前世紀遺跡探訪<80s-バブル終焉>

80年代~バブル文化圏終焉(実質的なバブル崩壊は91年だが、バブルの延長的な空気が即終了したわけではないので90年代前半までとりあえずバブル文化圏と仮定しとく)の音楽や音楽をとりまく事象について、あれこれと。

米米クラブ - 美熱少年 (1988)

1980年代後半から90年代初頭にかけて日本は「バブル」期だった。
信じられないぐらいすごい勢いで日本中に金が回っていた。
給料も物価もあがる一方、景気は常に上向きで「今より悪くなること」なんて殆ど誰も考え付かなかった。
オタク業界でさえ金に浮かれていた。
「同人バブル」と呼ばれる狂乱の時代があり、キャプテン翼の801二次創作…かんたんにいうとホモ・パロディで、巨万の富を築いた同人作家がこの時期かなり存在したそうだ。同人誌の売上で家建てたとか兄弟の進学費用出したとか、そういう「伝説」がごろごろ転がってる。くっそう、自分もキャプ翼ホモエロ描いてりゃあ今頃、とか色々邪念が沸くな。描いたところで売れたかどうかは全く確証ないのにな。
 
が、バブル期にも関わらずバブルの恩恵を見事に受けられなかった業界もあったのである。
邦画業界だ。
バブル期はどん底だったんだね、日本映画界。ここ見るとわかるけど。
 
http://www.aoyama.ac.jp/research/insight/column_uchiyama/
 
上記のサイトの「映画館数と入場者数の推移」グラフ見ると、88年から94年くらいまでが日本映画界のどん底
この時期、やたらと異業種の人間を引っ張ってきて「映画監督」にしてたのは、邦画がどん底で話題性が欲しかったからなんだろう。
バブル期は、タレント・ミュージシャン・小説家などによる、いわゆる「異業種監督」が流行し、次々と映画監督デビューしてたのである。
 

その男、凶暴につき」 北野武(1989)
「家族輪舞曲」 椎名桜子(1989)
稲村ジェーン」 桑田佳祐(1990)
「カンバック」 ガッツ石松(1990)
「風、スローダウン」 島田紳助(1991)
「いつかどこかで」 小田和正(1992)
「河童」 石井竜也(1994)

 
この中で映画監督として「成功」したのは北野武だけか。「稲村ジェーン」って興行収入はかなりあったらしいが映画としてのクオリティ云々という話になると、えーと、むにゃむにゃむにゃ。
わたしはこういう「バブル期の話題性先行の異業種監督」は、映画会社がタレントの知名度目当てでギャランティ持参で持ちかける「やとわれ監督」だとばっかり思ってたんだが、「映画の興行失敗でタレント監督が莫大な借金背負った」って話が多々あるとこ見ると、「やとわれ監督」どころか私財持ち出しも実はかなりあったんだろうな。「映画制作の金の流れ」なんてタレントやミュージシャンはまったくの素人だから、いいカモが来たとばかりにさんざん毟られて終わりか。
…なんてことを  「米米」石井竜也が壮絶な過去を告白 借金10億、自殺未遂から立ち直ったきっかけ: J-CAST ニュース【全文表示】
の記事読んで思いました。
10億かあ…。映画ってハイリスク・ハイリターンだから、素人が下手に手ぇ出すと痛い目みるよな。
カールスモーキー石井というか米米クラブは前身が映研だから、映画やってみたいという気持ちは常にあったんだろうけど。
 
 

米米クラブは1982年に結成され、1985年にCBSソニーからメジャーデビュー(オーディション組でもインディーズ組でもなく、ライブハウスで話題→レコード会社のスカウト、というコース)したファンク・バンドである。
ええ、「ロック・バンド」じゃないんですよ。あれは「ファンク・バンド」です。初期はね。
音楽的にはファンク・ロック・ムード歌謡・ニューウェーブのごった煮。
初期はコントや寸劇もやってて落語やお笑いの影響も強かった。
いかにもアート・スクールの学生が結成しました、という「冗談」が基盤のスタンス。80年代的露悪趣味と「悪ノリ」。
ああいう、「ふざけたことを真面目にやる」「全力でふざける」というスタンスを打ち出したバンドを多数輩出したのが80年代という時代の特異性。
70年代の日本のバンドの多くは「真面目なことを真面目にやってた」からねえ。「ふざけたこと」をメジャーシーンでやりはじめて、しかもそれがリスナーに受け入れられたのはサザンオールスターズあたり(1978〜)からだろう。YMOがそれに「アート」を加味させ、いかにも80年代らしい「冗談」が基盤のスタンスが出来上がったという印象がある。「ビックリハウス」や「ヘンタイよいこ」などの「サブカルチャー」の流れもおそらくその系列上だ。
あと、「イケメンがおちゃらける」路線のルーツでもあるか、米米って。「イケメンなのにしゃべると3の線」つうのにグッと来る女子は多い。こういう路線のイケメンって男の嫉妬も買わないから二重にオトク。
 
 
 
米米クラブ命名の元ネタが「トムトムクラブ」なのは有名だが、バンドのコンセプトの元ネタはおそらく「kid creole & the coconuts(キッド・クレオール&ザ・ココナッツ)」だと思われる。
キッド・クレオール&ザ・ココナッツキッド・クレオールことオーガスト・ダーネルが率いるアメリカの大所帯ユニット。「ファンカラティーナ」といわれるジャンルの代表格のバンドである。「ファンカラティーナ」とは「ファンク+ラテン」を指す80年代の造語。「ファンク+ラテン+ニューウェーブ」って80年代初頭に一瞬流行ったんですよ。WHAM!(ワム!)とかも初期はファンカラティーナに分類されてた。でもまあ、キッド・クレオール&ザ・ココナッツがやってたのはいろんなジャンルの混血音楽だな。そもそも「クレオール」とは言語、文化などの様々な要素の混交現象を指す。
キッド・クレオール&ザ・ココナッツは日本でウィスキーのCMに起用されたこともある(1983)ので、CM動画見れば、「ああ、このひとたちかあ!」と当時を思い出すひともいるんじゃなかろか。
 
 

 
Kid Creole & The Coconuts on TVCF(1983)
 
 
 

 
Kid Creole & the Coconuts - Stool Pigeon (1982)
 
 
 
胡散臭いボーカルとそれに絡む変なおっさん、チャーミングな女性コーラス3人組(お色気担当)、バンドとホーンセクションとダンサーで構成される大所帯。
見ればわかるが、キッド・クレオールカールスモーキー石井、コーティ・ムンディ→ジェームズ小野田、ココナッツ→シュークリームシュ。
米米クラブのバンド・コンセプトはまんまキッド・クレオール&ザ・ココナッツの換骨堕胎である。
米米クラブWikipedia見てたら、下の方の「関連アーティスト」の項目に
 
キッド・クレオール&ザ・ココナッツ(Kid Creole and the Coconuts) - 93年6月、彼らが米米CLUBの楽曲をカヴァーしたアルバム「KC2 PLAYS K2C」をリリース。
 
とあった。ということはリスペクトっつーかコンセプトの換骨堕胎であることを米米クラブ自体が明言してるということか。
米米ってもともと「冗談」「パロディ」で結成されたバンドだしな。
米米クラブも多ジャンルの混血音楽なので、元ネタは多種多様。だが、根幹となる大きな元ネタは上述のキッド・クレオール&ザ・ココナッツと、もう1つ。「P-Funk」だ。
P-Funk」=Pファンク。「Parliament Funkadelic」。ジョージ・クリントンが1970年代に率いた2つのバンド、パーラメントファンカデリック。その周辺のファンクミュージックの総称である。
ジェームズ小野田というキャラ設定や、ライブ演出の元ネタがまんまPファンクなんすね、米米って。
 
 
 

 
Parliament Funkadelic - Bring The Funk (1976)
 
 
 

 
米米クラブ - 美熱少年 (1988)
 
 
米米のライブ、セットに金かかってんなあ。
さすがバブル時代。
演出・セット・衣装に金かけすぎ。
これ、ライブで散財してCD売上で回収してたパターンだな。
今の時代ではありえん。

 
ファンクやソウルの影響受けた歌謡曲は実は多い。
70年代歌謡曲には特に多い。キャンディーズ「その気にさせないで」「キャンディーズのテーマ」 、岩崎宏美「ファンタジー」 、浅野ゆう子「ムーンライト・タクシー」「セクシー・バスストップ」、アンルイス「恋のブギウギトレイン」、川崎麻世「ラブ・ショック」 、欧陽菲菲「恋の追跡」…
ドリフターズの「早口言葉」も、そういう「ファンク歌謡」の1種である。
 
米米クラブの真髄は「80年代ファンク歌謡」だと、わたしは思ってる。
米米の大ブレイク曲「浪漫飛行」「君がいるだけで」は個人的にはどーでもいい。ファンク色薄いから。
ファンクに合う声質してんのジェームズ小野田だからさ、ジェームズ小野田の活動が縮小して、カールスモーキー石井1人がメインボーカルとってると、あんまし興味がないのね。耳障りが良すぎる曲って引っかからないで右から左に抜けてく体質なんで。カールスモーキー石井メインボーカルのラブソングのが商業的にウケるのはわかるんだけど。まあこのひとたちもいつまでもアートスクールの学生の冗談・道楽でやってくわけには行かず、職業としてやってく以上は食ってかにゃいけないしね。いろいろ大人の事情もあるわな。
 
 
米米クラブは結成当初から全ての楽曲を「作詞・作曲(・編曲) 米米CLUB」とクレジットしていた。
クレジットを個人名ではなくバンド名とするのはギャラをメンバーで等分するためである。クレジットを個人名にしちゃうとね、作詞作曲に関与してないメンバーと、作詞作曲に関与してるメンバーとの間で10倍以上の収入格差が出ちゃうんですよ。で、大概、金の問題で揉めてバンド解散する。それを回避するためのユニット名クレジットなのだ。
が、1993年頃から米米クラブの作詞作曲クレジットがいきなり個人名義となった。
あーこりゃそろそろヤベーなと思ってたら案の定その数年後に解散。
やっぱりなーと思いましたですよ。
再結成後はクレジットを「米米CLUB」に戻してるが、90年代と違って、現代はもうCDが売れない時代なので、あんまし意味がないような気がする。
握手券でもつけないとCD売れないじゃん。
今の時代はもうCDの印税収入をめぐって揉めることなど起こりようがないような。
あ、カラオケ印税ってやつがまだあるか。
 
まあ、音楽家がCD(レコード)出すことで収入を得るという、20世紀後半の現象が今思えば異常だったんですけどね。
 
 

 

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戸川純 - 諦念プシガンガ(1984)

戸川純YBO2AUTO-MODやG-Schmittなどの日本の80年代アングラ音楽が好きだという外国人が結構いる。
とあるバンドをgoogleで検索してたら、やたらと英語のサイトがヒットするので気が付いたのだが。
アメリカ人だったりカナダ人だったりブラジル人だったり国籍はまちまちだが、これらの人々はとにかく異常に80年代の日本のアングラ音楽に詳しい。日本人でも余程のマニア以外は知らないようなマイナーなバンドの音源について、各々のサイトやLast.fm(英国発祥の音楽専門SNS)などで情報交換しあっている。

こんな感じだ。
 
G-Schmitt の音楽、動画、統計および写真 | Last.fm
 
戸川純 の音楽、動画、統計および写真 | Last.fm
 
 
上記サイトで「一言ボックス」や「ベストリスナー」見るとわかるが、コミュニティの参加者は殆どガイジンばっか。年齢は10代〜20代が多い。
そして、ものすごーく不思議なのだが、日本のこういうアングラ音源が好きだというガイジンは、なぜか高確率で丸尾末広が好きだったりする。プロフィール画像や自サイトに丸尾末広の画を使うひとがわりといるのだ。このひととか。
 
 
http://silencesilencesilence.blogspot.jp/
 
 

こういう嗜好って国籍や民族性を飛び越えた普遍的なものなのか。
にもかかわらず、彼等の大半は日本語を解さない。
不思議で不思議で仕方が無い。どうしてこういうジャンルに興味を持つようになったのか。日本語を解さないのに、どうやってそれらの情報を得たのか。
おそらく、だが。最初の最初のきっかけは日本のメジャーなアニメだったりコミックだったりゲームだったり、なのだと思う。アニメのOPで日本のバンドを知り、Youtube等で動画巡りしてるうちに関連動画からどんどんアングラ音楽につながっていった、って流れではないかと。1つハマれば、あとはLast.fmtumblrで情報交換しあって芋ヅル式にアングラ・サブカル道にどっぶりと、というコースだと思われる。

 
  
今の日本の現役高校生で戸川純のファンだというひとが一体どれぐらいいるだろうか。
椎名林檎あたりからの流れで戸川純を知ったという若いひとは珍しくないだろう。珍しくはないが、決して多くもないよな。1つの高校に数人いりゃー豊作ってレベルだと思う。
日本でコレだから、いわんや海外をや。
フットボールクォーターバックやってるような奴とチアリーダーやってるような奴がリア充ヒエラルキーのトップ」というアメリカというお国柄で、戸川純なんかにハマってるような高校生ってすんげえ希少種だろうよ。ネットは同好の士が集まりやすいからかなり居るように錯覚しちゃうけど。同類は「州に数人」ってとこだろう。あんたらアメリカやブラジルでは生き辛くねえか。いやー、大きなお世話だけど。なんか、気になってしょうがないよ。所縁も面識もない人達なのにね。
 
 
 
で、戸川純なんだが。
やってることはアングラでアヴァンギャルドなのに80年代のメインストリームに居たという不思議な立ち位置のひとだった。
ゴールデンタイムのドラマにも出ていたし、夜のヒットスタジオにも出てた。
「おしりだって洗ってほしい」で有名なウォシュレットCMなどで当時、一般的にも知名度が高かった。子供や老人でもこのひとの名前ぐらいは知ってたのではないか。
つまりメインストリームど真ん中の存在。
でも、アングラ。なのに、アングラ。超アングラ。
玉姫様」や「バージンブルース」なんか夜ヒットでやってたもんなあ。よくあんなもんメジャーで出してメジャーで流したよ。
 
 

 
戸川純 - レーダーマン(1984
 
 

現代では、元祖不思議ちゃんだの元祖ヤンデレ(●ヤンデレとは [単語記事] - ニコニコ大百科)だのいろいろ言われている。
生まれたのが20年早かった・早すぎた存在だとも。
でも、このひとは80年代だったからこそ出てきたひとだと思うのだ。
イデオロギーも政治もアートもヤンキーもポップカルチャーとして消費した80年代前半の空気は、本来アングラであるべきものまでポップカルチャーとして消化してしまった。「狂気」や「変態」「風俗」「電波」「偏執」までも。「ビョーキ」がそれだ。
「ほとんどビョーキ」は1982年の流行語。山本晋也が「トゥナイト」の風俗レポートで流行らせた。元々は「常軌を逸した」「すげえ」程度の意味だったと思われるが、だんだんそれに「病んでる」「情緒不安定」といった要素も含まれるようになった。病んでることや情緒不安定であることがポップカルチャーとして消費された時代の空気、それはやはり80年代特有のものだったように思う。病んでることまでも「ビョーキ」と言って面白がってた80年代に出るべくして出てきたのが戸川純だったのだろう。
現代にも「ヤンデレ」というカテゴリがあることはありますがね。あくまでも「萌え属性」の1種であって、80年代のように「病んでることを面白がる」というニュアンスは「ヤンデレ」には含まれてないと思うんだよねー。だから戸川純を元祖ヤンデレとカテゴライズされるのにはちょっと異論がある。
 
 

んで、現代人が戸川純を解析する際に使用するもう1つのフィルタが「不思議ちゃん」だが。
これにも異論を唱えたい。
「不思議ちゃん」って自意識肥大状態の女子中二病だからさあ。その手のひとは大概、「わたしって変わってるって言われるんです」と自己紹介するが、本人が自認してるほど特殊枠のひとではないのであった。非凡コミューン内では極めて平凡。普通の奴が「人とは違っているわたし」を醸し出そうと自己演出してるのが「不思議ちゃん」だという認識。わたしの中では。
ホントに変わってるひとやホントに病んでるひとは「不思議ちゃん」とは言わん。「不思議ちゃん」で片付けるには重過ぎるでしょ。
wikipediaで「不思議ちゃん」を見てみると、ルーツは桃井かおりなんですねー。藤谷美和子のデビュー時にキャッチフレーズとして用いられて一般化したと。となると70年代から存在してたカテゴリなんだな。でも戸川純がメディアに出まくってた頃は、このひとを「不思議ちゃん」というカテゴリでくくる共通認識は世間に存在してなかったように思う。単に「ネクラな個性派女優」くらいの位置づけだったような。記憶力悪いから事実誤認かもしれないけど。
間違ってたらどなたか指摘してください。
 
 
 
 
 
戸川純は重い。
血と因習と情念の匂いがする。
ドロドロとした心の澱の匂いがする。
処女の潔癖性と少女の青さ・無邪気さ・残酷さ。
女の業と怨念と狂気。
これを「ヤンデレ」や「不思議ちゃん」で片付けると、戸川純というひとの意味を読み間違う気がする。
「不思議ちゃん」だったのは戸川純のファンやフォロワーであって、本人ではない。
わたしはね、ちょいと苦手でしたよ。
戸川純本人が、ではなく戸川純のフォロワーさん達が。
「非凡コミューン内の平凡」なひとの自意識の発露ってけっこータチ悪いからさあ。
なんでそんなに非凡なひとでいたいのかさっぱりわからんよ。凡庸だと何か問題でも?
つか、凡庸に生きるって案外難しいぞ。
今となってはもうどうでもいいんだけど。
 
 
戸川純、今改めて聴くと歌がものすごく上手くて驚く。
「不思議ちゃん」の系譜を受け継ぐ女子は今後も絶えることなく出てくると思うが、戸川純のようなひとはもう出てこないだろう。
あんまり集中的に動画見てると湯あたりする。
強烈過ぎて。
 
 

戸川純 - 諦念プシガンガ(1984
 

 

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とんねるず - 一気!(1984)

日本人には血液中のアルコールを肝臓で分解する酵素を持つ人と、持たない人がいる。
これは縄文人と渡来系弥生人の違いらしい。縄文人(古モンゴロイド)はアルコール分解酵素を持つが、弥生人(新モンゴロイド)にはアルコール分解酵素を持たないタイプがいる。遺伝子の突然変異らしいが。この「ALDH2不活性型AAタイプ」つう遺伝子を持つ人はどんなに訓練しても酒が飲めない。
 
酒が弱い。
酒が飲めない。
 

日本のタテ社会で生きていくにはこれは結構なハンデである。
いやわたし酒が飲めないもんで。マジこのハンデきっついぞ。酒が飲める奴には想像もつかないだろうが。
「俺の酒が飲めねーのか」つう圧力すげえし、周囲がテンション上がっても常にシラフ。場を盛り下げないよう気を遣わなきゃなんないし、呑み会後はドライバーにされるわ介抱役にされるわ、飲んでもいねーのに割り勘で「損した」感満載だわ、まったくいいことナッシング。
過去の醜態とか黒歴史とかがハンパじゃないわたしですが、あれ全部シラフですからね。シラフだと「酔ってたから覚えてない」が免罪符として機能しねーんだよ。おかげで記憶の隅に葬り去りたい黒歴史をすべて鮮明に覚えている。むかつくことこのうえなし。わたしも暴言吐きまくって醜態晒しまくって周囲に迷惑かけまくっても「えー酔ってたから覚えてなーい」の一言で全てを片付けて生きて行きたい。酒の席で無礼講とかハメはずすとかうらやましい超うらやましい。経験ねーよ1度もよう。
しかし、とりあえず女に生まれたので、男ほどは「下戸ゆえのハンデ」を負わされなくてすんでいる。これは本当に「ああ女でよかった」と感謝してることの1つだ。
この性格で、このキャラで、この体質で、男に生まれてたらマジ悲惨だったよ。腹ん中はどうであれ表面上は同調圧力に弱いからさー。男だったら大学の新歓コンパで一気強要されて急性アルコール中毒で死んでたんじゃないすかね、とっくに。死ぬまで行かなくてもビール一杯で昏倒してリバース、大学入学そうそう「マーライオン」と渾名をつけられ「もうアイツ誘うな」「見苦しい」と笑われ、それがきっかけでひきこもりになり社会不適応者に。そんなコースが目に浮かぶんですが。自分で自分が痛くて死にそう。非実在自分だけど。ああ本当に男に生まれなくて良かった。
 
 
 
最近はそこまでのアルコールハラスメントはないらしいという話も聞くが。
でもまだコンパの季節になると大学生の急性アルコール中毒死亡事故などが起こったりしてるので、アルコールハラスメントも健在なところでは健在なんだろうな。おそらく、主に体育会方面で。
で、そんな「イッキ飲み」という悪習が全国区に広がったのは、たぶん、この歌以降だろう。
 
 
 


 
とんねるず - 一気!(1984
 
  
 
これ以前も「イッキ飲み」という悪習はありましたがね。これでもっと広がりましたね。いやー、この曲でどんだけ急性アルコール中毒患者が出たかね。「めちゃイケ」の酒飲み対決で抗議殺到するような今の時代だったら放送禁止曲だよ。80年代っておおらかだよなあっつうか、「酒豪=男らしさの証明」みたいな迷信がまだ生きてたってことなんだろうなあ。単に遺伝子レベルでアルコール分解酵素持ってるかどうかってだけの話なのにさ。
 
この曲はとんねるずの歌手デビュー3作目。意外なことに3作目なんすよ。(ちなみにデビュー曲はアニメの主題歌「ピョン吉ロックンロール」)
「一気!」の作詞は秋元康
とんねるず秋元康は80年代のフジテレビの深夜番組「オールナイトフジ」が取り持つ縁。
「オールナイトフジ」は女子大生集めた素人参加型番組だか、これで女子大生ブームを作ったといわれており、いわば「夕やけニャンニャン」や「おニャン子クラブ」のプロトタイプである。現在に至るまでの「フジテレビらしい要素」を煮詰めたような、深夜の無法地帯だった。
とんねるずの当時の立ち位置は「高卒」「キレキャラ」。女子大生と高学歴の番組スタッフに囲まれた中で「あえて」高卒をアピールすることで支持を得て、キレて大暴れして予定調和を破壊する役回り。それと秋元康の「ギミックをあえて公開」「その通りですがそれが何か?」という手法とが結びついて生まれたコラボレーションである。
なんつうかね、ふざけてんですよ。お笑い芸人の歌なんだからコミックソングなのは当たり前としてもね、それとは別の意味でふざけてんですよ。
「こんなふざけた悪ノリ曲が売れたら面白い」という製作者側(秋元康)の姿勢が透けて見えるんですよ。
実はおニャン子もその延長線上にある。「こんなふざけた悪ノリ曲で、こんな素人集団がプロ歌手押しのけてオリコン1位とっちゃったら面白くね?」という。で、視聴者もその企てに乗っかった。
アレに似てるんだよなあ、田代祭。田代まさしが芸能人から犯罪者になってネットの一部で「ネ申」となった時、米紙「TIME」のパーソン・オブ・ザ・イヤーで田代まさしを1位にしようと2ちゃんねらーが大々的なネット投票を組織的に行ったという、あの田代祭に。媒体がネットで、スクリプトを使った多重投票やらかしたんで、方法論は違うんだけども。根底に流れる「悪ふざけ」「祭り」というスタンスに近いものがある。
違うのは田代砲を投入して不正投票やっても2ちゃんねらーに実利はないが(DoS攻撃受けた側としてはシャレにならん迷惑をこうむるが)、秋元康とフジテレビが提唱する「お祭り」に乗っかると、確実に利益を得る人が出るってことかな。
 
 
 

「フジテレビ」「秋元康」「とんねるず」。この3つは80年代中盤に見事にシンクロして、一時代と、新たなバラエティの雛形を築いた。
楽屋落ちをお笑いに投入したのはフジテレビ「オレたちひょうきん族」が最初だ。
台本があって、稽古を何度も何度もやって、お笑いをきっちりと作り込む「ドリフターズ」の芸風にトドメをさしたのがひょうきん族の「楽屋落ち」「内輪ネタ」。
それで下地ができたところに「オールナイトフジ」でとんねるずが出てきて徹底的に暴れまわって予定調和を破壊、ハプニングと過激さで支持を得て、秋元康が「ギミックをあえて公開」。これで「本来の番組進行の軌道をあえてズラす」「視聴者に、さも自分が番組に参加してるように錯覚させる」「事前説明ヌキの内輪ネタ・楽屋オチ・業界ネタ満載」「アナウンサーのタレント化」「予定調和を破壊するハプニング」「放送事故スレスレの危なさを楽しむ」「ステルスマーケティング自画自賛の嵐」というフジテレビというか、現在のバラエティ番組を成立させているカードが全て出揃ったのである。
 
 
 
 
これを褒めるのは非常に心苦しいんですがね。
面白かったよ。
当時、ホントにね。
あまり褒めたくないんだけどさ。でも、面白かったよ。
「オールナイトフジ」も「とんねるず」も「夕やけニャンニャン」も。
パワーがあった。エネルギッシュだった。
次に何が起こるか・何をしでかしてくれるかという期待を抱かせてくれた。
だがさ、「予定調和を破壊するハプニング」っていうのは、「揺るがない予定調和」や「定められた筋書き・あらかじめ敷かれたレール」が前提として存在しててくれないと成立しないんだよ。
ハプニングが当たり前になってしまうと、ハプニング自体が予定調和になってしまう。
人間って刺激に慣れるからね。「たぶんここでこんな風なハプニングが起こるんだろうなー」と事前に予測できるものは既にハプニングとはいわない。
 
 

 
とんねるずの功罪の「功」の部分はお笑い芸人に「カッコイイ」という価値を新たに付与したこと。お笑いのひとが女子の嬌声に出迎えられるようになったのはとんねるず以降だろう。「罪」の部分はスタッフいじりまくって事前説明なしにギョーカイ内輪ネタを一般層に浸透させ「CXの○○Pさあ、番宣見たけど、あれもうダメじゃん」などとしたり顔で語るようなイヤな素人(ええ、わたしのような)を大量輩出させたことと、体育会ノリを芸能界に持ち込んだことか。
石橋貴明本人が自分達の芸風について「部室芸」と言及してるけど。まあその通り。
体育会の部室で「面白い奴」が先輩・後輩を前に内輪だけでウケる身内芸を披露するというあのスタンス。あのままのスタンスで芸能界を四半世紀泳ぎきった。凄いといえば凄いが、今はもうそこがとんねるず最大のネックだと思う。
体育会というのは1年生は奴隷で2年生は平民、3年生は貴族である。「体育会3年生の部室芸」って見せられる方は苦しいものがあんだよな。とんねるずって3年生飛び越えてもうOBだからね。それも「甲子園で優勝した年のOB」くらいの位置。
これは苦しい。
非常に苦しい。
だから1,2年生集めて「おい、お前ら、なんか面白いことやれ。面白かったら笑ってやる」って命令してんのが今のとんねるずの立ち位置なんだろうけど。
これはこれで苦しい。
オールナイトフジの頃から四半世紀以上、変わらぬ芸風。
これは伝統芸や様式美として守っていかなきゃならんものじゃないだろう。
「部室芸」という「予定調和」はもう壊れてもいいと思う。
ドリフターズ「全員集合」がひょうきん族とフジテレビによってトドメを指されたように、部室芸にトドメをさしてくれる芸人が新たに出てきてくれたほうが美しい幕引きなんだがね。視聴率の低下で番組終了・自然消滅という終わり方をしそうで、それはそれでなんだか複雑な気分である。
後世に受け継がれてもそれはそれで困るんだけど。
 
 

 

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