前世紀遺跡探訪<80s-バブル終焉>

80年代~バブル文化圏終焉(実質的なバブル崩壊は91年だが、バブルの延長的な空気が即終了したわけではないので90年代前半までとりあえずバブル文化圏と仮定しとく)の音楽や音楽をとりまく事象について、あれこれと。

島田奈美 - SUN SHOWER (1991) Larry Levan Mix

1ヶ月くらい前か、Twitterでリストをチェックしてたら、興味深いツイートがRTされていた。
とある、愛されスイーツ女子(の中ではかなり賢いほうだお☆というアピールのひと)のツイート各種と、それを批判するフェミのひとのツイート。
いや、面白かったっすよ、すごく。どっちのツイートも。
こういうのって出典や発言者名を明記するべきなんすかね。Twitterからの引用とか著作権とか、どう扱うのが正解なんだろ。とりあえず、そのまんま引用はせず概要だけ表記しますが。
(こういうやり方が著作権的にまずければ、また対処を考えます。発言者の引用許可を取るとか。OKもらえるかどうか微妙だけど。)
 
「愛され☆スイーツ女子の中ではかなり賢いほうだとアピールしているひと」のご発言が、なんか、いちいちフェミなひとの癇に障るらしいんですわ。んで、それらスイーツ発言を「爆弾」「呪い」と揶揄しておられる。いや、何がそんなに癇に障るのか、女子界の規格外だった自分としては、わかりすぎるくらいわかるのですが。しかし、このスイーツな人の発言がいちいち面白すぎてさー。腹立ててる暇がなかった。面白すぎてっつうと語弊があるか。
ようするに、自分は男子の幻想の投影装置でいたいという趣旨の発言なのよ、大半が。
女子というのは男子の幻想を体現してこそ、女子たりうるのだという内容。
たとえば、この方は
「性的存在として承認されなければならないという思いが強いが、ビッチにはなりたくない」
などと仰られてましてね。
思わず膝を打ちました。
それはつまり「アイドルでいたい」ということっすね。
「性的存在であるがビッチではいけない」ってまさにアイドルのことだもん。
アイドルグラビアできわどい水着などを披露するオカズ的存在なのに、一応清純派を装わなければ男子の幻想を投影できないので絶対にオトコの影(不純異性交遊)をチラつかせてはいけないという矛盾した存在。実態が元ヤンだろうとヤリマンだろうと、とりあえず清純派を装うことで成立する、ある種の幻想射精産業。
女性アイドルというのは、「男子の、異性に対する幻想の集大成」であり、それを3次元に実体化して商品化したものなのである。
 

「幻想射精産業的な部分での女性アイドル」が男子から求められてるのは今も昔も変わらない。
山口百恵からAKB48に至るまで、アイドルのイメージ戦略の1つ、というより最重要項目として「幻想射精産業的要素」は一貫して存在してる。
80年代において特筆すべきアイドルビジネスの1つに、あからさまに「幻想射精産業的な部分での女性アイドル」に特化した雑誌が多数刊行されたことがあげられる。
明星や平凡から、水着グラビアと男子エロ妄想だけを取り出し、拡大再生産させたような女性アイドル専門グラビア雑誌が次々と出版された。
バラエティ、Momoco、ORE、DUNK、BOMB、GORO、SUGAR、投稿写真、アクションカメラ。
上記の雑誌は左側に行き次第アイドル色が濃く、右側に行き次第エロ度・B級度が濃くなるという認識。個人的には。
バラエティは角川の機関紙、DUNKはおニャン子クラブの機関紙でしたね。
事実誤認があったらご指摘ください。
あ、これら幻想射精産業的アイドルグラビア雑誌についてより詳細をご存知の方がいらしたら、ご教授いただけるとありがたいです。もっといろんなアイドルグラビア誌があったように思うんだが、さすがにきっちり把握してないので。
 

Momoco、BOMBは学研から発行されていたアイドルグラビア誌(若干エロ有り)である。
80年代には教科書・参考書からアイドルエロまで、実に手広くやっていたのだ学研さんは。
Momocoはもう無いがBOMBってまだあるよな?エロ度の強いアイドルグラビア誌ってほとんど廃刊したと思ったんだが、こないだ本屋でBOMB見かけてびっくりした。
Momocoは菊池桃子をイメージガールにすえて1983年に創刊した正統派アイドル雑誌であるが、「オカズ」という言葉を世に送り出した(ライターの石川誠壱氏が起源だそうだ)雑誌でもあり、ガチエロ本に手が出せない若年層のためのライトエロ本でもあった。
この雑誌「Momoco」の中に「モモコクラブ」という美少女募集コーナー特別ページがあった。
自薦他薦問わず美少女を募集し、雑誌に認定されると「通し番号」として「桃組出席番号」がつけられるという誌上アイドルオーディション・システム。
この「モモコクラブ」が「おニャン子クラブ」のプロトタイプ。
モモコクラブオールナイターズおニャン子クラブの源流である。
モモコクラブ出身者には、鈴木保奈美や田中美奈子なんてビッグネームもいる。今となっては黒歴史かもしれんが。
 
島田奈美は1986年にモモコクラブからアイドルデビューした正統派清純アイドル。
清楚なルックスと良質なアイドルソングで売ったひとだったが、時代的にきわめてタイミングが悪かった。
1986年というと、世間はおニャン子全盛期。アイドルまとめ売り価格破壊現象の真っ只中。おニャン子ブームが去ったあとは、空前のバンドブームにより、アイドル冬の時代。ピンで正統派アイドル出して売れる状況ではなかった。
もう、世に出た時代が悪かったとしか。
島田奈美のシングルはオリコン10位くらいに入る程度には売れていたので、「B級」とは言いがたいのだが、おニャン子ブームとバンドブームの影に隠れてしまい、どうしても「B級」感が漂うんだよなあ。申し訳ないけれども。
なんでこのひとのことをいま思い出したかというと、冒頭のTwitterの「性的存在であるがビッチではいけない」発言から、このひとの存在を思い出したから。
このひとね、「性的存在であることを拒否していたアイドル」だったんで。
潜在的、もしくは間接的であっても性的存在であることをある程度は誇示しないと「男子の異性に対する幻想の投影装置」としてのアイドルで居続けることは難しい。ましてやライトエロ本「Momoco」出身。ビキニはダメでもスクール水着くらいは披露してナンボの職業だと思うんですがねえ、このひとは水着でさえ頑なに拒否していました。
アイドル冬の時代に、正規の商品を正規の価格で売ろうとしても売れません。
ましてや水着(微エロ)も売らないっていうのは、もはや正規以上の価格をつけていたようなもんだろう。
エロを封印するかわりに飛び抜けて歌唱力が高かったりすれば話はまた別なのだが、そういう「売り」があったわけでもなかったので。
4年くらいは頑張ったと思うが1990年に引退した。「可愛い」と「清純」だけで4年持てば立派だと思いますがね。
80年代にエロ要素を完全に封印して4年もやれる人材はそうそういなかったと思うし。
 
 

 
島田奈美は、実は引退してから、「素材」としてかなり面白い転がされ方をしている。
本当に稀有なケースなんだが。
島田奈美というひとはアーティスト志向を持ってたひとで、自分の楽曲の作詞をしたりもしていたが、楽曲のハウスリミックスを寺田創一に依頼して、「MIX WAX」リミックス盤(1989)をリリースしたりしていた。
寺田創一はエンジニアつーか作曲家つーかリミキサーつーかアレンジャーつうか。とにかくデジタル系のひとでゲームミュージック等で有名だ。
「SUN SHOWER」は88年に発表された曲。
元の曲は普通のアイドルソングなんだが、1989年に寺田創一がそれをリミックスしてダンスミュージックに仕立て上げた。


何度も書いていることだが、80年代後半はアイドル冬の時代。フツーのアイドルポップスは衰退しちゃって、まず売れない。それでアイドルを「ロックバンドのボーカル」にパッケージを変えて売り出す手法が取られたりした。あんまりうまくいきませんでしたがね。
もうひとつの、冬の時代のアイドルの活路としては「ダンスミュージックのエッセンスを取り入れた楽曲を出す」つうのがあった。ダンスミュージック…当時のそれは、よーするに「ハウスミュージック」。
80年代後半からバブル終焉まで、日本は空前のロックバンドブームに沸いていたが、世界的な音楽の流れはロックからダンスミュージック(ヒップホップ、ハウス)へと移行していたのである。
簡単に言うと、世界規模では89〜90年の時点で「ロック」は既にオワコン。
ヒップホップやハウスに代表されるようなクラブミュージックこそが時代の主役となって来ていた。
世界っつってもアメリカと西欧だけの話だがな。やや引っかかるけどまあいいや。ここでそのへん追求すると話の軸がブレるから。
 
話を戻す。
島田奈美がアイドル引退(1990年)したあとの展開が面白い。
この、寺田創一がリミックスした「SUN SHOWER」を、寺田本人が買い取り、それをホワイト盤(レーベル面に何も書かれていない真っ白いレコード。見本盤・ブート盤・プロモ盤などの非売品)としてプレスして、ニューヨークのクラブで配布したんですわ。そしたらクラブでウケて、なんとガラージュハウスの帝王・Larry Levanラリー・レヴァン)による「SUN SHOWER」リミックス盤までリリースされてしまった。

 

 

ハウスに興味ないひとにとっては「それが何か?」って話だろうが、これとんでもない話っすよ。
90年前後に小泉今日子中山美穂がハウス歌謡の曲を出したりしたが、それとはワケが違う。
なんせ正真正銘「伝説の」DJ、ラリー・レヴァンが手掛けてる作品だから。
ジャパンマネーでラリー・レヴァンの横っ面ひっぱたいて無理矢理やらせたわけではなく、彼ほどの大物が自発的に作った作品なんで、ホントにすごいわけ。
NYのゲイ・クラブで(ハウスは元々ゲイ・カルチャーである)ラリー・レヴァンがまわした日本人の音楽なんて「SUN SHOWER」くらいしか無いんじゃないすかね。後にも先にも。


 
 
島田奈美 - SUN SHOWER (1991) Larry Levan Mix
  

 
今聴くとフツーです。つーか、ぶっちゃけPerfume。凝ったリミックスのダンスミュージック+アイドルボイスって意味でね。Perfumeはハウスというよりテクノだけどさ。
現代に生きる我々の耳は、「すんげー凝ったリミックスのダンスミュージックの楽曲に、なぜかアイドルボイスが乗っかる」というアプローチにすっかり慣れちゃってんですよ。Perfumeとか、きゃりぱみゅとかね。90年代中盤の小室サウンドもそうだったな。
だから、今Nami Shimada「SUN SHOWER」Larry Levan Mix を聴いても、ハウスに興味ないひとには極々フツーの楽曲に聞こえる。
でも1991年にはおっそろしく斬新でした。
ハウスの音源にアイドルボイスが乗っかることにかなり違和感あったな。
当時はその違和感が面白がられてたわけだけど。
 

あ、わたし実は寺田創一がNYで配布したという「SUN SHOWER」ホワイト盤持ってんですわ。
いや、レアものだから、いつか小遣い銭に困ったらヤフオクで売ろうと思って。
そしたら数年前にオランダのレーベルからCDで再販されて俺涙目。
これはあれですね。株式用語で言うところの塩漬け銘柄ってやつっすね。
まだ買値よりは時価評価が下落してないとは思いますが。
悔しくて売るに売れない。
 
 


それと、冒頭のTwitterの話だけど。
わたしだったら、スルー。
「異性に対する都合のいい幻想を無くす」って不可能ですもん。男女ともに。
恋愛の大半はそういう幻想で成り立ってる部分があるからねえ。
需要があるなら供給が出てくるのは当然のことだろう。
わたしは適性がないから供給側になる気は今も昔もゼロなんだが。
「女子たる者は男子の幻想を演じなければ存在価値がない、つう愛されスイーツさん達の価値観の提唱は呪縛以外の何者でもない」という人間もいれば、「自立した人間として個を確立するより、愛されスイーツでいるほうが自分らしく生きていける」って人種も確実に存在するってことですよ。
適材適所って言葉もあるしな。
見てる世界が違うんだから、犯罪に直結しない限りは他人の価値観や信仰はほっといてやれ。ひとの生き方に正解はない。
相互干渉せんと、てきとーに共存しときなされ。
無責任ですまぬ。
 
 
 

 

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ラ・ムー - 愛は心の仕事です(1988)

何度もここで書いてることだが、歌謡曲というのは流行音楽・大衆音楽・商業音楽である。広い範囲で、多くの人に売れることを目的としている音楽をわたしは「歌謡曲」と定義している。
「多くの人に売る」ということを目的としていない音楽は歌謡曲とは言わない。
ロックが偉くて歌謡曲は偉くないだとか、アーティストは高尚で歌謡曲歌手は低俗だとか、そういう対比は意味が無い。
優劣の問題ではなく、目的が違う。「多くの人に売れたい」か、そうでないか。それだけの問題だ。ホントに何度も書いていることだが。
そして、日本文化はリミックス文化であり、「歌謡曲」とは、「外来音楽のいいとこどりと換骨堕胎」と土着音楽の混血音楽である。
これもここで何度も書いていることだが。
 
 
が、バブル終焉(1991年)頃までは、「歌謡曲」と「ロック」は対立概念だった。
なぜ対立概念だったかというと、理由はGSの時代までさかのぼる。
お若い方はご存じないだろうが、GSとはグループサウンズのことである。実はわたし自身もGSをリアルタイムで体験してないので、表象としてしか理解していないのだが、「ビートルズに影響を受けてエレキでバンドを結成した日本の若者グループ」を、1960年代後半は全部「GS」でくくった。音楽的にはロック・ポップス・フォーク・ムード歌謡のごった煮で、音楽志向はバンドによってバラバラだった。GSのピーク時(1968年)には、なんと100組以上ものグループがメジャーデビューしたそうだ。
が、当時の日本の音楽業界というのは、まだまだ旧態依然としていたので「ロック」というものを咀嚼できなかった。そりゃそうですわな。当時は「ロック=若者を狂わせる悪魔の音楽・非行化の原因」ですからね、全世界的に。日本でもGS=不良の音楽でした。
また、当時の日本の音楽業界にはシンガーソングライターという概念が無かったため、「作詞家・作曲家・歌い手」という歌謡曲の構造をそのままGSに持ち込んだ。50年代のロカビリーブームの時はそのエッセンスだけをうまいこと歌謡曲に取り入れて金儲けに成功できたんで、GSもイケると思ったんだろうね。でも、「ロックバンド」という形態を当時うまいこと歌謡曲に換骨堕胎できず、GSはたった2年でポシャってしまった。「ロックバンド」をメジャーな商業音楽にすんの、当時はまだ、すんごく難しかったんでしょうね。
 
以降、レコード業界側にとっては「ロックは金にならない音楽」となり、バンド側にとっては「商業主義に抗うことこそロック」となった。
日本の音楽業界においてロックと商業主義が融合したのは「1980年代中盤〜バブル終焉までのバンドブーム」からである。
が、「ロックと歌謡曲は対立概念」という構造は、1990年代「J-POP」という言葉が定着するまで続く。
「J-POP」という言葉が定着してからというもの、あらゆるジャンルの流行音楽は全部「J-POP」に吸収され、「ロックと歌謡曲が対立概念」なんて旧世代の常識は消滅した。つうか「歌謡曲」という呼称自体が消えてなくなった。
「J-POP」という言葉が音楽業界に定着したのは1993年ごろからだが、これはもうホントーに便利な言葉で、歌謡曲もロックもファンクもレゲエもヒップホップもハウスもテクノもR&Bも全部、包括してしまった。
いまは流行の音楽は何でも「J-POP」で片付く。音楽的にもホンットーにあらゆるジャンルのごった煮で、リミックス文化もここに極まれりという混沌とした様相を呈している。「歌謡曲」以上に滅茶苦茶だよな、「J-POP」って。
 
 
 
が、80年代後半、日本中を席巻しつつあったバンドブームの渦中で、「ロック」も「歌謡曲」も飛び越えたとんでもないバンドがデビューした。
ロックが商業音楽になったとはいえ、まだまだ歌謡曲とロックが対立概念だった1988年のことである。そんなくだらない対立概念なんて枠組みさえ、軽く凌駕するような、鼻先で笑い飛ばすような、臍で茶を沸かすような、本当に恐ろしいバンドだった。
 
「RA MU(ラ・ムー)」。
 
ラ・ムーとは80年代中盤のトップ・アイドル菊池桃子が結成した伝説のロックバンドである。
枕詞ではなくマジで伝説。そのへんはリンドバーグとは比較にならん。
ラ・ムーはあまりにも時代を先取りしすぎていた。それどころか「いまだに時代はラ・ムーに追いついていない」といえば、どれだけ凄いバンドだったかおわかりいただけるであろうか。
その当時はマジだったものが、時代を経ることによってネタ化することは、まま、ある。
バブルファッションなどはその典型。あのぶっとい眉毛も、肩パッドも、トサカ前髪も、現代から考えるとネタにしか見えないのだが、バブル期は「それがかっこいい」と信じてみんなマジでやっていたのだ。
「ラ・ムー」の恐ろしいところは、その当時からネタだったことに尽きる。
今振り返ってもネタだが、渦中にあってもネタだったのだ。
 
 
前回の「リンドバーグ」の項でもちょっと触れたが、80年代後半はアイドルが売れない「アイドル冬の時代」だった。
アイドルに代わって時代を席巻したのは「ロック・バンド」。
80年代中盤より空前のバンドブームが始まり、バブル終焉まで続いた。
そのバンドブームの時期に、アイドルが「ロック宣言」するのがちょっと流行ったのである。
フツーにアイドルやってても売れない時代だったんでねえ、パッケージをロックに変えて売ろうって試みがあったんですよ。
んで、なんと菊池桃子が「ロックバンド」結成。
※「ラ・ムーの主要なメンバーたちは実は誰もロックバンドを名乗ってない」という説もありますが、マスコミは当時こぞって「菊池桃子がロックバンド結成」と報道してたし、夜ヒットでも「桃子ちゃんは今度ロックをやるんですって」と紹介してたし、一般人の認識も「一応ロックバンド」であると思われるので、ラ・ムー=ロックバンドであるという前提で話をしますが。
いやー驚いた。本気で驚いた。
この時の衝撃をどう説明していいのかわからない。
現代の事例に置き換えると「氷川きよしが突然ラッパー宣言」ぐらいのインパクトがあったといえば、お若い方にも伝わるだろうか。
いや、その100倍はインパクトがあったな。
では「成海璃子がモヒカン刈りでパンク宣言」といえば……あっこれはある意味妥当か。
とにかく菊池桃子というひとは80年代中期の、押しも押されぬトップアイドル。
常に直立不動で、腹に力の入らぬささやくようなか細い声で、フォトショのぼかしフィルタかかったような柔らかい笑顔で、可憐なアイドルソングを歌い上げる超清純派。
よく腹を手で押さえるジェスチャーで歌っていたので、「桃子ちゃんは歌っている最中よくお腹を押さえていますが、お腹が痛いのですか?」などというしょーもない質問が視聴者から歌番組に寄せられるような、そんな馬鹿馬鹿しい質問さえネタ化しないという、「アイドル」として格上げされた存在だった。
それが、いきなりのロック転向宣言ですよ。
ロックっつったらシャウトですよ。
桃子のへろへろボイス…いや、ウィスパーボイスで、一体どんなシャウトを。
つか、ロックボーカリストとして一体どんなステージアクトを。
だって桃子は基本直立不動なのよ?
マイクスタンドぶん回して火ぃ吹いて客席にダイブとかすんのか桃子。
いやー不安だったねーいろいろ。
杞憂でしたが。
つか、現物見たら想像以上でした。
何が凄いって、ロックバンドを名乗ってるのにロック演ってねえとこ。
「ロックとは生き様である!セックス・ドラッグ・ロックンロール!」という精神論的な意味での「こんなのロックじゃない」じゃなくて、純粋に楽曲のジャンルとして「ロックじゃない」。
まあ皆さん聴いてみてくださいよ。
 
 

 
ラ・ムー - 愛は心の仕事です(1988)
 
 
桃子、それロックやない。ファンクや。
ファンクつうか、ブラコン。ブラック・コンテンポラリー
歌詞は倒置法の多用で意味不明で滅茶苦茶。
謎の黒人バックコーラスはいるし、直立不動だった桃子が右に5歩、左に5歩動くし(当時古舘伊知郎にそう揶揄されていた)。
ファンクにしたって歌唱方法は本来シャウト系のはずなのに桃子は腹に力の入らぬウィスパーボイスのまま。
しかもそのウィスパーボイスでラップまでしてるし。
ファンキーなサウンド&肉厚なバックコーラスにかぶさる、桃子のへろへろボイス。なんというミスマッチ。なんというカオス。
この衝撃をどう説明していいかわからない(2回目)。
おそらくリアルタイムでラ・ムーの衝撃を通過した人間の殆どが「これにどう対処しろと?」という気分になったのではないかと邪推。
Wikipedia菊池桃子の項を見ると、
 
 
菊池自身は別に脱アイドルを意図したわけでも、ロックバンドを結成したかったわけでもなく、単に「ロック色を強めた楽曲を取り上げたい」とスタッフに話したら、どのように伝わったのか、歌謡ロックバンドに仕立て上げられ、不本意であったとコメントしている。
 
 
と書いてある。
どんな伝言ゲームでそういう展開になってしまったのか、企画会議に紛れ込んでみたかった。
いや、歌謡ロックじゃないだろJK。
歌謡ファンクですらない。
あれはファンク&ブラコン&ラップとアイドルボイスの織り成す歌の宝石箱。
それを「ロックバンド」のカテゴリに無理やり入れた、ロックのIT革命や〜。
筋肉少女帯「パンクでポン」で、大槻ケンヂ
 
本当のロッカーとは! 本当の、ロッカーとはなあ!
「ラ・ムー」のボーカリスト!!
菊池!桃子さんだあーっっっ!!
お前ら桃子さんを見習え! お前見習ってるか桃子さん、オラ
お前、愛は心の仕事だ馬鹿者! 

 
と絶叫したが、その叫びに心の底から同調するよ。

パンクでポン!~大槻ケンヂ~筋肉少女帯 - ニコニコ動画
 
 
 
ネタの賞味期限というのはとんでもなく短い。
一世を風靡したネタも、あっという間に消費しつくされて消えていく。
ラ・ムーは1988年のデビューから現在に至るまでの24年間、ネタとしての鮮度を保ち続けているのだ。
これは本当に凄いことですよ。
ていうかトラックのクオリティが無駄に高いところがなお凄い。
今聴くとファンクにかぶさる菊池桃子の声ってなんだか無機質でボーカロイドみたいだな。
そういう意味でも時代の先取りだったが、バンドブームに浮かれる我々に「ロックとは何ぞや」という問題提起をつきつけ、ロックという既成概念を破壊したことこそ、ラ・ムーの真のロックンロールレジェンドであった。
 
 
 
 
 
 
※追記(2013/1/11)
http://regista13.blog.fc2.com/blog-entry-50.html
2013年の時点でも「アイドル」と「ロック」が対立概念になっとるとは思ってもみませんでした。
「J-POP」というめちゃくちゃで混沌とした言葉が「発明」された時点で、既に無意味になったかと思ってた。
つうか、もうずっと、アイドルVSロックという議論はおんなじところをグルグルまわってんだな。
下手すっと四半世紀以上もの間。



成長因子 育毛剤

LINDBERG - 今すぐ Kiss Me (1990)

ニュース等で、「人気ロックバンドの…」という枕詞が出るたびに「えっ誰?誰?誰が何したの?」とワクテカ状態でニュースに注目してるのに、大概「誰それ知らんわ」という人ばかり報道されてガックリしている人として最低なわたくし。
「人気ロックバンド」と「そうでないJ-POPバンド」の判断基準がわかりません。

てか、「人気ロックバンド」という枕詞も謎だが、もっとわからないのはじつは「伝説のロックバンド」だったりする。
リンドバーグ再結成で「あの伝説のロックバンド、リンドバーグが…」という枕詞がマスコミに飛び交った時には耳を疑った。いやマジで。「伝説」って言葉もずいぶん安くなったもんだと思って。
「バブル期にそこそこ売れたJ-POPバンド」じゃダメなのかよ。



でん‐せつ【伝説】
[名](スル)

1 ある時、特定の場所において起きたと信じられ語り伝えられてきた話。英雄伝説・地名伝説など。言い伝え。「浦島―」

2 言い伝えること。言い伝えられること。また、うわさ。風聞。



「あの伝説の」というからには語り継がれる存在ということだよな。となると、よほど売れたか、よほどインパクトがあったか、よほど影響力があったか、もしくは後世に語り継がれるようなトンデモな逸話の持ち主か。
功績よりも逸話に事欠かないほうがある意味「伝説」だというのなら、日本ロック界におけるそういう「伝説」は、「X JAPAN」と「ハナタラシ」が全部持ってった。興味があったらWikiってみるといいすよ。「ハナタラシ」は特に強烈だから。
ハナタラシ - Wikipedia

いやしかし、実はリンドバーグも、ステージでギター燃やしたりギターを歯で弾いたり全身の血を入れ替えたりステージでウンコ食べたり教会に放火したりするような「ロック伝説」を持つバンドなのかもしれませんね。 単に私が知らないだけで。
リンドバーグも、ステージでコウモリ食い千切ったりチェインソーふりまわしたりライブハウス破壊したり会場にダイナマイト持ち込んだり蟻を鼻から一気に吸い込んだりカレーが辛くて帰ったりしてるのかもしれない。単に私が知らないだけで。
 
芸能ニュースで使用される枕詞「伝説の」は、スポーツ業界の「美人」や、犯罪被害者の「美人」と同義語なのはわかるんですがね。
リンドバーグは誰も語り継いでないのにマスコミが「伝説の」って枕詞をつけるのが引っかかるんですよ。あまり意味のない枕詞だってコトも一応わかっちゃいるんですがね。
 
 
 


LINDBERGリンドバーグ)は、バブル期にそこそこ売れた「人気ロックバンド」である。
結成は1988年、ボーカルの渡瀬マキは元アイドル。
はいここ重要。このバンドを解析するにあたっての最重要キーワードは「1988年結成、元アイドルがロックミュージシャンに転身」である。このキーワードから何が浮かび上がるかというと「バンドブーム」である。
「バンドブーム」という補助線を引かないと、このバンドの意味を見間違う。
 
(実は日本でバンドブームと呼ばれているものは幾つかあるのだが、ここでは1980年代中盤からバブル終焉までの時代を指して使用する。)
 
1985年、おニャン子クラブの出現によって80年代アイドルブームに終止符が打たれ、「アイドル冬の時代」が始まった。
秋元康にあれだけ大々的なアイドル価格破壊・アイドル焦土作戦をやられちゃあねえ、おニャン子ブームが去ったあとの芸能界は、「フツーのアイドルをフツーに売ろうとしても全然売れません」って状況になっちゃうわな。そこにタイミングよく「バンドブーム」がやってきたのである。80年代中盤以降、「金の儲かるエンターティンメント」としてロックバンドがメジャーに次々と進出した。BOØWYレベッカ等の台頭から始まり、1985年ごろからインディーズブーム(当時は単に自主制作盤といわれていたが、雑誌「宝島」とNHKがインディーズブームを煽って加速)が勃興、それにホコ天バンドブームが合流し、1987年ごろには「バンド」はかなり若者カルチャーとしてメジャーな存在になっていた。そこに決定打イカ天ブーム(1989年)が加わり、「バンド」は一大ムーブメントとなった。まさに「ブーム」。
いやもう、猫も杓子もバンド、バンド。バンドブームピーク時の1991年には510組もメジャーデビューしたんだそうだ。もはやバンドだったらなんでもいい状態だった。こんだけ「ロックバンドがメジャーデビュー」の敷居が下がった時代はあるまいよ。思えば異常な時代だった。
で、そんな背景の中から「フツーにアイドルやってても売れないので、アイドルをボーカルに据えてロックバンドとして売り出そう」という流れが生まれてきたのである。「パッケージを変えたら、以前パッとしなかった商品が売れた」ってのも、よくある話ですね。80年代後半の日本音楽業界ではそのパッケージが「ロックバンド」だったわけです。
リンドバーグだけでなく、当時いろんな物件が「ロックバンド」化しましたよ。ははは。菊池桃子最大の黒歴史ロックバンド「ラ・ムー」がデビューしたりとか、本田美奈子がロックバンド「minako with wild cats」を結成したりとか。
リンドバーグは、「バンドブームの渦中にアイドルをロックのパッケージで売り出す」ビジネスモデルの成功例です。
「伝説の」という枕詞はどうかと思うが、当時、確かに結構売れた。
 
 
 
森脇真末味の「おんなのこ物語」に「学園紛争やヒッピー・ムーブメントが終わりをつげ、ロックだけが70年代に生き残った。ロックはメッセージを失い、金のもうかるエンタテイメントとなった」というNHKの音楽ドキュメンタリー番組からの一説が引用されていたが、これを初めて読んだ頃は(1981年ごろ)日本ではロックはマイナーでアングラ、金を産み出すコンテンツとは無縁のところにいた。NHKからの引用は、当時の海外ロックビジネスの状況のことらしいが、ロックって当時の日本では決して商業用コンテンツじゃなかったからさあ。当時の音楽業界のメインストリームはアイドル、演歌、ニューミュージックだったもんで。それ全部ひっくるめて「歌謡曲」って言ってたけど。
 

森脇真末味「おんなのこ物語」
 
 
このマンガではこのあと、「経済大国日本には商品化できないモノなんて無いのかも」と台詞が続く。
「バンドブーム」によって日本のロックがホントに商品化してしまったのは、この数年後のことだ。
 
わたしは「ロックとはカウンターカルチャーであり、反骨精神であり、メッセージであり、生き様であり、イデオロギーであるべきだ」「セックス・ドラッグ・ロックンロール!」とは、実はぜんっぜん思ってないような人間だ。
軽佻浮薄な80年代に青春送ったせいか、どうも照れくさいんだよ。「ロックンロール・スピリッツ!」「俺たちにはロックがある!」みたいな過剰なロックに対する信仰心がね。
70年代に青春送ったひとは、このへんすごい思い入れあるよな、ロックに対して。もう「宗教」に近いような。
中島らものエッセイ読んでても、一番「ついてけねー」と思うのはロックという宗教に対する、あの世代の人々の信仰心だったりする。
まあつまり、わたしは「ロック」なんて別に、単なる「音楽嗜好・音楽ジャンルの1種」であり、エンタメでいんじゃね?「ロックは生き様」とか、なんかこっ恥ずかしいんだが。程度の思い入れしか持たないような、しょーもない人間なわけなのですが。

そんなわたしを以ってしても「猫も杓子もバンドブーム」には驚愕と混乱と戸惑いがあったよ。
だって「バンドブーム」によって「ロックバンド」というものが「商業用コンテンツ」として初めて日本の音楽業界ビジネスモデルとして成立したわけじゃん。
んで、ロックをロックたらしめている「アク」を抜かなきゃ商業用音楽として成り立たないし、メジャーで売れないってこともよっくわかってたつもりなんだがさ。
ねーねー、確かに演ってる音楽は、形式としては「ロック」だよ。演奏してる人たちの服装も、様式としては「ロック」だよね。
でもさ〜、ここまでアク抜いちゃっていいの〜?
ここまで健全で、健康で、人畜無害で、元気いっぱいで、明るくていいの〜?
ロックってもっと不健全で、毒があって、反体制的で反社会的なものじゃなかったっけか〜って、わたしでさえ戸惑った。
バンドブームって「ロック」からアクを抜いただけでなく「70年代的信仰」まで取っ払ってったな。
商品化して形骸化してペラッペラにされて、「歌謡曲」に吸収されて「J-POP」と名を変えた。
でも、この一連の流れのおかげで「日本でロックやってメシが食えるようになった」んだから、悪いことばっかでもないわけなんだが。
 
 

LINDBERG - 今すぐ Kiss Me (1990)

 
け、健全だ…
健全で健康的で人畜無害で明るくて元気いっぱいで眩暈がする。
眩しすぎて意識が遠のくよ。
いやあ、ロックも「日の当たる場所」が似合う音楽になったもんですわ。
実態が「ロックバンドに擬態したアイドル歌謡曲」であっても本人達が「ロックバンド」とアイデンティファイしてんだから、まあ、ロックですわな。
これってトレンディドラマ「世界で一番君が好き!」主題歌だったんだよな。
思えばトレンディドラマっつうのも異様な世界だった。設定やストーリーは既にSF。あの三上博史によくもまああんな役をやらせたもんだ。三上博史って寺山修司の秘蔵っ子だからね。デビュー作が「草迷宮」という、いわばアングラエリート。それがドラマのOPで浅野温子とキスしまくり。あくまでも軽く明るくおされにコミカルに。お、恐ろしい………
三上博史って、どー考えてもそっちの世界の人じゃないのに。
ドラマやCMのタイアップでないと音楽が売れないという状況が始まったのも、思えばこの頃。
音楽番組がTVから消えてしまった時期なので、どんな名曲でもどんな駄曲でもドラマやCMとタイアップしないと人々の耳に届かなかった。
 
 
「バンドブーム」も「トレンディドラマ」もバブル終焉とほぼ同時に終了。
トレンディドラマは徐々に終息していった印象があるが、バンドブームはホントにバブル終焉と同時にピタッと終わった。「いったい何だったんだ、あのバンドブームは」というぐらい、あっさりと終わった。瞬間最大風速が凄いと失速すんのも速いな。
 
リンドバーグはピークは90年代初頭だが、2002年まで活動してたんだな。
バンドブームを背景にして出てきた人たちだが、「バンドブームの立役者」ではなかったので、そこまで長く続いたのかもしれない。
いずれにしても、バンドブーム終了後のあの過酷なリストラの嵐の中を生き抜いてきたのはすげーとしかいいようがない。
「伝説の」とは言い難いが(しつこい)。


 

 

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