的に近い存在。需要側も供給側もコドモ。80年代中盤までのジャニーズアイドルというのは、社会人になった大人の女性は消費対象としていなかった。
大人の女性が10代の少年にきゃあきゃあ言うようになったのは光GENJIが最初だ。少なくとも私が知る限りでは。
「いや、それ以前からあった現象だ」というご意見をお持ちの方もいらっしゃるかもしれないな。私が知らないだけで少年隊やシブがき隊にも大人の女性のファンがたくさん居たのかもしれないし。では、私のようなジャニーズ門外漢でさえ「大人の女性が10代の少年に熱狂するという現象」を知り得るくらい絶大な人気を誇ったのは光GENJIが最初だと言い直す。


光GENJIの人気は圧倒的だった。小学生から社会人まで熱狂した。おそらくジャニーズ史上最大瞬間風速といえるのではないか。いろんなタイプの少年を7人も用意し(どの子を選ぶかという楽しみが従来より広がった)、骨折してもバック転をこなす、松葉杖ついてステージをやるなど、体を張ったパフォーマンスを繰り広げた。たしか「コンサートは1日3回公演」などの無茶ぶりもしてたような記憶があるなあ。ローラースケートで歌い踊るというのも斬新だったが、何よりローラースケートは短足隠しに有効だった。疾走感があって刹那的。まさにアイドル中のアイドル。

「ジャニーズ系」という言葉が世間に浸透したのも、おそらく光GENJIからだろう。少年隊全盛のころはジャニーズ系という言葉は無かった。
ジャニーズ系とは、一般的にはかっこ可愛い系の線の細い少年・青年を指す。身長は170cm前後。あまり大柄だとジャニーズ系とは言われない。
「あの子ジャニタレなの?でもあまりジャニーズ系っぽくないね」などと、特にジャニオタでない一般人が日常会話で普通に使っている。
そして、「ジャニーズ系っぽい」という言い回しに誰も異論を唱えない。これは「ジャニーズ事務所所属の男性タレントには、ある種の共通する特徴・要素がある」と、日本在住の一般人全員が共通認識として持っているということなのだ。
ようするに「いかにもジャニーズにいそうなタイプ」=「ジャニーさんの御眼鏡にかなった男の子っぽいタイプ」=「ジャニーさん好みのタイプ」である。
「ジャニーさん」という個人の性的嗜好が、既に日本在住の一般人の共通認識として成立してるのだ。これは凄いことですよアナタ。
普通ないでしょ、そんなこと。
ジャニーズ事務所の影響力というか洗脳力が凄いというか、異様なものもごく自然に「そこにあるもの」として受け止める日本人の感覚が凄いというか。


で、これ言っていいものかどうかちょっと悩んだが、まあいいや。言っちゃおう。
ジャニーズ事務所に常についてまわるホモセクハラの噂。これな、どこまで事実か一般人には確かめようもないし、確かめようとも思わないのだが。そして正義感や義侠心からそれを糾弾しようとも特に思わない(どこまで事実なのか藪の中なのに糾弾できるか)し、面白がって好奇心から「誰がセクハラ被害にあったの〜?」などと首突っ込む気も全くないのだが。擁護する気もなけりゃ、推奨する気もないのだが。
ジャニーズという芸能事務所と、そこの所属タレントに常にまとわり付いている「そういう雰囲気」は、ショタというか「衆道」の流れを汲んでいるように思う。元服前の少年と年長者の関係であることと、それに主従関係が付随していること、社会(この場合芸能界)でのしきたりや礼儀作法を教えるという側面も含んでいることなど。
重ねて言うが、糾弾も擁護もしない。噂の真偽もどうでもいい。ただ「そういう雰囲気」から「そういうルーツ」を感じる、ということを言いたかっただけだ。そして「それについては異様だな」と思ってると言いたい。何が異様かって、「そういう雰囲気」までもが、ごく普通に日本在住の一般人の共通認識として成立してる状況がだ。

さっきも書いたが、ショタ(稚児)というのは衆道の昔から、男の愉しみだ。
ジャニーズ事務所の一番の功罪は、その男の愉しみを、日本の一般女性にまで広めたことである。
日本の一般女性はジャニーズ事務所によって「少年の鑑賞の仕方」「少年の愉しみ方」を教えられたのだと思う。
だって、ジャニーズ以前は「大人の女性の少年嗜好」が存在しないわけだからさ。江戸時代でも明治時代でも大正時代でも戦前でも。
実にとんでもないことだ。
いや、糾弾も批判も擁護も推奨もしないが。
「ただそこにある事実」として単純にすげえな、と思うよ。

光GENJI - ガラスの十代(1987)


で、その発端となったのが光GENJIなわけだが、ブログに張ろうと思ってyoutube光GENJI動画見てたら、眩暈がした。
なぜ、脱ぐ。
なんでこんなに脱ぎまくっているんだ光GENJIは。
こんなに脱いでるジャニタレがかつて他に居たであろうか。
いや、今も昔もTV番組でここまで脱いで歌ってるのはそうそう居ないだろう。
これさあ、こんだけ脱ぎまくってて「性的存在ではない」つうの無理だよ。
ジャニーさんとオトコの趣味が合ったことが一度もない私でさえ、光GENJIは性的な存在だと思わされる何かがあるよ。自分で書いてて気持ち悪いが。


でさー。光GENJIがなぜあんなに脱いだのか調べようと(例えば当時のジャニ以外の「少年の性の露骨な商品化」の状況はどうだったかとか)ネットで検索したら、「ブリチラ」って言葉が出てきてさあ。
皆さん知ってました?
ブリチラ。わたしは今日初めて知りました。


ブリチラ - Wikipedia
1980年代中頃より当時の芸能月刊誌である「明星」や「平凡」などで、アイドルの低年齢化が進むと共に、それまで男性アイドルの私生活の公開がタブーとされていた中で、男性アイドルの紹介記事に下着の種類や色にまで言及する記事が掲載されるようになるなど、下着の露出に対する社会的許容度は増していた。1987年に当時の人気絶頂の男性アイドルグループであった光GENJIの2枚目のシングル「ガラスの十代」や4枚目のシングル「Diamondハリケーン」で、メンバーが短パンだけの半裸で激しく歌い踊る姿が若い十代の女性を虜にして大ヒットした。その中で激しく踊るメンバーの短パンの裾から下着(ブリーフ)が見えたとファンの目撃情報が当時のアイドル雑誌に投稿されたりするようになり、若い女性が男性下着に関心が向かうようになっていた。豪華な衣装を纏ったアイドルであっても、下着は世間一般の少年と変わりが無いことが余計にアイドルとの親近感を抱かせたこととなり、ブリチラが注目された。


うっわー………
結局脱いでた理由はわからなかったが、性的存在という認識は外れてはいないということはとりあえずわかった。
 
 
 

 

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