前世紀遺跡探訪<80s-バブル終焉>

80年代~バブル文化圏終焉(実質的なバブル崩壊は91年だが、バブルの延長的な空気が即終了したわけではないので90年代前半までとりあえずバブル文化圏と仮定しとく)の音楽や音楽をとりまく事象について、あれこれと。

島田奈美 - SUN SHOWER (1991) Larry Levan Mix

1ヶ月くらい前か、Twitterでリストをチェックしてたら、興味深いツイートがRTされていた。
とある、愛されスイーツ女子(の中ではかなり賢いほうだお☆というアピールのひと)のツイート各種と、それを批判するフェミのひとのツイート。
いや、面白かったっすよ、すごく。どっちのツイートも。
こういうのって出典や発言者名を明記するべきなんすかね。Twitterからの引用とか著作権とか、どう扱うのが正解なんだろ。とりあえず、そのまんま引用はせず概要だけ表記しますが。
(こういうやり方が著作権的にまずければ、また対処を考えます。発言者の引用許可を取るとか。OKもらえるかどうか微妙だけど。)
 
「愛され☆スイーツ女子の中ではかなり賢いほうだとアピールしているひと」のご発言が、なんか、いちいちフェミなひとの癇に障るらしいんですわ。んで、それらスイーツ発言を「爆弾」「呪い」と揶揄しておられる。いや、何がそんなに癇に障るのか、女子界の規格外だった自分としては、わかりすぎるくらいわかるのですが。しかし、このスイーツな人の発言がいちいち面白すぎてさー。腹立ててる暇がなかった。面白すぎてっつうと語弊があるか。
ようするに、自分は男子の幻想の投影装置でいたいという趣旨の発言なのよ、大半が。
女子というのは男子の幻想を体現してこそ、女子たりうるのだという内容。
たとえば、この方は
「性的存在として承認されなければならないという思いが強いが、ビッチにはなりたくない」
などと仰られてましてね。
思わず膝を打ちました。
それはつまり「アイドルでいたい」ということっすね。
「性的存在であるがビッチではいけない」ってまさにアイドルのことだもん。
アイドルグラビアできわどい水着などを披露するオカズ的存在なのに、一応清純派を装わなければ男子の幻想を投影できないので絶対にオトコの影(不純異性交遊)をチラつかせてはいけないという矛盾した存在。実態が元ヤンだろうとヤリマンだろうと、とりあえず清純派を装うことで成立する、ある種の幻想射精産業。
女性アイドルというのは、「男子の、異性に対する幻想の集大成」であり、それを3次元に実体化して商品化したものなのである。
 

「幻想射精産業的な部分での女性アイドル」が男子から求められてるのは今も昔も変わらない。
山口百恵からAKB48に至るまで、アイドルのイメージ戦略の1つ、というより最重要項目として「幻想射精産業的要素」は一貫して存在してる。
80年代において特筆すべきアイドルビジネスの1つに、あからさまに「幻想射精産業的な部分での女性アイドル」に特化した雑誌が多数刊行されたことがあげられる。
明星や平凡から、水着グラビアと男子エロ妄想だけを取り出し、拡大再生産させたような女性アイドル専門グラビア雑誌が次々と出版された。
バラエティ、Momoco、ORE、DUNK、BOMB、GORO、SUGAR、投稿写真、アクションカメラ。
上記の雑誌は左側に行き次第アイドル色が濃く、右側に行き次第エロ度・B級度が濃くなるという認識。個人的には。
バラエティは角川の機関紙、DUNKはおニャン子クラブの機関紙でしたね。
事実誤認があったらご指摘ください。
あ、これら幻想射精産業的アイドルグラビア雑誌についてより詳細をご存知の方がいらしたら、ご教授いただけるとありがたいです。もっといろんなアイドルグラビア誌があったように思うんだが、さすがにきっちり把握してないので。
 

Momoco、BOMBは学研から発行されていたアイドルグラビア誌(若干エロ有り)である。
80年代には教科書・参考書からアイドルエロまで、実に手広くやっていたのだ学研さんは。
Momocoはもう無いがBOMBってまだあるよな?エロ度の強いアイドルグラビア誌ってほとんど廃刊したと思ったんだが、こないだ本屋でBOMB見かけてびっくりした。
Momocoは菊池桃子をイメージガールにすえて1983年に創刊した正統派アイドル雑誌であるが、「オカズ」という言葉を世に送り出した(ライターの石川誠壱氏が起源だそうだ)雑誌でもあり、ガチエロ本に手が出せない若年層のためのライトエロ本でもあった。
この雑誌「Momoco」の中に「モモコクラブ」という美少女募集コーナー特別ページがあった。
自薦他薦問わず美少女を募集し、雑誌に認定されると「通し番号」として「桃組出席番号」がつけられるという誌上アイドルオーディション・システム。
この「モモコクラブ」が「おニャン子クラブ」のプロトタイプ。
モモコクラブオールナイターズおニャン子クラブの源流である。
モモコクラブ出身者には、鈴木保奈美や田中美奈子なんてビッグネームもいる。今となっては黒歴史かもしれんが。
 
島田奈美は1986年にモモコクラブからアイドルデビューした正統派清純アイドル。
清楚なルックスと良質なアイドルソングで売ったひとだったが、時代的にきわめてタイミングが悪かった。
1986年というと、世間はおニャン子全盛期。アイドルまとめ売り価格破壊現象の真っ只中。おニャン子ブームが去ったあとは、空前のバンドブームにより、アイドル冬の時代。ピンで正統派アイドル出して売れる状況ではなかった。
もう、世に出た時代が悪かったとしか。
島田奈美のシングルはオリコン10位くらいに入る程度には売れていたので、「B級」とは言いがたいのだが、おニャン子ブームとバンドブームの影に隠れてしまい、どうしても「B級」感が漂うんだよなあ。申し訳ないけれども。
なんでこのひとのことをいま思い出したかというと、冒頭のTwitterの「性的存在であるがビッチではいけない」発言から、このひとの存在を思い出したから。
このひとね、「性的存在であることを拒否していたアイドル」だったんで。
潜在的、もしくは間接的であっても性的存在であることをある程度は誇示しないと「男子の異性に対する幻想の投影装置」としてのアイドルで居続けることは難しい。ましてやライトエロ本「Momoco」出身。ビキニはダメでもスクール水着くらいは披露してナンボの職業だと思うんですがねえ、このひとは水着でさえ頑なに拒否していました。
アイドル冬の時代に、正規の商品を正規の価格で売ろうとしても売れません。
ましてや水着(微エロ)も売らないっていうのは、もはや正規以上の価格をつけていたようなもんだろう。
エロを封印するかわりに飛び抜けて歌唱力が高かったりすれば話はまた別なのだが、そういう「売り」があったわけでもなかったので。
4年くらいは頑張ったと思うが1990年に引退した。「可愛い」と「清純」だけで4年持てば立派だと思いますがね。
80年代にエロ要素を完全に封印して4年もやれる人材はそうそういなかったと思うし。
 
 

 
島田奈美は、実は引退してから、「素材」としてかなり面白い転がされ方をしている。
本当に稀有なケースなんだが。
島田奈美というひとはアーティスト志向を持ってたひとで、自分の楽曲の作詞をしたりもしていたが、楽曲のハウスリミックスを寺田創一に依頼して、「MIX WAX」リミックス盤(1989)をリリースしたりしていた。
寺田創一はエンジニアつーか作曲家つーかリミキサーつーかアレンジャーつうか。とにかくデジタル系のひとでゲームミュージック等で有名だ。
「SUN SHOWER」は88年に発表された曲。
元の曲は普通のアイドルソングなんだが、1989年に寺田創一がそれをリミックスしてダンスミュージックに仕立て上げた。


何度も書いていることだが、80年代後半はアイドル冬の時代。フツーのアイドルポップスは衰退しちゃって、まず売れない。それでアイドルを「ロックバンドのボーカル」にパッケージを変えて売り出す手法が取られたりした。あんまりうまくいきませんでしたがね。
もうひとつの、冬の時代のアイドルの活路としては「ダンスミュージックのエッセンスを取り入れた楽曲を出す」つうのがあった。ダンスミュージック…当時のそれは、よーするに「ハウスミュージック」。
80年代後半からバブル終焉まで、日本は空前のロックバンドブームに沸いていたが、世界的な音楽の流れはロックからダンスミュージック(ヒップホップ、ハウス)へと移行していたのである。
簡単に言うと、世界規模では89〜90年の時点で「ロック」は既にオワコン。
ヒップホップやハウスに代表されるようなクラブミュージックこそが時代の主役となって来ていた。
世界っつってもアメリカと西欧だけの話だがな。やや引っかかるけどまあいいや。ここでそのへん追求すると話の軸がブレるから。
 
話を戻す。
島田奈美がアイドル引退(1990年)したあとの展開が面白い。
この、寺田創一がリミックスした「SUN SHOWER」を、寺田本人が買い取り、それをホワイト盤(レーベル面に何も書かれていない真っ白いレコード。見本盤・ブート盤・プロモ盤などの非売品)としてプレスして、ニューヨークのクラブで配布したんですわ。そしたらクラブでウケて、なんとガラージュハウスの帝王・Larry Levanラリー・レヴァン)による「SUN SHOWER」リミックス盤までリリースされてしまった。

 

 

ハウスに興味ないひとにとっては「それが何か?」って話だろうが、これとんでもない話っすよ。
90年前後に小泉今日子中山美穂がハウス歌謡の曲を出したりしたが、それとはワケが違う。
なんせ正真正銘「伝説の」DJ、ラリー・レヴァンが手掛けてる作品だから。
ジャパンマネーでラリー・レヴァンの横っ面ひっぱたいて無理矢理やらせたわけではなく、彼ほどの大物が自発的に作った作品なんで、ホントにすごいわけ。
NYのゲイ・クラブで(ハウスは元々ゲイ・カルチャーである)ラリー・レヴァンがまわした日本人の音楽なんて「SUN SHOWER」くらいしか無いんじゃないすかね。後にも先にも。


 
 
島田奈美 - SUN SHOWER (1991) Larry Levan Mix
  

 
今聴くとフツーです。つーか、ぶっちゃけPerfume。凝ったリミックスのダンスミュージック+アイドルボイスって意味でね。Perfumeはハウスというよりテクノだけどさ。
現代に生きる我々の耳は、「すんげー凝ったリミックスのダンスミュージックの楽曲に、なぜかアイドルボイスが乗っかる」というアプローチにすっかり慣れちゃってんですよ。Perfumeとか、きゃりぱみゅとかね。90年代中盤の小室サウンドもそうだったな。
だから、今Nami Shimada「SUN SHOWER」Larry Levan Mix を聴いても、ハウスに興味ないひとには極々フツーの楽曲に聞こえる。
でも1991年にはおっそろしく斬新でした。
ハウスの音源にアイドルボイスが乗っかることにかなり違和感あったな。
当時はその違和感が面白がられてたわけだけど。
 

あ、わたし実は寺田創一がNYで配布したという「SUN SHOWER」ホワイト盤持ってんですわ。
いや、レアものだから、いつか小遣い銭に困ったらヤフオクで売ろうと思って。
そしたら数年前にオランダのレーベルからCDで再販されて俺涙目。
これはあれですね。株式用語で言うところの塩漬け銘柄ってやつっすね。
まだ買値よりは時価評価が下落してないとは思いますが。
悔しくて売るに売れない。
 
 


それと、冒頭のTwitterの話だけど。
わたしだったら、スルー。
「異性に対する都合のいい幻想を無くす」って不可能ですもん。男女ともに。
恋愛の大半はそういう幻想で成り立ってる部分があるからねえ。
需要があるなら供給が出てくるのは当然のことだろう。
わたしは適性がないから供給側になる気は今も昔もゼロなんだが。
「女子たる者は男子の幻想を演じなければ存在価値がない、つう愛されスイーツさん達の価値観の提唱は呪縛以外の何者でもない」という人間もいれば、「自立した人間として個を確立するより、愛されスイーツでいるほうが自分らしく生きていける」って人種も確実に存在するってことですよ。
適材適所って言葉もあるしな。
見てる世界が違うんだから、犯罪に直結しない限りは他人の価値観や信仰はほっといてやれ。ひとの生き方に正解はない。
相互干渉せんと、てきとーに共存しときなされ。
無責任ですまぬ。
 
 
 

 

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