前世紀遺跡探訪<80s-バブル終焉>

80年代~バブル文化圏終焉(実質的なバブル崩壊は91年だが、バブルの延長的な空気が即終了したわけではないので90年代前半までとりあえずバブル文化圏と仮定しとく)の音楽や音楽をとりまく事象について、あれこれと。

渡辺美里 - My Revolution(1986)

くらもちふさこの漫画に「Kiss+πr²」というのがある。
発表されたのは1986年。
80年代くらもち作品定番の「滅茶苦茶かっこいい男子」とはちょっと趣の異なるネガティブ男子が主人公。
くらもち作品で男子目線の話は割と珍しい。味のある、いい作品だと思うのだが、「くらもちふさこの代表作」といわれるほど高い評価はされていないようだ。個人的には好きなんだけどなー。
いや、最近「Kiss+πr²」を読み返したのだけど。
学園モノの少女マンガって本当にその作品が発表された時代の流行に忠実じゃない。若者カルチャーとかファッションとか口調とか。今読んだらキツイかなと思ったが、案外そうでもなかったよ。80年代に流行したファッションって、90年代や00年代に振り返ると「うわ、きっつ。ダサ」という印象が拭えなかったのだが、2013年現在の視点だと案外違和感がないなあ。特に女子のファッション。一周ぐるりと回ってファッションの流行が80年代回帰に入っているせいかとも思ったが、1986年ってまだバブルファッション(太眉・トサカ前髪・肩パッド・ボディコン)全盛期ではなかったというのが大きいかもしれない。
 

2013年視点で違和感があったのは、ファッションよりも寧ろ主人公の雑(さい)ちゃんが、自分の将来について語るシーン。
「音楽関係のライターになりたい。高校卒業したらどっかの音楽雑誌の編集部でバイトさせてもらって。いつかフリーになって生活できるようになれればなァ」
 
 

 
 
 
©くらもちふさこ「Kiss+πr²」(1986)
 

うっわあ、やめとけ。食ってけねえぞ。
日本人のマジョリティが洋楽聴いてたのって80年代中盤までだぞ(雑ちゃんはUK洋楽マニアという設定である)。
当時洋楽扱ってた音楽誌はメタル系以外は大半潰れたし、生き残ってるやつも邦楽(V系とか)に路線変更したりしてんぞ。
ロッキン・オンはすっかりフェスのステマ雑誌になってんぞ。
つか、音楽雑誌の全盛期ってせいぜい90年代までだぞ。
いま全然音楽誌売れてねえぞ。
 
…と叫びたくなった。
そうなんだよなあ、80年代の洋楽ロック少年にとっては音楽関係のライターってのは憧れの職業だったんだよなあ。
だって、70年代〜80年代は音楽って「読むもの」でもあったから。
えっ、音楽って「聴くもの」じゃないの?と思ったあなたはきっととてもお若いひと。
「聴くもの」でもあったが「読むもの」でもあったんですよ。
ネットが普及しておらずYoutubeもニコ動もなかった時代。80年代中盤まではまだCDではなくレコードが主流(たしか1986年がCD主流時代への転換期)。簡単に音楽を視聴できるシステムがなかったので、「新しい音楽」に出会う方法として「音楽雑誌で信頼できるライターのレビューを読む」というのは、外せないものの1つだったの。特に海外インディーズやマイナーミュージシャンの情報は今みたいに簡単に得ることができなかったからねえ。言葉の壁もあるしさ。音楽雑誌はコアなロックファンには貴重な情報源だったんだよ。情報量が少なすぎるが故の飢餓感からロック雑誌を隅から隅まで読破し、未知の音への期待で胸を膨らませてレコード屋にGO。当時紹介された海外音楽情報は今から考えるとアテになんないものも多かったけどね。でもネットも無いし音楽配信もない時代だからさー。
皆が情報弱者だったんだよ。
音楽誌が「読み物」だった80年代前半までは、音楽誌は殆ど文字だらけ。「ロック論」についての熱い論争なども盛んに交わされてた。年季の入ったロックファンに、ロックを理屈で語りたがるひとが多いのは、おそらくこういった時代背景の名残。

 
 
日本において音楽誌をとりまく状況が変化してきたのは84年ごろ。
版型の大きいグラビア音楽雑誌の登場以降である。
よーするに「PATi PATi」の登場ですね。これエポック・メイキングだったです。
邦楽オンリー。
チェッカーズやCCBのようなアイドルバンドまでミュージシャンとして取り上げる音楽雑誌の登場。
カラーグラビア多くて、従来の音楽誌に比べて華やかで金のかかった紙面。似たような構成の音楽雑誌としては「B−PASS」があるが、こっちは1985年創刊。
「B−PASS」は音楽雑誌の老舗シンコー・ミュージックから発刊されていたが、「PATi PATi」はCBSソニー出版。現在のソニー・マガジンズである。
当時のソニーといえば泣く子も黙る世界のソニー
そのソフトウェア部門というか音楽部門を担っていたのが米CBSとの合弁で1968年設立されたCBSソニー
CBSソニーというレーベルは元々アイドルビジネスをやってたレコード会社で、南沙織山口百恵天地真理キャンディーズ松田聖子などを世に送り出した。
 

そのCBSソニー傘下で、ロック部門を担当していたのが「EPICソニー(1978年設立。88年、CBSソニーに吸収合併)」である。
EPICソニーに所属していたのがTHE MODS佐野元春大沢誉志幸大江千里TM NETWORKBARBEE BOYSエレファントカシマシTHE STREET SLIDERSなどのアーティスト達。EPICソニーは日本で最初に「ロック」をメジャーな商業音楽として売り出すことに成功したレーベルだった。
EPICソニーの成功は、後のバンドブームの下地を築いた。というかバンドブームの牽引に一役買った。
いや、一役買った以上か。
おそらく「80年代の日本のロック」と言われたらインディーズ系やパンク系より、ソニー系列のアーティストを連想するのが日本のマジョリティだろう。
EPICソニーの成功のあとを追うように、1983年頃から本家CBSソニーもロックビジネスに参加。
CBSソニーのロック部門にはレベッカ、プリプリ、尾崎豊米米クラブ爆風スランプなどが所属しており、ソニー系列アーティストというのは本当に80年代邦楽ロック(J-POP)ビジネスシーンの中核にいた。


 
 
まあ何といってもソニーといえばステマステマといえばソニー
ソニーさんのロックを商業音楽にする戦略過程、実にお見事でした。
2012年の流行語なので今更説明はいらないだろうがステマステルス・マーケティング。「消費者に宣伝と気づかせずに宣伝を行う」ことを指す。
「PATi PATi」はCBSソニー出版なんでね、ソニー系列のアーティストが誌面の8〜9割を占めてましたね。だから「PATi PATi」買うひとはそうと気づかぬうちにソニー系アーティスト(レベッカとかプリプリとか)の宣材を目にしてるというわけ。
「PATi PATi」に限ったことではないが、邦楽音楽誌の大半は音楽誌の皮を被った音楽広告誌である。レコード会社や芸能事務所とのタイアップ提灯記事。タイアップというよりパブリシティかな。「レコード会社側が広告費として音楽雑誌に金を払ってアーティストを賛美する記事を書いてもらう」、というコマーシャル性の強い世界だ。邦楽音楽誌でよくインタビューされてたミュージシャン達ね、インタビューのギャラを殆どもらってないんだそうですよ。パブリシティだからギャラが出ないの。
レコード会社から広告収入あるうえに、ミュージシャンにはギャラを払わない、
となれば音楽雑誌が滅茶苦茶売れてた90年代は、この業界ボロ儲けだったんじゃないだろか。
現代は情報をネットで簡単に手に入れられる時代(しかも瞬時に無料で)になったので、音楽雑誌は衰退したけど。

 
 
あと、ソニーは「VIDEO JAM」(ビデオジャム)という音楽番組もやってた。
これもソニーミュージック関連のアーティストばかり紹介していたので、「あっ、邦楽MTV番組だ」と思って「VIDEO JAM」見てると、知らんうちにソニー系列のミュージシャンの宣材にばかり触れることになるという構造。
 
それとアニメとのタイアップ。
アニソンのOP、EDをJ-POPミュージシャンが担当するようになったのは80年代から。
マジンガーZに代表されるような「いかにもアニソン」という曲が消え、アニソンがJ-POP化していったのは1983年ごろからである。
先駆けとなったのは杏里「キャッツ・アイ」やH2O「想い出がいっぱい」あたりだろう。
杏里「キャッツ・アイ」の大ヒットで、アニメ主題歌つうのは音楽プロモーションの意外な穴場だったことに業界側が気づかされたんですね。
それ以降、様々なレーベルがアニソンとのタイアップを開始。中でもEPICソニーは積極的にアニメとのタイアップを実施してきた。
かくしてEPICソニーはアニヲタまで「ソニー系邦楽ロック」のファン層に取り込むことに見事成功。
邦楽ロック(J-POP)とアニメのタイアップは現代まで脈々と続いていますね。


 
いや本当にソニーさんのロック戦略はお見事でした。
皮肉でなく褒めてるんです。
70年代は邦楽ロックってマイナー音楽で、一部のコアなリスナーのみに需要があるに過ぎない音楽業界のニッチ産業でしたからね。
邦楽ロックを日本武道館やドームで公演やっても客が満杯になるほどの音楽業界のメインストリームにまで仕立てたのは、まぎれもなくソニーさんの功績でしょう。
商業音楽やる以上は食っていかなきゃなりません。
ロックというものが日本でビジネスとして成立するようになったのは80年代ソニーのビジネスモデルが成功したおかげです。
 
商業的に成功するのと引き換えに、ロックはカウンターカルチャーとしての役割を失い、反体制的でも反社会的でもない人畜無害で健全なエンターティンメントとなったわけだけどな。まあ、しゃーない。

 
 

んで、そんな80年代EPICソニーを象徴するアーティストが「渡辺美里」だとわたしは思ってるのだが。
渡辺美里は、おそらくEPICソニーというレーベルに最も推されていたアーティストだと思う。
渡辺美里Wikipedia読むと
 

90年代以降の邦楽で活躍した、小室哲哉岡村靖幸木根尚登伊秩弘将佐橋佳幸石井妥師といったミュージシャンは渡辺美里への楽曲提供をきっかけとして台頭したともいわれる。
 

と書いてあるが。
逆だろ。
「当時のEPICの才能を結集させて渡辺美里のための曲を書かせた」が正しいと思う。
EPIC所属ミュージシャンの全面的バックアップを受けるくらい、EPICソニーに推されてたってことだよ。
なんで「80年代EPICソニーを象徴するアーティスト」かっていうと、それっくらいソニーに推されてたってことと、「アイドルをアーティストのパッケージで売り出した先駆け・成功例」だから。
ソニーグループというのは元々アイドルの売り出しに実績があったレーベル。
渡辺美里って「ミス・セブンティーン」というアイドルオーディション出身なんだけど、「ミス・セブンティーン」ってCBSソニー集英社の協賛なんだよね。
渡辺美里はミス・セブンティーン出身というだけでなく、元スクールメイツという、元々アイドル志向のあったひと。それが、なんでロックを演るようになったかというと「好きな歌手はセックス・ピストルズ」と答えるようなキャラだったから、ソニー傘下のEPICよりロック系として売り出されたのだろうと推測してる。で、結果的に「アイドルをアーティストのパッケージで売り出した先駆け・成功例」となった。
アイドルとロック、アイドルとアーティストって当時はまだ対立概念(今もなのか)だったんでね、ロックだのアーティストだのという言葉でアイドルをコーティングすることは「リスナーの選民意識をくすぐる手段」として非常に重要だったわけ。だってソニーグループが購買層として狙ったのは「歌謡曲やニューミュージックやアイドルじゃない音楽を聴いてるちょっとランクが上のオレ」という選民意識を持った層だから。でも洋楽は敷居が高いというひとたちね。
アイドルビジネスの成功実績を持ち、なおかつロックを商業音楽として日本に根付かせたソニーというレーベル。その実績の集大成だと思うんだよ、渡辺美里の商業的成功って。
プリンセス・プリンセスPRINCESS PRINCESS)も同系列かな。
プリプリは寄せ集めのアイドルバンドとして他レーベルからデビューして泣かず飛ばずだったのがソニーに移籍したことで「ガールズ・ロックバンド」として成功を収めたパターンだけど。
今聴くと渡辺美里の曲は、楽曲のジャンル的には「ロック」というより「ポップス」なんだけど、当時はそういうものまで従来の歌謡曲やニューミュージックとの差別化を図るために「ロック」と呼んでいたので、とりあえず「ロック」として話をすすめます。
 
 

 

渡辺美里 - My Revolution(1986)
 
 

面白い曲だよねえ。
いろんな意味で。
80年代ガールズロックって、「根拠なきポジティブ思考」「やたら明るくて元気いっぱい」を全面的に押し出したものが多かったけど、そういう路線の基盤を築いたのはこの曲なんじゃないかと思う。
作曲は小室哲哉で、小室哲哉出世作とも言われている。
のちの小室節全開。
ありえない転調の連続。
有名な話だが、小室哲哉は実は譜面が読めない。
コード覚えて、それで音楽作ってるひとだ。
小室コードと呼ばれるコード進行と、唐突な転調が小室作品の特徴だが、転調に関しては「トランスポーズのボタン適当に押したら転調を覚えた」とも 「ソフトのバグで勝手に音調が変化し転調してしまったことがきっかけ」とも言われている。
DURAN DURANニック・ローズもそうだが、譜面読めないキーボード奏者の作る曲ってコード進行が変で面白い。クラシックの素養があると却って変な曲作るの難しいんだよね。一回、身についたものを破壊しないと逸脱した曲が作れないから。
My Revolutionは3回転調してるんだが、「元々別に作った2つの曲をサビでつなぎ合わせた」と小室本人が「宝島」のインタビューで言ってたのを読んだことがある。
だから本来は、ものすっごく変な曲。
AメロBメロとサビがバラバラなのに、絶妙なバランスで成立してる奇蹟的な曲といってもいいかもしれない。90年代に小室サウンドを嫌っていうほど聴かされたおかげで日本人はこういう構成の曲にすっかり耳が慣れちゃって、現在としては「普通」なんですけどね。当時としては斬新だったんですよ。
My Revolutionというのは80年代ガールズロックの基盤でもあるが、「J-POP」のルーツでもあると思う。小室以降、J-POPって何の脈絡もなくいきなり転調する曲がデフォルトになってしまった印象があるから。
わたしは小室哲哉の曲の構成パターンも、音楽ビジネスのあり方も、そこから窺い知れる彼のメンタリティも、実はかなり苦手なんだが。
でも、現象として非常に興味深いと思うよ。
 
 
 



若者の洋楽離れが進み、一世を風靡した小室サウンドが駆逐され、握手券をつけなければCDが売れず、コンサートを開けば空席だらけ、音楽誌はどこも売れず青色吐息で、チャートの上位はAKBとジャニーズに占領され、音楽市場そのものが縮小してる昨今。
こんな日がやってこようとは86年にはまったく予測もできなかったのだが。
「Kiss+πr²」の「雑ちゃん」はいまどうしているだろうか。
86年に彼の望んでいた通りの職業に就くことができたのだろうか。
わたしは彼の人柄がとても好きだったので、この音楽市場縮小の嵐の中でも、今の彼が音楽ライターとして食っていけてるといいなあと本気で願ってる。
 
 

成長因子 育毛剤