前世紀遺跡探訪<80s-バブル終焉>

80年代~バブル文化圏終焉(実質的なバブル崩壊は91年だが、バブルの延長的な空気が即終了したわけではないので90年代前半までとりあえずバブル文化圏と仮定しとく)の音楽や音楽をとりまく事象について、あれこれと。

少年隊 - デカメロン伝説 (1986)

「少年隊」で一番見事なのはダンスじゃなくて実は名前なんじゃないかと思ってる。
「少年隊」っていうネーミングも凄い(だって「少年」に「隊」だよ。ショタど真ん中じゃん!)が、錦織一清東山紀之植草克秀という名前のバランスが凄いなあと思う。
これ本名なんでしょ?
凄いねえ、芸名でもこんなバランスの良い名前が3人揃ってるってことはなかなかなさそう。

 
 

まあそれはいいとして。
MXテレビという東京ローカルTV局がある。
東京都が唯一出資している放送局なのだが、MXの「5時に夢中!」というバラエティ番組は放送コードを超えた無法地帯と化していることで、一部で有名だ。
このMXテレビで、以前「ニッキゴルフ」という番組をやっていた(2011年放送終了)。
スポンサーが「二木ゴルフ」、出演は錦織一清とパパイヤ鈴木。ニッキとパパイヤがラウンドしながら小野寺誠プロにゴルフを教わるゴルフ番組である。「ニッキ(錦織)」と、「二木」をひっかけて「ニッキゴルフ」。ダジャレなんすよ。改めて言われんでも誰にでもわかることだが。
少年隊のかつての冠番組の名前が「少年隊夢(しょうねんたいむ)」だったり、シブがき隊のバックバンドの名前が「シブ楽器隊」だったり、ジャニーズと駄洒落の関係は根深い。このへん深く追求すると話が横道に逸れそうなんで、スルーしておくけど。

 
 
で、これが「ニッキゴルフ」のプレスリリース。→
 

これが出演者のお写真。
 

 
 
あれ、出演者はニシキとパパイヤじゃなかったの?
なんで左側に小堺一機が。
と思ったアナタ、この小堺一機が現在の錦織さんです。
 
 
ゴルフに興味がない人間にとってプロによるゴルフアドバイスとかは正直どうでもいい。言ってることの1割も理解できんし。
この「ニッキゴルフ」という番組のキモは、小堺一機化した錦織がどこに向かおうとしているか、だった。
錦織はこの番組で二木ゴルフの店舗ロケしたり、握手会したり、商品販売したり、…なんといいますか、いろいろと感慨深かったです。
感慨っていうか、複雑。
「80年代の錦織一清」が記憶に残っている人間としては。
「80年代の錦織一清」って本当にジャニーズアイドル・ジャニーズスターの真髄だったから。
というか、「少年隊」自体が80年代ジャニーズのリーサル・ウェポンだったんだけどね。
そう、「少年隊」とは80年代ジャニーズ事務所が満を持して世に送り出したジャニーズ真骨頂。
ミュージカル俳優養成事務所としてのジャニーズの、いや、ジャニーさんの理想を体現したユニットだったのであった。
 
  
世間的によく勘違いされていることだが、ジャニーズ事務所は実はアイドル専門芸能プロダクションではない。ミュージカル俳優専門芸能プロダクションなのである。
「えっ、そうなの?」と思った方は
ジャニーズ事務所 - Wikipediaの「ジャニーズ事務所の設立及び名称の由来」を参照されたし。
 


Wikipedia読むとわかるが、ジャニー喜多川氏が若い頃、アメリカでショービジネスの裏方を経験して以来の「ミュージカルへの憧憬」+「少年野球」がジャニーズ事務所設立の初期衝動なのだ。ジャニーズ事務所の前身はなぜか野球チームなんだが、アイドル養成というよりミュージカルスター養成という、一貫したブロードウェイ志向が根底にあるんだよなあ。
ジャニーズ事務所から最初にデビューしたアイドルグループは、その名も「ジャニーズ」だが、このひとたち1966年に渡米してワーナーと契約までしてるからね。
ジャニーズ - Wikipedia
の「概要」の項目参照。
全世界デビューまで想定しながら、なんで発売中止して日本中心の活動に専念することになったのか、そのへんの経緯はわかんないんだけど。
ジャニーズ事務所のミュージカル志向・ブロードウェイ志向・全米進出・全世界制覇は1960年代から続く悲願だったってことはわかる。
で、「ジャニーズ」の渡米から20年の時を経て、再び全米デビュー・全世界デビューに向けてジャニーズ事務所が世に送り出したのが「少年隊」なのである。
 
 
 
少年隊のデビューは1985年、デビュー時のキャッチフレーズが「日本発、世界行」。
ちなみに「日本発、世界行」の元ネタはおそらく「幸福駅」だ。お若い方はご存じないでしょうが、昔、幸福駅って名前の駅が実在したんですよ、北海道に(1987年廃駅)。幸福駅で発売された切符「幸福発 ○○行」を持ってると幸せになれるって噂があって、切符の入手が流行ったの、70年代に。これはあちこちでパロディにされ、「兄貴発 俺行き」なんて名前のゲイビまで出た。あ、それはどうでもいいすか。どうもすいません。
「日本発、世界行」かあ。いやマジで全世界制覇のつもりだったんだろうなー。
少年隊はレコードデビューこそは1985年だったが、レコードデビュー前の1984年に米国の人気番組「MERV GRIFFIN SHOW」に出演してる。恐ろしいことにその動画がYoutubeにある。
 

 
少年隊 - MERV GRIFFIN SHOW出演(1984
 
 
実は少年隊はWEAと契約して全米デビューする予定でロスでボイストレーニングやレコーディングもしてた。
ザ・ベストテン」ではデビュー曲「仮面舞踏会」をラスベガスから中継してたし、この時点では全世界デビュー話は進行中だったのだろう。いつからその話が聞かれなくなったのか、どうしてポシャってしまったのか、そのへんの事情は知らん。詳しく知ってる人がいたら教えてほしい。
 

レコードデビュー前の段階にも関わらず、「夜のヒットスタジオ」に単独ユニットとして出演したりコンサートを開いたり、とにかく少年隊は当時「ジャニーズの真打」扱いされてたんだが。
個人的に興味深いのはデビュー前にNHK「レッツゴーヤング」などで披露した70年代ファンク、ディスコ路線である。これもその頃の動画がYoutubeに大量に転がってるのだが、60年代モータウン、70年代ファンク、ディスコをメドレーで歌ったりしてるのだ。
この頃演ってたメドレーの曲名をずらずらと挙げてくと、THE TEMPTATIONS「GET READY」 、THE TEMPTATIONS「Happy People」、Los Bravos「Black Is Black」、The Osmonds「One bad apple」、Earth, Wind and Fire「Africano」…
うわあ、これは。
ジャニーさんが少年隊全米デビューの足がかりに向けて狙いを定めてたのは、「アポロシアター」なのではないかという疑念がわくなあ。
実際、この頃の少年隊のダンススキルは非常に高度なものだった。
全世界に差し出しても恥ずかしくないものだった…かもしれない。
が、別の面でいろいろと問題があるので、やっぱ全世界デビューしなくて良かったんでないかと、下の動画見て思い直したところ。
 
 
 

少年隊 - アフリカーン(1984)
 
 
これ、Earth, Wind and Fireの「Africano」のカヴァーなので、「アフリカーン」ではなく「アフリカーノ」が正解。おそらくテレビ局側の誤植ではないかと思うのですが。
ま、それは別にいいとして。
なぜ演じているのが10代の少年ばかりなのか。なぜ皆きわどい衣装を着ているのか。
このへんの説明が非常に厄介なんじゃないかとい思うんですわ、英語圏っていうかキリスト教圏では。
ワシらはいいんですよ。ワシら日本在住の一般人はなんだかんだで半世紀もジャニーズ事務所とつきあってるんで(ジャニーズ事務所設立は1962年)、「10代の少年ばかり大量に、半裸で踊りまくる」という異常事態に対して耐性ができてる。「ああ、はいはいジャニーズね」とか「まあ、ジャニーズだからしょうがない」とか、特殊なショタ・ワールド全開をスルーするスキルを身につけてる。身につけたくてつけたわけじゃないが、慣らされすぎて、麻痺した。もはや誰も突っ込まない状況になってる。突っ込んでるのは文春とサイゾーくらいしかないんじゃないか。
が、キリスト教圏の人々にこれらに対するスルースキルを身につけさせるのは至難の業だ。スルースキル以前の問題として説明自体が難しい。イスラム教圏ではもっと厄介そう。
そういう意味で、少年隊が全世界デビューしてたら、えらいことになってただろう。悪い意味で。
たぶん、だけど。
「ジャニーズ的なもの」が通用すんのって、アジア圏だけなんじゃないすかね。
それも宗教的っていうか性的なシバリがきわめてゆるい地域。台湾とかタイとか。
いちばん宗教的シバリがユルいの日本だけど。
 
 

話を錦織に戻すが、レコードデビュー前の少年隊のダンスを見てると、ニシキのレベルがホントに高くて驚く。
この頃はヒガシが、まだあの如才なさや処世術の上手さを発揮してなかった頃なので、わたしは20年後に今のヒガシのポジションにいるのはニシキだろうなと当時なんとなく思ってた。
当初、ニシキは少年隊の中ではトーク担当でもあったので、トシ取って体力落ちてダンスが出来なくなった場合でも、井上順ポジションというか高田純次ポジションというか、とにかく口八丁手八丁で芸能界をすいすいチャラチャラ泳いでいくのではないかと。
予想は見事ハズれたけど。
まさか、四半世紀の時を経て「ニッキゴルフ」のひとになるとは思ってなかった。
…一体何がどうしてこうなったんだか。
ジャニーズ年功序列説でいえば、マッチの次はニシキのはずなのに、ヒガシにはるか上を行かれてますからね。
森光子とか黒柳徹子とか、大物の懐に飛び込むのが下手だったんでしょうか。
それとも思ってたより空気読むのが下手だったのか、酒の飲みすぎか、テレクラのやりすぎか。
2012年現在、ここまでニシキのことが気になって仕方がないのは、ファン以外ではわたしくらいしかいないんじゃないでしょうか。
 
 

 
「少年隊」のセカンド・シングルは「デカメロン伝説」であった。
作詞は秋元康。タイトルの元ネタは14世紀イタリアの詩人ボッカチオの書いた「デカメロン」。 
いやマジでわけのわからん歌詞。男が女に愛を誓ってることくらいしか伝わらん。
「愛の誓い」と「デカメロン」に一体何の関係が?ルネサンス・エロ(「デカメロン」って、アレな、ルネサンス文学とかイタリア散文芸術とかいろいろ言われてますが、内容はエロ本ですぜ)と一体何の関係が?
何の関係も無いんだけどさ。「デカメロン」って言葉自体にものすごいインパクトあるから人目を引くし面白い、ってことと。まあ単に性的な符丁として用いただけなんだろうなあ。
インパクト勝負で意味不明なアイドル歌謡曲のタイトルは多々あるが、これはその中でも特筆すべき意味不明曲である。
 
 

 
少年隊 - デカメロン伝説(1986)
 
 
この動画の衣装が黄緑なのは「メロン」からの連想だと思われる。歌番組のセットそのものが「でっかいメロン」だったこともあったな。そんな短絡的な発想でいいのかよ。
一応80年代ジャニーズ事務所の至宝・真打・リ−サル・ウェポンなのにさ。
しかもこのへんはまだ諦めてなかったはずなのだ、全世界進出。
たしか「君だけに」の頃には、アジア・ツアーをやってたはず。
いつから全世界進出を諦めたのか。
いや全世界どうこうというより、ジャニーズ内の少年隊のDNAが「忍者」で途絶えてることが気になるな。
少年隊のDNA=ミュージカル志向。
ジャニーズ事務所では新・グローブ座でずっとミュージカル「PLAYZONE」「SHOCK」等を継続して上演してるのだが、「ミュージカル色の強いダンスパフォーマンス」を前面に押し出してるユニットは今は存在していないと思う。
おそらく
 
光GENJIから始まった口パク
・忍者の不遇(バンドブームとアイドル冬の時代の弊害)
SMAPからのバラエティ路線重視
 
あたりが少年隊のDNAが途絶えてる理由だと思われる。
いや、まあ、別にDNA継承しなくていい気もするけど。
「日本の美少年(ジャニーさん好みの)達が、ブロードウェイの舞台で聴衆をわかせる」ってジャニーさんの悲願だと思うからさ。
彼も生きてるうちにその光景を見たいんじゃないかと。
わたしは特にそれを見たいと思ってないのだが(宗教的・性的シバリが強い地域ではジャニーズワールドはいろいろヤバいし)、どうしてこういうことを考えてしまうのか自分でも謎。

 

 

成長因子 育毛剤