前世紀遺跡探訪<80s-バブル終焉>

80年代~バブル文化圏終焉(実質的なバブル崩壊は91年だが、バブルの延長的な空気が即終了したわけではないので90年代前半までとりあえずバブル文化圏と仮定しとく)の音楽や音楽をとりまく事象について、あれこれと。

ラ・ムー - 愛は心の仕事です(1988)

何度もここで書いてることだが、歌謡曲というのは流行音楽・大衆音楽・商業音楽である。広い範囲で、多くの人に売れることを目的としている音楽をわたしは「歌謡曲」と定義している。
「多くの人に売る」ということを目的としていない音楽は歌謡曲とは言わない。
ロックが偉くて歌謡曲は偉くないだとか、アーティストは高尚で歌謡曲歌手は低俗だとか、そういう対比は意味が無い。
優劣の問題ではなく、目的が違う。「多くの人に売れたい」か、そうでないか。それだけの問題だ。ホントに何度も書いていることだが。
そして、日本文化はリミックス文化であり、「歌謡曲」とは、「外来音楽のいいとこどりと換骨堕胎」と土着音楽の混血音楽である。
これもここで何度も書いていることだが。
 
 
が、バブル終焉(1991年)頃までは、「歌謡曲」と「ロック」は対立概念だった。
なぜ対立概念だったかというと、理由はGSの時代までさかのぼる。
お若い方はご存じないだろうが、GSとはグループサウンズのことである。実はわたし自身もGSをリアルタイムで体験してないので、表象としてしか理解していないのだが、「ビートルズに影響を受けてエレキでバンドを結成した日本の若者グループ」を、1960年代後半は全部「GS」でくくった。音楽的にはロック・ポップス・フォーク・ムード歌謡のごった煮で、音楽志向はバンドによってバラバラだった。GSのピーク時(1968年)には、なんと100組以上ものグループがメジャーデビューしたそうだ。
が、当時の日本の音楽業界というのは、まだまだ旧態依然としていたので「ロック」というものを咀嚼できなかった。そりゃそうですわな。当時は「ロック=若者を狂わせる悪魔の音楽・非行化の原因」ですからね、全世界的に。日本でもGS=不良の音楽でした。
また、当時の日本の音楽業界にはシンガーソングライターという概念が無かったため、「作詞家・作曲家・歌い手」という歌謡曲の構造をそのままGSに持ち込んだ。50年代のロカビリーブームの時はそのエッセンスだけをうまいこと歌謡曲に取り入れて金儲けに成功できたんで、GSもイケると思ったんだろうね。でも、「ロックバンド」という形態を当時うまいこと歌謡曲に換骨堕胎できず、GSはたった2年でポシャってしまった。「ロックバンド」をメジャーな商業音楽にすんの、当時はまだ、すんごく難しかったんでしょうね。
 
以降、レコード業界側にとっては「ロックは金にならない音楽」となり、バンド側にとっては「商業主義に抗うことこそロック」となった。
日本の音楽業界においてロックと商業主義が融合したのは「1980年代中盤〜バブル終焉までのバンドブーム」からである。
が、「ロックと歌謡曲は対立概念」という構造は、1990年代「J-POP」という言葉が定着するまで続く。
「J-POP」という言葉が定着してからというもの、あらゆるジャンルの流行音楽は全部「J-POP」に吸収され、「ロックと歌謡曲が対立概念」なんて旧世代の常識は消滅した。つうか「歌謡曲」という呼称自体が消えてなくなった。
「J-POP」という言葉が音楽業界に定着したのは1993年ごろからだが、これはもうホントーに便利な言葉で、歌謡曲もロックもファンクもレゲエもヒップホップもハウスもテクノもR&Bも全部、包括してしまった。
いまは流行の音楽は何でも「J-POP」で片付く。音楽的にもホンットーにあらゆるジャンルのごった煮で、リミックス文化もここに極まれりという混沌とした様相を呈している。「歌謡曲」以上に滅茶苦茶だよな、「J-POP」って。
 
 
 
が、80年代後半、日本中を席巻しつつあったバンドブームの渦中で、「ロック」も「歌謡曲」も飛び越えたとんでもないバンドがデビューした。
ロックが商業音楽になったとはいえ、まだまだ歌謡曲とロックが対立概念だった1988年のことである。そんなくだらない対立概念なんて枠組みさえ、軽く凌駕するような、鼻先で笑い飛ばすような、臍で茶を沸かすような、本当に恐ろしいバンドだった。
 
「RA MU(ラ・ムー)」。
 
ラ・ムーとは80年代中盤のトップ・アイドル菊池桃子が結成した伝説のロックバンドである。
枕詞ではなくマジで伝説。そのへんはリンドバーグとは比較にならん。
ラ・ムーはあまりにも時代を先取りしすぎていた。それどころか「いまだに時代はラ・ムーに追いついていない」といえば、どれだけ凄いバンドだったかおわかりいただけるであろうか。
その当時はマジだったものが、時代を経ることによってネタ化することは、まま、ある。
バブルファッションなどはその典型。あのぶっとい眉毛も、肩パッドも、トサカ前髪も、現代から考えるとネタにしか見えないのだが、バブル期は「それがかっこいい」と信じてみんなマジでやっていたのだ。
「ラ・ムー」の恐ろしいところは、その当時からネタだったことに尽きる。
今振り返ってもネタだが、渦中にあってもネタだったのだ。
 
 
前回の「リンドバーグ」の項でもちょっと触れたが、80年代後半はアイドルが売れない「アイドル冬の時代」だった。
アイドルに代わって時代を席巻したのは「ロック・バンド」。
80年代中盤より空前のバンドブームが始まり、バブル終焉まで続いた。
そのバンドブームの時期に、アイドルが「ロック宣言」するのがちょっと流行ったのである。
フツーにアイドルやってても売れない時代だったんでねえ、パッケージをロックに変えて売ろうって試みがあったんですよ。
んで、なんと菊池桃子が「ロックバンド」結成。
※「ラ・ムーの主要なメンバーたちは実は誰もロックバンドを名乗ってない」という説もありますが、マスコミは当時こぞって「菊池桃子がロックバンド結成」と報道してたし、夜ヒットでも「桃子ちゃんは今度ロックをやるんですって」と紹介してたし、一般人の認識も「一応ロックバンド」であると思われるので、ラ・ムー=ロックバンドであるという前提で話をしますが。
いやー驚いた。本気で驚いた。
この時の衝撃をどう説明していいのかわからない。
現代の事例に置き換えると「氷川きよしが突然ラッパー宣言」ぐらいのインパクトがあったといえば、お若い方にも伝わるだろうか。
いや、その100倍はインパクトがあったな。
では「成海璃子がモヒカン刈りでパンク宣言」といえば……あっこれはある意味妥当か。
とにかく菊池桃子というひとは80年代中期の、押しも押されぬトップアイドル。
常に直立不動で、腹に力の入らぬささやくようなか細い声で、フォトショのぼかしフィルタかかったような柔らかい笑顔で、可憐なアイドルソングを歌い上げる超清純派。
よく腹を手で押さえるジェスチャーで歌っていたので、「桃子ちゃんは歌っている最中よくお腹を押さえていますが、お腹が痛いのですか?」などというしょーもない質問が視聴者から歌番組に寄せられるような、そんな馬鹿馬鹿しい質問さえネタ化しないという、「アイドル」として格上げされた存在だった。
それが、いきなりのロック転向宣言ですよ。
ロックっつったらシャウトですよ。
桃子のへろへろボイス…いや、ウィスパーボイスで、一体どんなシャウトを。
つか、ロックボーカリストとして一体どんなステージアクトを。
だって桃子は基本直立不動なのよ?
マイクスタンドぶん回して火ぃ吹いて客席にダイブとかすんのか桃子。
いやー不安だったねーいろいろ。
杞憂でしたが。
つか、現物見たら想像以上でした。
何が凄いって、ロックバンドを名乗ってるのにロック演ってねえとこ。
「ロックとは生き様である!セックス・ドラッグ・ロックンロール!」という精神論的な意味での「こんなのロックじゃない」じゃなくて、純粋に楽曲のジャンルとして「ロックじゃない」。
まあ皆さん聴いてみてくださいよ。
 
 

 
ラ・ムー - 愛は心の仕事です(1988)
 
 
桃子、それロックやない。ファンクや。
ファンクつうか、ブラコン。ブラック・コンテンポラリー
歌詞は倒置法の多用で意味不明で滅茶苦茶。
謎の黒人バックコーラスはいるし、直立不動だった桃子が右に5歩、左に5歩動くし(当時古舘伊知郎にそう揶揄されていた)。
ファンクにしたって歌唱方法は本来シャウト系のはずなのに桃子は腹に力の入らぬウィスパーボイスのまま。
しかもそのウィスパーボイスでラップまでしてるし。
ファンキーなサウンド&肉厚なバックコーラスにかぶさる、桃子のへろへろボイス。なんというミスマッチ。なんというカオス。
この衝撃をどう説明していいかわからない(2回目)。
おそらくリアルタイムでラ・ムーの衝撃を通過した人間の殆どが「これにどう対処しろと?」という気分になったのではないかと邪推。
Wikipedia菊池桃子の項を見ると、
 
 
菊池自身は別に脱アイドルを意図したわけでも、ロックバンドを結成したかったわけでもなく、単に「ロック色を強めた楽曲を取り上げたい」とスタッフに話したら、どのように伝わったのか、歌謡ロックバンドに仕立て上げられ、不本意であったとコメントしている。
 
 
と書いてある。
どんな伝言ゲームでそういう展開になってしまったのか、企画会議に紛れ込んでみたかった。
いや、歌謡ロックじゃないだろJK。
歌謡ファンクですらない。
あれはファンク&ブラコン&ラップとアイドルボイスの織り成す歌の宝石箱。
それを「ロックバンド」のカテゴリに無理やり入れた、ロックのIT革命や〜。
筋肉少女帯「パンクでポン」で、大槻ケンヂ
 
本当のロッカーとは! 本当の、ロッカーとはなあ!
「ラ・ムー」のボーカリスト!!
菊池!桃子さんだあーっっっ!!
お前ら桃子さんを見習え! お前見習ってるか桃子さん、オラ
お前、愛は心の仕事だ馬鹿者! 

 
と絶叫したが、その叫びに心の底から同調するよ。

パンクでポン!~大槻ケンヂ~筋肉少女帯 - ニコニコ動画
 
 
 
ネタの賞味期限というのはとんでもなく短い。
一世を風靡したネタも、あっという間に消費しつくされて消えていく。
ラ・ムーは1988年のデビューから現在に至るまでの24年間、ネタとしての鮮度を保ち続けているのだ。
これは本当に凄いことですよ。
ていうかトラックのクオリティが無駄に高いところがなお凄い。
今聴くとファンクにかぶさる菊池桃子の声ってなんだか無機質でボーカロイドみたいだな。
そういう意味でも時代の先取りだったが、バンドブームに浮かれる我々に「ロックとは何ぞや」という問題提起をつきつけ、ロックという既成概念を破壊したことこそ、ラ・ムーの真のロックンロールレジェンドであった。
 
 
 
 
 
 
※追記(2013/1/11)
http://regista13.blog.fc2.com/blog-entry-50.html
2013年の時点でも「アイドル」と「ロック」が対立概念になっとるとは思ってもみませんでした。
「J-POP」というめちゃくちゃで混沌とした言葉が「発明」された時点で、既に無意味になったかと思ってた。
つうか、もうずっと、アイドルVSロックという議論はおんなじところをグルグルまわってんだな。
下手すっと四半世紀以上もの間。



成長因子 育毛剤

LINDBERG - 今すぐ Kiss Me (1990)

ニュース等で、「人気ロックバンドの…」という枕詞が出るたびに「えっ誰?誰?誰が何したの?」とワクテカ状態でニュースに注目してるのに、大概「誰それ知らんわ」という人ばかり報道されてガックリしている人として最低なわたくし。
「人気ロックバンド」と「そうでないJ-POPバンド」の判断基準がわかりません。

てか、「人気ロックバンド」という枕詞も謎だが、もっとわからないのはじつは「伝説のロックバンド」だったりする。
リンドバーグ再結成で「あの伝説のロックバンド、リンドバーグが…」という枕詞がマスコミに飛び交った時には耳を疑った。いやマジで。「伝説」って言葉もずいぶん安くなったもんだと思って。
「バブル期にそこそこ売れたJ-POPバンド」じゃダメなのかよ。



でん‐せつ【伝説】
[名](スル)

1 ある時、特定の場所において起きたと信じられ語り伝えられてきた話。英雄伝説・地名伝説など。言い伝え。「浦島―」

2 言い伝えること。言い伝えられること。また、うわさ。風聞。



「あの伝説の」というからには語り継がれる存在ということだよな。となると、よほど売れたか、よほどインパクトがあったか、よほど影響力があったか、もしくは後世に語り継がれるようなトンデモな逸話の持ち主か。
功績よりも逸話に事欠かないほうがある意味「伝説」だというのなら、日本ロック界におけるそういう「伝説」は、「X JAPAN」と「ハナタラシ」が全部持ってった。興味があったらWikiってみるといいすよ。「ハナタラシ」は特に強烈だから。
ハナタラシ - Wikipedia

いやしかし、実はリンドバーグも、ステージでギター燃やしたりギターを歯で弾いたり全身の血を入れ替えたりステージでウンコ食べたり教会に放火したりするような「ロック伝説」を持つバンドなのかもしれませんね。 単に私が知らないだけで。
リンドバーグも、ステージでコウモリ食い千切ったりチェインソーふりまわしたりライブハウス破壊したり会場にダイナマイト持ち込んだり蟻を鼻から一気に吸い込んだりカレーが辛くて帰ったりしてるのかもしれない。単に私が知らないだけで。
 
芸能ニュースで使用される枕詞「伝説の」は、スポーツ業界の「美人」や、犯罪被害者の「美人」と同義語なのはわかるんですがね。
リンドバーグは誰も語り継いでないのにマスコミが「伝説の」って枕詞をつけるのが引っかかるんですよ。あまり意味のない枕詞だってコトも一応わかっちゃいるんですがね。
 
 
 


LINDBERGリンドバーグ)は、バブル期にそこそこ売れた「人気ロックバンド」である。
結成は1988年、ボーカルの渡瀬マキは元アイドル。
はいここ重要。このバンドを解析するにあたっての最重要キーワードは「1988年結成、元アイドルがロックミュージシャンに転身」である。このキーワードから何が浮かび上がるかというと「バンドブーム」である。
「バンドブーム」という補助線を引かないと、このバンドの意味を見間違う。
 
(実は日本でバンドブームと呼ばれているものは幾つかあるのだが、ここでは1980年代中盤からバブル終焉までの時代を指して使用する。)
 
1985年、おニャン子クラブの出現によって80年代アイドルブームに終止符が打たれ、「アイドル冬の時代」が始まった。
秋元康にあれだけ大々的なアイドル価格破壊・アイドル焦土作戦をやられちゃあねえ、おニャン子ブームが去ったあとの芸能界は、「フツーのアイドルをフツーに売ろうとしても全然売れません」って状況になっちゃうわな。そこにタイミングよく「バンドブーム」がやってきたのである。80年代中盤以降、「金の儲かるエンターティンメント」としてロックバンドがメジャーに次々と進出した。BOØWYレベッカ等の台頭から始まり、1985年ごろからインディーズブーム(当時は単に自主制作盤といわれていたが、雑誌「宝島」とNHKがインディーズブームを煽って加速)が勃興、それにホコ天バンドブームが合流し、1987年ごろには「バンド」はかなり若者カルチャーとしてメジャーな存在になっていた。そこに決定打イカ天ブーム(1989年)が加わり、「バンド」は一大ムーブメントとなった。まさに「ブーム」。
いやもう、猫も杓子もバンド、バンド。バンドブームピーク時の1991年には510組もメジャーデビューしたんだそうだ。もはやバンドだったらなんでもいい状態だった。こんだけ「ロックバンドがメジャーデビュー」の敷居が下がった時代はあるまいよ。思えば異常な時代だった。
で、そんな背景の中から「フツーにアイドルやってても売れないので、アイドルをボーカルに据えてロックバンドとして売り出そう」という流れが生まれてきたのである。「パッケージを変えたら、以前パッとしなかった商品が売れた」ってのも、よくある話ですね。80年代後半の日本音楽業界ではそのパッケージが「ロックバンド」だったわけです。
リンドバーグだけでなく、当時いろんな物件が「ロックバンド」化しましたよ。ははは。菊池桃子最大の黒歴史ロックバンド「ラ・ムー」がデビューしたりとか、本田美奈子がロックバンド「minako with wild cats」を結成したりとか。
リンドバーグは、「バンドブームの渦中にアイドルをロックのパッケージで売り出す」ビジネスモデルの成功例です。
「伝説の」という枕詞はどうかと思うが、当時、確かに結構売れた。
 
 
 
森脇真末味の「おんなのこ物語」に「学園紛争やヒッピー・ムーブメントが終わりをつげ、ロックだけが70年代に生き残った。ロックはメッセージを失い、金のもうかるエンタテイメントとなった」というNHKの音楽ドキュメンタリー番組からの一説が引用されていたが、これを初めて読んだ頃は(1981年ごろ)日本ではロックはマイナーでアングラ、金を産み出すコンテンツとは無縁のところにいた。NHKからの引用は、当時の海外ロックビジネスの状況のことらしいが、ロックって当時の日本では決して商業用コンテンツじゃなかったからさあ。当時の音楽業界のメインストリームはアイドル、演歌、ニューミュージックだったもんで。それ全部ひっくるめて「歌謡曲」って言ってたけど。
 

森脇真末味「おんなのこ物語」
 
 
このマンガではこのあと、「経済大国日本には商品化できないモノなんて無いのかも」と台詞が続く。
「バンドブーム」によって日本のロックがホントに商品化してしまったのは、この数年後のことだ。
 
わたしは「ロックとはカウンターカルチャーであり、反骨精神であり、メッセージであり、生き様であり、イデオロギーであるべきだ」「セックス・ドラッグ・ロックンロール!」とは、実はぜんっぜん思ってないような人間だ。
軽佻浮薄な80年代に青春送ったせいか、どうも照れくさいんだよ。「ロックンロール・スピリッツ!」「俺たちにはロックがある!」みたいな過剰なロックに対する信仰心がね。
70年代に青春送ったひとは、このへんすごい思い入れあるよな、ロックに対して。もう「宗教」に近いような。
中島らものエッセイ読んでても、一番「ついてけねー」と思うのはロックという宗教に対する、あの世代の人々の信仰心だったりする。
まあつまり、わたしは「ロック」なんて別に、単なる「音楽嗜好・音楽ジャンルの1種」であり、エンタメでいんじゃね?「ロックは生き様」とか、なんかこっ恥ずかしいんだが。程度の思い入れしか持たないような、しょーもない人間なわけなのですが。

そんなわたしを以ってしても「猫も杓子もバンドブーム」には驚愕と混乱と戸惑いがあったよ。
だって「バンドブーム」によって「ロックバンド」というものが「商業用コンテンツ」として初めて日本の音楽業界ビジネスモデルとして成立したわけじゃん。
んで、ロックをロックたらしめている「アク」を抜かなきゃ商業用音楽として成り立たないし、メジャーで売れないってこともよっくわかってたつもりなんだがさ。
ねーねー、確かに演ってる音楽は、形式としては「ロック」だよ。演奏してる人たちの服装も、様式としては「ロック」だよね。
でもさ〜、ここまでアク抜いちゃっていいの〜?
ここまで健全で、健康で、人畜無害で、元気いっぱいで、明るくていいの〜?
ロックってもっと不健全で、毒があって、反体制的で反社会的なものじゃなかったっけか〜って、わたしでさえ戸惑った。
バンドブームって「ロック」からアクを抜いただけでなく「70年代的信仰」まで取っ払ってったな。
商品化して形骸化してペラッペラにされて、「歌謡曲」に吸収されて「J-POP」と名を変えた。
でも、この一連の流れのおかげで「日本でロックやってメシが食えるようになった」んだから、悪いことばっかでもないわけなんだが。
 
 

LINDBERG - 今すぐ Kiss Me (1990)

 
け、健全だ…
健全で健康的で人畜無害で明るくて元気いっぱいで眩暈がする。
眩しすぎて意識が遠のくよ。
いやあ、ロックも「日の当たる場所」が似合う音楽になったもんですわ。
実態が「ロックバンドに擬態したアイドル歌謡曲」であっても本人達が「ロックバンド」とアイデンティファイしてんだから、まあ、ロックですわな。
これってトレンディドラマ「世界で一番君が好き!」主題歌だったんだよな。
思えばトレンディドラマっつうのも異様な世界だった。設定やストーリーは既にSF。あの三上博史によくもまああんな役をやらせたもんだ。三上博史って寺山修司の秘蔵っ子だからね。デビュー作が「草迷宮」という、いわばアングラエリート。それがドラマのOPで浅野温子とキスしまくり。あくまでも軽く明るくおされにコミカルに。お、恐ろしい………
三上博史って、どー考えてもそっちの世界の人じゃないのに。
ドラマやCMのタイアップでないと音楽が売れないという状況が始まったのも、思えばこの頃。
音楽番組がTVから消えてしまった時期なので、どんな名曲でもどんな駄曲でもドラマやCMとタイアップしないと人々の耳に届かなかった。
 
 
「バンドブーム」も「トレンディドラマ」もバブル終焉とほぼ同時に終了。
トレンディドラマは徐々に終息していった印象があるが、バンドブームはホントにバブル終焉と同時にピタッと終わった。「いったい何だったんだ、あのバンドブームは」というぐらい、あっさりと終わった。瞬間最大風速が凄いと失速すんのも速いな。
 
リンドバーグはピークは90年代初頭だが、2002年まで活動してたんだな。
バンドブームを背景にして出てきた人たちだが、「バンドブームの立役者」ではなかったので、そこまで長く続いたのかもしれない。
いずれにしても、バンドブーム終了後のあの過酷なリストラの嵐の中を生き抜いてきたのはすげーとしかいいようがない。
「伝説の」とは言い難いが(しつこい)。


 

 

成長因子 育毛剤

「ザ・ベストテン」に関する雑談

ザ・ベストテン」は1978年1月からTBS系列局で生放送されていた音楽ランキング番組。
終了したのは1989年9月。
番組スタートから、視聴率やシステムが軌道に乗るまで1,2年かかっているから、「80年代物件」と定義していいだろうと個人的に判断。
今この番組について語りたくなったのは、「ザ・ベストテン」のディレクター・プロデューサーを担当した山田修爾氏の著作を読了したから。

 

 
この本には
 
“ベストテンの集計方法は、リクエストのハガキ、レコードの売上、ラジオのランキング、有線放送のランキングの要素の重要性に応じて比率を算出して、その集計した数値を総合的に判断し得点化したもの”
 
と書いてあった。
番組開始時の配点比率は「レコード30:有線10:ラジオリクエスト20:はがきリクエスト40」の割合だったが、ファンによるハガキの組織票が横行したため、「1979年 レコード30:有線10:ラジオ30:はがき30」→「1981年 レコード45:有線10:ラジオ21.9:リクエスト23.1」→「1986年 レコード60:有線10:ラジオ10:リクエスト20」と、たびたび配点比率を変更している。
「ランキング形式の客観性の保持・集計にウソをつかないという番組方針で、組織票を排除するため、ハガキは同じ筆跡のものは除外する」と本には書いてあり、10名ほどのハガキ担当のアルバイトさんがかなり苦労していたようだ。なんせ毎週20万枚以上のリクエストハガキが届いていたそうだから。
 
ところで、Wikipediaの「親衛隊(アイドル)」の項目を見ると、なかなか興味深い事が書いてある。特に「支援活動」に注目。
 
 
親衛隊 (アイドル) - Wikipedia
 
 

リクエストはがき書き
当時のランキング番組『ザ・ベストテン』・『歌のトップテン』等へのリクエストはがきを組織票として大量に書き、一気に投函する。費用は所属事務所やレコード会社が負担する場合が多い。親衛隊が事務所公認の場合の活動である。同様の活動に有線ラジオ放送へのリクエスト電話も行っていた。
 
レコード買い
新曲発売時期にオリコン加盟のレコード店を数多く回り、組織的に購入しランキング順位を上げる。こちらも費用は所属事務所やレコード会社が負担する。
 
販売
コンサート会場、イベント会場では事務所側から依頼され、コンサートパンフやグッズの販売等に 親衛隊の隊員が使われたケースもある。
 
事務所公認・新人支援
1980年代には親衛隊を事務所公認とする芸能プロダクションも増えだし、これらの活動の見返りとして、タレントとのお茶会や食事会等を定期的に行うところや、コンサート等で親衛隊用のまとまった席を確保したり、特別なケースだと親衛隊獲得のために現金を差し出す事務所まで出てきた。特に新人アイドルの場合、これらの支援活動が強力なプロモーションであると認識され、事務所側としては親衛隊の応援・組織的動員力は喉から手が出るほど必要な状況であった。

 
 

ははは。これ読むと「ランキング形式の客観性」なんて「絵に描いたモチ」だということがわかりますね。
てか、親衛隊による組織票なんて可愛いもんだ。
「業者による組織票」ってのが実際にあったから。
ソースは自分自身。
わたし「業者による組織票」のアルバイトっつうのをやったことがあるんです。
たしか1985年か1986年か1987年。もう覚えてない。
「業者」とは「芸能事務所・もしくは所属レコード会社の下請け」。「下請けの下請け」か「下請けの下請けの下請け」かもしれない。
いや別にわたしに怪しいツテやコネがあったわけではなく。
普通に当時の求人誌に「簡単なお仕事・名簿作成」って掲載されてたんですよ。でも見るからに怪しさ満載な求人広告で。
つい応募しちゃったわけです。
「身の危険を感じない程度に怪しい物件にはとりあえず首を突っ込む」という自分の性格が恨めしい。
面接に行ったら名簿とハガキの束を出されましてですね。
ザ・ベストテン」宛に某アイドル歌手のリクエストハガキを書け、と。
差出人住所はこの名簿からどんどん使え。
筆跡を変えろ。
筆跡が変えられない場合は字の大きさを変えろ。
ネタが尽きたら字の色を変えろ。
それでもバリエーションが尽きたらレイアウトを変えろ。
とにかく組織票とバレないように、全部書式を変えて書け。
印刷はダメ、必ず手書きで。
イラストは描かなくてもよい(時間がかかるから)、メッセージは適当でいい。
でも、決して雑になってはいけない。
最初は大変だがコツをつかめば簡単である。
報酬は出来高制で、500枚仕上げたら10000円、800枚仕上げたら20000円…と枚数に応じて昇給するが、500枚以下で挫折したら報酬は支払わない。

というもの。
まあとりあえずやってみようか。ここまでウラ話聞いちゃうとタダでは帰れなそうだし。と、大量のハガキと名簿もらって帰って来たんですが。
ごめんコツ掴む前に挫折したわ。
手ぇ痛え。
ただ字を書いてるだけの行為でこんなに腕が痛くなるとは。
つうか「適当でいいが雑ではいけない」ってかなり難しいぞ。
そんでレイアウト変えろって言われてもテンプレがないから結局全部自分でレイアウト考えろって話じゃん。
30枚ほど書いたところで、わたしはペンを置き、冷静に考えた。
いや、1枚書いたあたりで「これヤバくね?」と思ったことは思ったんですが。
このまま500枚書いたらおそらく腱鞘炎になるだろう。
完治までに整形外科に数回通うことになるのでは、10000円ごとき報酬をもらっても全くワリが合わん。
つか、時給幾らだよ。30枚書くまでにどれだけ時間を費やしたかちょっとは脳味噌使って計算するんだ自分。
…時給換算約200円じゃん。うわあ。
世間はバブル前夜。
可愛い服着れて、美味しい思いができて、ついでにステキ男子とバイトを通じてお知り合いになれる可能性もあるような、高い報酬のアルバイトなどナンボでも転がってるのに、一体自分はなんでこんなコストパフォーマンスの悪い、変な内職をしとるのかと。全くもってワリにあわん。
引き受ける前に気付けよアホかって話ですが。
自業自得なんですが。
翌日、結局30枚だけ業者にハガキ渡して帰ってきました。残りの白紙ハガキと名簿もそのまま返却。
タダ働きですよ。いや、実質マイナスか。交通費がかかってる。
つか、この内職やった人間は殆ど全員タダ働きだったんじゃないすかね。
報酬もらう前に効率の悪さと手の痛さで挫折するから。
業者丸儲け。
 
 
というわけでランキング番組の「ランキング形式の客観性」なんてほぼ無意味。
あれはレコード(CD)売るためのパブリシティです。
実際の人気のバロメーターにはなりません。ハガキにしろ、CD出荷枚数にしろ、有線リクエストにしろ、ある程度は操作可能だから(あくまでもある程度。どんなにテコ入れしてもダメだったケースもあるだろうし、小細工ナシでもランクインできるほどパワーのある歌手もいるだろう)。
ネットが無い時代ならではの、実に牧歌的な数字操作方法でしたがね。
が、ランキング番組というのはランキング形式が無意味だからこそ面白いのです。
レコード会社や芸能事務所がどういう商品をどういう路線で、どういう消費者に向けて、どれだけ力を入れて「売ろう」としているか、その方向性が透けて見えるという点でね。
だから、そういう意味でも現代の「国民的アイドルグループAKB48」は面白いわけです。
あれは人気投票=組織票・多重投票であることが大前提でしょ。80年代だったら地下でこそこそ行われていた裏工作(暗黙の了解とはいえ一応秘密裏)を公表することで成り立ってる。
秋元康お得意の「ギミックをあえて公開」「たしかに組織票ですがそれが何か」ってやり方。
 
 
 
あ、山田修爾氏の著作「ザ・ベストテン」はなかなか面白かったですよ。
番組制作者側は実に真摯な姿勢で「ザ・ベストテン」に関わっていたことがわかります。
それと、わたしが30枚ほどリクエストハガキ書いた某アイドル歌手はまだ芸能界で健在です。
そのひとももうアイドルではないし。
ザ・ベストテン」という番組も、件の業者も、もう無いし。
他の歌手も当時多かれ少なかれ似たようなことをしてたんだろうし。
もう書いても時効だよなあ、このネタ。
個人名は一応伏せるけど。

 

 

成長因子 育毛剤