前世紀遺跡探訪<80s-バブル終焉>

80年代~バブル文化圏終焉(実質的なバブル崩壊は91年だが、バブルの延長的な空気が即終了したわけではないので90年代前半までとりあえずバブル文化圏と仮定しとく)の音楽や音楽をとりまく事象について、あれこれと。

このブログに広告が表示されるのは仕様です。私の意思じゃありません。

尾崎豊がどうでもいいというなら、尾崎ネタの広告ではした金もらうな。言ってることとやってることが違うだろ」と文句つけてきたひとがいるので、説明しときます。

 
どう文句つけてきたか詳細を知りたい方は尾崎豊について書いた記事のコメント欄を参照されたし。
尾崎豊 - 15の夜(1983) - 前世紀遺跡探訪 <80s-バブル終焉>

 
このブログで何か書くと、勝手にブログの下に広告が表示されますが、これ「はてなブログ」の仕様です。
わたしの意志とは無関係に、勝手に、強制的に、そのブログ記事から単語を拾ってGoogle AdSense広告が表示される仕様になっています。
拾える単語がないときはランダムに、ブログの内容とは無関係の広告が表示されます。
もちろん誰がこの広告を何回クリックしようが、わたしの元には一銭もお金は入ってきません。
広告が表示されないようにするには「はてなブログ」の有料ユーザーになって、設定を変更するしかないようです。
ようするに広告消したきゃ金払えってハナシなんだよ。
 
はてなブログで広告を非表示にする方法は? - そっと、はてなブログ
 


わたしはね、尾崎豊本人は別に好きでも嫌いでもないの。
不快だと思ったことは一度もないが、共感したことも一度もない。
本気でどうでもいい。
単に尾崎信者が苦手なの。
自分の価値観のみが絶対正しいと信じていて、それを他人に押し付けてくるから。
こうやって何度も何度も何度も価値観を押し付けられると、特に悪い感情持ってなかった尾崎豊に対してもイヤな印象が植え付けられていくんだよなあ。
だからオルグは逆効果だと言うとろーが。
個人的にどーでもいいはずの尾崎豊で小銭儲けたいと思うほど根性腐ってないわ。
 
 
 

少年隊 - デカメロン伝説 (1986)

「少年隊」で一番見事なのはダンスじゃなくて実は名前なんじゃないかと思ってる。
「少年隊」っていうネーミングも凄い(だって「少年」に「隊」だよ。ショタど真ん中じゃん!)が、錦織一清東山紀之植草克秀という名前のバランスが凄いなあと思う。
これ本名なんでしょ?
凄いねえ、芸名でもこんなバランスの良い名前が3人揃ってるってことはなかなかなさそう。

 
 

まあそれはいいとして。
MXテレビという東京ローカルTV局がある。
東京都が唯一出資している放送局なのだが、MXの「5時に夢中!」というバラエティ番組は放送コードを超えた無法地帯と化していることで、一部で有名だ。
このMXテレビで、以前「ニッキゴルフ」という番組をやっていた(2011年放送終了)。
スポンサーが「二木ゴルフ」、出演は錦織一清とパパイヤ鈴木。ニッキとパパイヤがラウンドしながら小野寺誠プロにゴルフを教わるゴルフ番組である。「ニッキ(錦織)」と、「二木」をひっかけて「ニッキゴルフ」。ダジャレなんすよ。改めて言われんでも誰にでもわかることだが。
少年隊のかつての冠番組の名前が「少年隊夢(しょうねんたいむ)」だったり、シブがき隊のバックバンドの名前が「シブ楽器隊」だったり、ジャニーズと駄洒落の関係は根深い。このへん深く追求すると話が横道に逸れそうなんで、スルーしておくけど。

 
 
で、これが「ニッキゴルフ」のプレスリリース。→http://www.mxtv.co.jp/company/press/100312niki_golf.pdf
 

これが出演者のお写真。
 

 
 
あれ、出演者はニシキとパパイヤじゃなかったの?
なんで左側に小堺一機が。
と思ったアナタ、この小堺一機が現在の錦織さんです。
 
 
ゴルフに興味がない人間にとってプロによるゴルフアドバイスとかは正直どうでもいい。言ってることの1割も理解できんし。
この「ニッキゴルフ」という番組のキモは、小堺一機化した錦織がどこに向かおうとしているか、だった。
錦織はこの番組で二木ゴルフの店舗ロケしたり、握手会したり、商品販売したり、…なんといいますか、いろいろと感慨深かったです。
感慨っていうか、複雑。
「80年代の錦織一清」が記憶に残っている人間としては。
「80年代の錦織一清」って本当にジャニーズアイドル・ジャニーズスターの真髄だったから。
というか、「少年隊」自体が80年代ジャニーズのリーサル・ウェポンだったんだけどね。
そう、「少年隊」とは80年代ジャニーズ事務所が満を持して世に送り出したジャニーズ真骨頂。
ミュージカル俳優養成事務所としてのジャニーズの、いや、ジャニーさんの理想を体現したユニットだったのであった。
 
  
世間的によく勘違いされていることだが、ジャニーズ事務所は実はアイドル専門芸能プロダクションではない。ミュージカル俳優専門芸能プロダクションなのである。
「えっ、そうなの?」と思った方は
ジャニーズ事務所 - Wikipediaの「ジャニーズ事務所の設立及び名称の由来」を参照されたし。
 


Wikipedia読むとわかるが、ジャニー喜多川氏が若い頃、アメリカでショービジネスの裏方を経験して以来の「ミュージカルへの憧憬」+「少年野球」がジャニーズ事務所設立の初期衝動なのだ。ジャニーズ事務所の前身はなぜか野球チームなんだが、アイドル養成というよりミュージカルスター養成という、一貫したブロードウェイ志向が根底にあるんだよなあ。
ジャニーズ事務所から最初にデビューしたアイドルグループは、その名も「ジャニーズ」だが、このひとたち1966年に渡米してワーナーと契約までしてるからね。
ジャニーズ - Wikipedia
の「概要」の項目参照。
全世界デビューまで想定しながら、なんで発売中止して日本中心の活動に専念することになったのか、そのへんの経緯はわかんないんだけど。
ジャニーズ事務所のミュージカル志向・ブロードウェイ志向・全米進出・全世界制覇は1960年代から続く悲願だったってことはわかる。
で、「ジャニーズ」の渡米から20年の時を経て、再び全米デビュー・全世界デビューに向けてジャニーズ事務所が世に送り出したのが「少年隊」なのである。
 
 
 
少年隊のデビューは1985年、デビュー時のキャッチフレーズが「日本発、世界行」。
ちなみに「日本発、世界行」の元ネタはおそらく「幸福駅」だ。お若い方はご存じないでしょうが、昔、幸福駅って名前の駅が実在したんですよ、北海道に(1987年廃駅)。幸福駅で発売された切符「幸福発 ○○行」を持ってると幸せになれるって噂があって、切符の入手が流行ったの、70年代に。これはあちこちでパロディにされ、「兄貴発 俺行き」なんて名前のゲイビまで出た。あ、それはどうでもいいすか。どうもすいません。
「日本発、世界行」かあ。いやマジで全世界制覇のつもりだったんだろうなー。
少年隊はレコードデビューこそは1985年だったが、レコードデビュー前の1984年に米国の人気番組「MERV GRIFFIN SHOW」に出演してる。恐ろしいことにその動画がYoutubeにある。
 

 
少年隊 - MERV GRIFFIN SHOW出演(1984
 
 
実は少年隊はWEAと契約して全米デビューする予定でロスでボイストレーニングやレコーディングもしてた。
ザ・ベストテン」ではデビュー曲「仮面舞踏会」をラスベガスから中継してたし、この時点では全世界デビュー話は進行中だったのだろう。いつからその話が聞かれなくなったのか、どうしてポシャってしまったのか、そのへんの事情は知らん。詳しく知ってる人がいたら教えてほしい。
 

レコードデビュー前の段階にも関わらず、「夜のヒットスタジオ」に単独ユニットとして出演したりコンサートを開いたり、とにかく少年隊は当時「ジャニーズの真打」扱いされてたんだが。
個人的に興味深いのはデビュー前にNHK「レッツゴーヤング」などで披露した70年代ファンク、ディスコ路線である。これもその頃の動画がYoutubeに大量に転がってるのだが、60年代モータウン、70年代ファンク、ディスコをメドレーで歌ったりしてるのだ。
この頃演ってたメドレーの曲名をずらずらと挙げてくと、THE TEMPTATIONS「GET READY」 、THE TEMPTATIONS「Happy People」、Los Bravos「Black Is Black」、The Osmonds「One bad apple」、Earth, Wind and Fire「Africano」…
うわあ、これは。
ジャニーさんが少年隊全米デビューの足がかりに向けて狙いを定めてたのは、「アポロシアター」なのではないかという疑念がわくなあ。
実際、この頃の少年隊のダンススキルは非常に高度なものだった。
全世界に差し出しても恥ずかしくないものだった…かもしれない。
が、別の面でいろいろと問題があるので、やっぱ全世界デビューしなくて良かったんでないかと、下の動画見て思い直したところ。
 
 
 

少年隊 - アフリカーン(1984)
 
 
これ、Earth, Wind and Fireの「Africano」のカヴァーなので、「アフリカーン」ではなく「アフリカーノ」が正解。おそらくテレビ局側の誤植ではないかと思うのですが。
ま、それは別にいいとして。
なぜ演じているのが10代の少年ばかりなのか。なぜ皆きわどい衣装を着ているのか。
このへんの説明が非常に厄介なんじゃないかとい思うんですわ、英語圏っていうかキリスト教圏では。
ワシらはいいんですよ。ワシら日本在住の一般人はなんだかんだで半世紀もジャニーズ事務所とつきあってるんで(ジャニーズ事務所設立は1962年)、「10代の少年ばかり大量に、半裸で踊りまくる」という異常事態に対して耐性ができてる。「ああ、はいはいジャニーズね」とか「まあ、ジャニーズだからしょうがない」とか、特殊なショタ・ワールド全開をスルーするスキルを身につけてる。身につけたくてつけたわけじゃないが、慣らされすぎて、麻痺した。もはや誰も突っ込まない状況になってる。突っ込んでるのは文春とサイゾーくらいしかないんじゃないか。
が、キリスト教圏の人々にこれらに対するスルースキルを身につけさせるのは至難の業だ。スルースキル以前の問題として説明自体が難しい。イスラム教圏ではもっと厄介そう。
そういう意味で、少年隊が全世界デビューしてたら、えらいことになってただろう。悪い意味で。
たぶん、だけど。
「ジャニーズ的なもの」が通用すんのって、アジア圏だけなんじゃないすかね。
それも宗教的っていうか性的なシバリがきわめてゆるい地域。台湾とかタイとか。
いちばん宗教的シバリがユルいの日本だけど。
 
 

話を錦織に戻すが、レコードデビュー前の少年隊のダンスを見てると、ニシキのレベルがホントに高くて驚く。
この頃はヒガシが、まだあの如才なさや処世術の上手さを発揮してなかった頃なので、わたしは20年後に今のヒガシのポジションにいるのはニシキだろうなと当時なんとなく思ってた。
当初、ニシキは少年隊の中ではトーク担当でもあったので、トシ取って体力落ちてダンスが出来なくなった場合でも、井上順ポジションというか高田純次ポジションというか、とにかく口八丁手八丁で芸能界をすいすいチャラチャラ泳いでいくのではないかと。
予想は見事ハズれたけど。
まさか、四半世紀の時を経て「ニッキゴルフ」のひとになるとは思ってなかった。
…一体何がどうしてこうなったんだか。
ジャニーズ年功序列説でいえば、マッチの次はニシキのはずなのに、ヒガシにはるか上を行かれてますからね。
森光子とか黒柳徹子とか、大物の懐に飛び込むのが下手だったんでしょうか。
それとも思ってたより空気読むのが下手だったのか、酒の飲みすぎか、テレクラのやりすぎか。
2012年現在、ここまでニシキのことが気になって仕方がないのは、ファン以外ではわたしくらいしかいないんじゃないでしょうか。
 
 

 
「少年隊」のセカンド・シングルは「デカメロン伝説」であった。
作詞は秋元康。タイトルの元ネタは14世紀イタリアの詩人ボッカチオの書いた「デカメロン」。 
いやマジでわけのわからん歌詞。男が女に愛を誓ってることくらいしか伝わらん。
「愛の誓い」と「デカメロン」に一体何の関係が?ルネサンス・エロ(「デカメロン」って、アレな、ルネサンス文学とかイタリア散文芸術とかいろいろ言われてますが、内容はエロ本ですぜ)と一体何の関係が?
何の関係も無いんだけどさ。「デカメロン」って言葉自体にものすごいインパクトあるから人目を引くし面白い、ってことと。まあ単に性的な符丁として用いただけなんだろうなあ。
インパクト勝負で意味不明なアイドル歌謡曲のタイトルは多々あるが、これはその中でも特筆すべき意味不明曲である。
 
 

 
少年隊 - デカメロン伝説(1986)
 
 
この動画の衣装が黄緑なのは「メロン」からの連想だと思われる。歌番組のセットそのものが「でっかいメロン」だったこともあったな。そんな短絡的な発想でいいのかよ。
一応80年代ジャニーズ事務所の至宝・真打・リ−サル・ウェポンなのにさ。
しかもこのへんはまだ諦めてなかったはずなのだ、全世界進出。
たしか「君だけに」の頃には、アジア・ツアーをやってたはず。
いつから全世界進出を諦めたのか。
いや全世界どうこうというより、ジャニーズ内の少年隊のDNAが「忍者」で途絶えてることが気になるな。
少年隊のDNA=ミュージカル志向。
ジャニーズ事務所では新・グローブ座でずっとミュージカル「PLAYZONE」「SHOCK」等を継続して上演してるのだが、「ミュージカル色の強いダンスパフォーマンス」を前面に押し出してるユニットは今は存在していないと思う。
おそらく
 
光GENJIから始まった口パク
・忍者の不遇(バンドブームとアイドル冬の時代の弊害)
SMAPからのバラエティ路線重視
 
あたりが少年隊のDNAが途絶えてる理由だと思われる。
いや、まあ、別にDNA継承しなくていい気もするけど。
「日本の美少年(ジャニーさん好みの)達が、ブロードウェイの舞台で聴衆をわかせる」ってジャニーさんの悲願だと思うからさ。
彼も生きてるうちにその光景を見たいんじゃないかと。
わたしは特にそれを見たいと思ってないのだが(宗教的・性的シバリが強い地域ではジャニーズワールドはいろいろヤバいし)、どうしてこういうことを考えてしまうのか自分でも謎。

 

 

成長因子 育毛剤

 

 

島田奈美 - SUN SHOWER (1991) Larry Levan Mix

1ヶ月くらい前か、Twitterでリストをチェックしてたら、興味深いツイートがRTされていた。
とある、愛されスイーツ女子(の中ではかなり賢いほうだお☆というアピールのひと)のツイート各種と、それを批判するフェミのひとのツイート。
いや、面白かったっすよ、すごく。どっちのツイートも。
こういうのって出典や発言者名を明記するべきなんすかね。Twitterからの引用とか著作権とか、どう扱うのが正解なんだろ。とりあえず、そのまんま引用はせず概要だけ表記しますが。
(こういうやり方が著作権的にまずければ、また対処を考えます。発言者の引用許可を取るとか。OKもらえるかどうか微妙だけど。)
 
「愛され☆スイーツ女子の中ではかなり賢いほうだとアピールしているひと」のご発言が、なんか、いちいちフェミなひとの癇に障るらしいんですわ。んで、それらスイーツ発言を「爆弾」「呪い」と揶揄しておられる。いや、何がそんなに癇に障るのか、女子界の規格外だった自分としては、わかりすぎるくらいわかるのですが。しかし、このスイーツな人の発言がいちいち面白すぎてさー。腹立ててる暇がなかった。面白すぎてっつうと語弊があるか。
ようするに、自分は男子の幻想の投影装置でいたいという趣旨の発言なのよ、大半が。
女子というのは男子の幻想を体現してこそ、女子たりうるのだという内容。
たとえば、この方は
「性的存在として承認されなければならないという思いが強いが、ビッチにはなりたくない」
などと仰られてましてね。
思わず膝を打ちました。
それはつまり「アイドルでいたい」ということっすね。
「性的存在であるがビッチではいけない」ってまさにアイドルのことだもん。
アイドルグラビアできわどい水着などを披露するオカズ的存在なのに、一応清純派を装わなければ男子の幻想を投影できないので絶対にオトコの影(不純異性交遊)をチラつかせてはいけないという矛盾した存在。実態が元ヤンだろうとヤリマンだろうと、とりあえず清純派を装うことで成立する、ある種の幻想射精産業。
女性アイドルというのは、「男子の、異性に対する幻想の集大成」であり、それを3次元に実体化して商品化したものなのである。
 

「幻想射精産業的な部分での女性アイドル」が男子から求められてるのは今も昔も変わらない。
山口百恵からAKB48に至るまで、アイドルのイメージ戦略の1つ、というより最重要項目として「幻想射精産業的要素」は一貫して存在してる。
80年代において特筆すべきアイドルビジネスの1つに、あからさまに「幻想射精産業的な部分での女性アイドル」に特化した雑誌が多数刊行されたことがあげられる。
明星や平凡から、水着グラビアと男子エロ妄想だけを取り出し、拡大再生産させたような女性アイドル専門グラビア雑誌が次々と出版された。
バラエティ、Momoco、ORE、DUNK、BOMB、GORO、SUGAR、投稿写真、アクションカメラ。
上記の雑誌は左側に行き次第アイドル色が濃く、右側に行き次第エロ度・B級度が濃くなるという認識。個人的には。
バラエティは角川の機関紙、DUNKはおニャン子クラブの機関紙でしたね。
事実誤認があったらご指摘ください。
あ、これら幻想射精産業的アイドルグラビア雑誌についてより詳細をご存知の方がいらしたら、ご教授いただけるとありがたいです。もっといろんなアイドルグラビア誌があったように思うんだが、さすがにきっちり把握してないので。
 

Momoco、BOMBは学研から発行されていたアイドルグラビア誌(若干エロ有り)である。
80年代には教科書・参考書からアイドルエロまで、実に手広くやっていたのだ学研さんは。
Momocoはもう無いがBOMBってまだあるよな?エロ度の強いアイドルグラビア誌ってほとんど廃刊したと思ったんだが、こないだ本屋でBOMB見かけてびっくりした。
Momocoは菊池桃子をイメージガールにすえて1983年に創刊した正統派アイドル雑誌であるが、「オカズ」という言葉を世に送り出した(ライターの石川誠壱氏が起源だそうだ)雑誌でもあり、ガチエロ本に手が出せない若年層のためのライトエロ本でもあった。
この雑誌「Momoco」の中に「モモコクラブ」という美少女募集コーナー特別ページがあった。
自薦他薦問わず美少女を募集し、雑誌に認定されると「通し番号」として「桃組出席番号」がつけられるという誌上アイドルオーディション・システム。
この「モモコクラブ」が「おニャン子クラブ」のプロトタイプ。
モモコクラブオールナイターズおニャン子クラブの源流である。
モモコクラブ出身者には、鈴木保奈美や田中美奈子なんてビッグネームもいる。今となっては黒歴史かもしれんが。
 
島田奈美は1986年にモモコクラブからアイドルデビューした正統派清純アイドル。
清楚なルックスと良質なアイドルソングで売ったひとだったが、時代的にきわめてタイミングが悪かった。
1986年というと、世間はおニャン子全盛期。アイドルまとめ売り価格破壊現象の真っ只中。おニャン子ブームが去ったあとは、空前のバンドブームにより、アイドル冬の時代。ピンで正統派アイドル出して売れる状況ではなかった。
もう、世に出た時代が悪かったとしか。
島田奈美のシングルはオリコン10位くらいに入る程度には売れていたので、「B級」とは言いがたいのだが、おニャン子ブームとバンドブームの影に隠れてしまい、どうしても「B級」感が漂うんだよなあ。申し訳ないけれども。
なんでこのひとのことをいま思い出したかというと、冒頭のTwitterの「性的存在であるがビッチではいけない」発言から、このひとの存在を思い出したから。
このひとね、「性的存在であることを拒否していたアイドル」だったんで。
潜在的、もしくは間接的であっても性的存在であることをある程度は誇示しないと「男子の異性に対する幻想の投影装置」としてのアイドルで居続けることは難しい。ましてやライトエロ本「Momoco」出身。ビキニはダメでもスクール水着くらいは披露してナンボの職業だと思うんですがねえ、このひとは水着でさえ頑なに拒否していました。
アイドル冬の時代に、正規の商品を正規の価格で売ろうとしても売れません。
ましてや水着(微エロ)も売らないっていうのは、もはや正規以上の価格をつけていたようなもんだろう。
エロを封印するかわりに飛び抜けて歌唱力が高かったりすれば話はまた別なのだが、そういう「売り」があったわけでもなかったので。
4年くらいは頑張ったと思うが1990年に引退した。「可愛い」と「清純」だけで4年持てば立派だと思いますがね。
80年代にエロ要素を完全に封印して4年もやれる人材はそうそういなかったと思うし。
 
 

 
島田奈美は、実は引退してから、「素材」としてかなり面白い転がされ方をしている。
本当に稀有なケースなんだが。
島田奈美というひとはアーティスト志向を持ってたひとで、自分の楽曲の作詞をしたりもしていたが、楽曲のハウスリミックスを寺田創一に依頼して、「MIX WAX」リミックス盤(1989)をリリースしたりしていた。
寺田創一はエンジニアつーか作曲家つーかリミキサーつーかアレンジャーつうか。とにかくデジタル系のひとでゲームミュージック等で有名だ。
「SUN SHOWER」は88年に発表された曲。
元の曲は普通のアイドルソングなんだが、1989年に寺田創一がそれをリミックスしてダンスミュージックに仕立て上げた。


何度も書いていることだが、80年代後半はアイドル冬の時代。フツーのアイドルポップスは衰退しちゃって、まず売れない。それでアイドルを「ロックバンドのボーカル」にパッケージを変えて売り出す手法が取られたりした。あんまりうまくいきませんでしたがね。
もうひとつの、冬の時代のアイドルの活路としては「ダンスミュージックのエッセンスを取り入れた楽曲を出す」つうのがあった。ダンスミュージック…当時のそれは、よーするに「ハウスミュージック」。
80年代後半からバブル終焉まで、日本は空前のロックバンドブームに沸いていたが、世界的な音楽の流れはロックからダンスミュージック(ヒップホップ、ハウス)へと移行していたのである。
簡単に言うと、世界規模では89〜90年の時点で「ロック」は既にオワコン。
ヒップホップやハウスに代表されるようなクラブミュージックこそが時代の主役となって来ていた。
世界っつってもアメリカと西欧だけの話だがな。やや引っかかるけどまあいいや。ここでそのへん追求すると話の軸がブレるから。
 
話を戻す。
島田奈美がアイドル引退(1990年)したあとの展開が面白い。
この、寺田創一がリミックスした「SUN SHOWER」を、寺田本人が買い取り、それをホワイト盤(レーベル面に何も書かれていない真っ白いレコード。見本盤・ブート盤・プロモ盤などの非売品)としてプレスして、ニューヨークのクラブで配布したんですわ。そしたらクラブでウケて、なんとガラージュハウスの帝王・Larry Levanラリー・レヴァン)による「SUN SHOWER」リミックス盤までリリースされてしまった。

 

 

ハウスに興味ないひとにとっては「それが何か?」って話だろうが、これとんでもない話っすよ。
90年前後に小泉今日子中山美穂がハウス歌謡の曲を出したりしたが、それとはワケが違う。
なんせ正真正銘「伝説の」DJ、ラリー・レヴァンが手掛けてる作品だから。
ジャパンマネーでラリー・レヴァンの横っ面ひっぱたいて無理矢理やらせたわけではなく、彼ほどの大物が自発的に作った作品なんで、ホントにすごいわけ。
NYのゲイ・クラブで(ハウスは元々ゲイ・カルチャーである)ラリー・レヴァンがまわした日本人の音楽なんて「SUN SHOWER」くらいしか無いんじゃないすかね。後にも先にも。


 
 
島田奈美 - SUN SHOWER (1991) Larry Levan Mix
  

 
今聴くとフツーです。つーか、ぶっちゃけPerfume。凝ったリミックスのダンスミュージック+アイドルボイスって意味でね。Perfumeはハウスというよりテクノだけどさ。
現代に生きる我々の耳は、「すんげー凝ったリミックスのダンスミュージックの楽曲に、なぜかアイドルボイスが乗っかる」というアプローチにすっかり慣れちゃってんですよ。Perfumeとか、きゃりぱみゅとかね。90年代中盤の小室サウンドもそうだったな。
だから、今Nami Shimada「SUN SHOWER」Larry Levan Mix を聴いても、ハウスに興味ないひとには極々フツーの楽曲に聞こえる。
でも1991年にはおっそろしく斬新でした。
ハウスの音源にアイドルボイスが乗っかることにかなり違和感あったな。
当時はその違和感が面白がられてたわけだけど。
 

あ、わたし実は寺田創一がNYで配布したという「SUN SHOWER」ホワイト盤持ってんですわ。
いや、レアものだから、いつか小遣い銭に困ったらヤフオクで売ろうと思って。
そしたら数年前にオランダのレーベルからCDで再販されて俺涙目。
これはあれですね。株式用語で言うところの塩漬け銘柄ってやつっすね。
まだ買値よりは時価評価が下落してないとは思いますが。
悔しくて売るに売れない。
 
 


それと、冒頭のTwitterの話だけど。
わたしだったら、スルー。
「異性に対する都合のいい幻想を無くす」って不可能ですもん。男女ともに。
恋愛の大半はそういう幻想で成り立ってる部分があるからねえ。
需要があるなら供給が出てくるのは当然のことだろう。
わたしは適性がないから供給側になる気は今も昔もゼロなんだが。
「女子たる者は男子の幻想を演じなければ存在価値がない、つう愛されスイーツさん達の価値観の提唱は呪縛以外の何者でもない」という人間もいれば、「自立した人間として個を確立するより、愛されスイーツでいるほうが自分らしく生きていける」って人種も確実に存在するってことですよ。
適材適所って言葉もあるしな。
見てる世界が違うんだから、犯罪に直結しない限りは他人の価値観や信仰はほっといてやれ。ひとの生き方に正解はない。
相互干渉せんと、てきとーに共存しときなされ。
無責任ですまぬ。
 
 
 

 

成長因子 育毛剤