前世紀遺跡探訪<80s-バブル終焉>

80年代~バブル文化圏終焉(実質的なバブル崩壊は91年だが、バブルの延長的な空気が即終了したわけではないので90年代前半までとりあえずバブル文化圏と仮定しとく)の音楽や音楽をとりまく事象について、あれこれと。

戸川純 - 諦念プシガンガ(1984)

戸川純YBO2AUTO-MODやG-Schmittなどの日本の80年代アングラ音楽が好きだという外国人が結構いる。
とあるバンドをgoogleで検索してたら、やたらと英語のサイトがヒットするので気が付いたのだが。
アメリカ人だったりカナダ人だったりブラジル人だったり国籍はまちまちだが、これらの人々はとにかく異常に80年代の日本のアングラ音楽に詳しい。日本人でも余程のマニア以外は知らないようなマイナーなバンドの音源について、各々のサイトやLast.fm(英国発祥の音楽専門SNS)などで情報交換しあっている。

こんな感じだ。
 
G-Schmitt の音楽、動画、統計および写真 | Last.fm
 
戸川純 の音楽、動画、統計および写真 | Last.fm
 
 
上記サイトで「一言ボックス」や「ベストリスナー」見るとわかるが、コミュニティの参加者は殆どガイジンばっか。年齢は10代〜20代が多い。
そして、ものすごーく不思議なのだが、日本のこういうアングラ音源が好きだというガイジンは、なぜか高確率で丸尾末広が好きだったりする。プロフィール画像や自サイトに丸尾末広の画を使うひとがわりといるのだ。このひととか。
 
 
suffer for a world of silence
 
 

こういう嗜好って国籍や民族性を飛び越えた普遍的なものなのか。
にもかかわらず、彼等の大半は日本語を解さない。
不思議で不思議で仕方が無い。どうしてこういうジャンルに興味を持つようになったのか。日本語を解さないのに、どうやってそれらの情報を得たのか。
おそらく、だが。最初の最初のきっかけは日本のメジャーなアニメだったりコミックだったりゲームだったり、なのだと思う。アニメのOPで日本のバンドを知り、Youtube等で動画巡りしてるうちに関連動画からどんどんアングラ音楽につながっていった、って流れではないかと。1つハマれば、あとはLast.fmtumblrで情報交換しあって芋ヅル式にアングラ・サブカル道にどっぶりと、というコースだと思われる。

 
  
今の日本の現役高校生で戸川純のファンだというひとが一体どれぐらいいるだろうか。
椎名林檎あたりからの流れで戸川純を知ったという若いひとは珍しくないだろう。珍しくはないが、決して多くもないよな。1つの高校に数人いりゃー豊作ってレベルだと思う。
日本でコレだから、いわんや海外をや。
フットボールクォーターバックやってるような奴とチアリーダーやってるような奴がリア充ヒエラルキーのトップ」というアメリカというお国柄で、戸川純なんかにハマってるような高校生ってすんげえ希少種だろうよ。ネットは同好の士が集まりやすいからかなり居るように錯覚しちゃうけど。同類は「州に数人」ってとこだろう。あんたらアメリカやブラジルでは生き辛くねえか。いやー、大きなお世話だけど。なんか、気になってしょうがないよ。所縁も面識もない人達なのにね。
 
 
 
で、戸川純なんだが。
やってることはアングラでアヴァンギャルドなのに80年代のメインストリームに居たという不思議な立ち位置のひとだった。
ゴールデンタイムのドラマにも出ていたし、夜のヒットスタジオにも出てた。
「おしりだって洗ってほしい」で有名なウォシュレットCMなどで当時、一般的にも知名度が高かった。子供や老人でもこのひとの名前ぐらいは知ってたのではないか。
つまりメインストリームど真ん中の存在。
でも、アングラ。なのに、アングラ。超アングラ。
玉姫様」や「バージンブルース」なんか夜ヒットでやってたもんなあ。よくあんなもんメジャーで出してメジャーで流したよ。
 
 

 
戸川純 - レーダーマン(1984
 
 

現代では、元祖不思議ちゃんだの元祖ヤンデレ(●ヤンデレとは (ヤンデレとは) [単語記事] - ニコニコ大百科)だのいろいろ言われている。
生まれたのが20年早かった・早すぎた存在だとも。
でも、このひとは80年代だったからこそ出てきたひとだと思うのだ。
イデオロギーも政治もアートもヤンキーもポップカルチャーとして消費した80年代前半の空気は、本来アングラであるべきものまでポップカルチャーとして消化してしまった。「狂気」や「変態」「風俗」「電波」「偏執」までも。「ビョーキ」がそれだ。
「ほとんどビョーキ」は1982年の流行語。山本晋也が「トゥナイト」の風俗レポートで流行らせた。元々は「常軌を逸した」「すげえ」程度の意味だったと思われるが、だんだんそれに「病んでる」「情緒不安定」といった要素も含まれるようになった。病んでることや情緒不安定であることがポップカルチャーとして消費された時代の空気、それはやはり80年代特有のものだったように思う。病んでることまでも「ビョーキ」と言って面白がってた80年代に出るべくして出てきたのが戸川純だったのだろう。
現代にも「ヤンデレ」というカテゴリがあることはありますがね。あくまでも「萌え属性」の1種であって、80年代のように「病んでることを面白がる」というニュアンスは「ヤンデレ」には含まれてないと思うんだよねー。だから戸川純を元祖ヤンデレとカテゴライズされるのにはちょっと異論がある。
 
 

んで、現代人が戸川純を解析する際に使用するもう1つのフィルタが「不思議ちゃん」だが。
これにも異論を唱えたい。
「不思議ちゃん」って自意識肥大状態の女子中二病だからさあ。その手のひとは大概、「わたしって変わってるって言われるんです」と自己紹介するが、本人が自認してるほど特殊枠のひとではないのであった。非凡コミューン内では極めて平凡。普通の奴が「人とは違っているわたし」を醸し出そうと自己演出してるのが「不思議ちゃん」だという認識。わたしの中では。
ホントに変わってるひとやホントに病んでるひとは「不思議ちゃん」とは言わん。「不思議ちゃん」で片付けるには重過ぎるでしょ。
wikipediaで「不思議ちゃん」を見てみると、ルーツは桃井かおりなんですねー。藤谷美和子のデビュー時にキャッチフレーズとして用いられて一般化したと。となると70年代から存在してたカテゴリなんだな。でも戸川純がメディアに出まくってた頃は、このひとを「不思議ちゃん」というカテゴリでくくる共通認識は世間に存在してなかったように思う。単に「ネクラな個性派女優」くらいの位置づけだったような。記憶力悪いから事実誤認かもしれないけど。
間違ってたらどなたか指摘してください。
 
 
 
 
 
戸川純は重い。
血と因習と情念の匂いがする。
ドロドロとした心の澱の匂いがする。
処女の潔癖性と少女の青さ・無邪気さ・残酷さ。
女の業と怨念と狂気。
これを「ヤンデレ」や「不思議ちゃん」で片付けると、戸川純というひとの意味を読み間違う気がする。
「不思議ちゃん」だったのは戸川純のファンやフォロワーであって、本人ではない。
わたしはね、ちょいと苦手でしたよ。
戸川純本人が、ではなく戸川純のフォロワーさん達が。
「非凡コミューン内の平凡」なひとの自意識の発露ってけっこータチ悪いからさあ。
なんでそんなに非凡なひとでいたいのかさっぱりわからんよ。凡庸だと何か問題でも?
つか、凡庸に生きるって案外難しいぞ。
今となってはもうどうでもいいんだけど。
 
 
戸川純、今改めて聴くと歌がものすごく上手くて驚く。
「不思議ちゃん」の系譜を受け継ぐ女子は今後も絶えることなく出てくると思うが、戸川純のようなひとはもう出てこないだろう。
あんまり集中的に動画見てると湯あたりする。
強烈過ぎて。
 
 

戸川純 - 諦念プシガンガ(1984
 

 

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