前世紀遺跡探訪<80s-バブル終焉>

80年代~バブル文化圏終焉(実質的なバブル崩壊は91年だが、バブルの延長的な空気が即終了したわけではないので90年代前半までとりあえずバブル文化圏と仮定しとく)の音楽や音楽をとりまく事象について、あれこれと。

沢田研二 - 晴れのちBLUE BOY (1983)

郷ひろみ@ジャパ〜ンは常に全身くまなく映る鏡に己が姿を映し、「お前は郷ひろみでいたくないのか」と自問自答して、あの体型を維持してるんだそうな。
キッツイ話だ。「郷ひろみ」でいるためにはその緊張感を一生持続させ続けなければならないわけで。ここまで節制を強いられる生活って、ある意味苦行でしかないのではとも思う。もちろん見上げたプロ根性だと感心するけど、本人辛くはないのかな。郷ひろみってホントにザ・芸能人だよなあ。
 
なんでこんなことを書くかというと、イヤ、やっぱ沢田研二氏はお太りになられたと、近影見るといつも思うもので。
「人は見た目が80%」といわれるが、芸能人はずばり見た目が99%である。
で、あれだけプロ意識やサービス精神にたけていた沢田研二がそのことを自覚してないはずはないわけで。本人は今の己の外見をどう捕らえてるのかなーと疑問に思ってたんだけど、実は案外「ザ・芸能人」という重圧から解放されて気が楽な状態なのかなともちょっと思ってる。GS時代から全盛期まで、あれだけ長いこと婦女子の嬌声に囲まれた生活してた人も他にいないんで。己の自意識との格闘はおそらく壮絶なものがあったんじゃないかと。んで、そういうものから解き放たれた今、往年の輝きは失ったけど、あれはあれで本人結構気が楽なのかもしれないなーなどと色々考えてしまいましたですよ。 今は食いたいもん好きなだけ食えて幸せなんだろーなと。
実は30歳以降の沢田研二の歴史はダイエットの歴史だったりするんで。元々すごく太りやすい体質らしいが、「ジュリー」であるためには太ってはいけないというプロ意識が当時すごく強くて、そこがいいなと思っていた。
基本的にプロ意識が高い人に好感を持つ。どのジャンルでも。
 
美貌でいうなら、今の芸能人は昭和時代よりも顔面偏差値が上がったので、イケメンはナンボでもいる。
なんだかんだいっても沢田研二は昭和の人なので、現代のイケメンに比べてバランスが悪い。が、今のイケメンには沢田研二を越える存在感を持つ人はいない。てか、「昭和のメインストリーム・エンタメ歌謡曲ど真ん中」という枠のなかで、あんな前衛の限りを尽くした人材はもう輩出されないだろう。
 
 
1973年「危険な二人」以降の沢田研二のヴィジュアル面を担当していたのは早川タケジという人物だが、このデザイナー、イラストレーターでありスタイリストでもあった早川タケジとのコラボレーションは本当に素晴らしかった。
沢田研二は「素材」としてはとんでもない逸材で、あらゆる前衛と冒険と先取りを平然とやってのけた。
「私は素材だから、どうぞ好きなように料理してください」とまな板の上の鯉になりきるには演じ手の自我が強すぎる人だったけどね。早川タケジとはウマが合ったんだろうな。
男の化粧、金ラメキャミソール、剃刀のピアス、セーラー服、電飾衣装、パラシュート、カラコン、タトゥー、軍服。元ネタが「愛の嵐」のシャーロット・ランプリングだったり「地球に落ちてきた男」のデヴィッド・ボウイだったりディートリッヒだったり。数え上げればキリがない。
グラムロックもパンクロックも、沢田研二を経由して日本のお茶の間に入ってきた。
きらびやかでグラマラスでキッチュでチャーミング、ゴージャスで猥雑でエキセントリックで退廃的。悪趣味と隣り合わせのハイセンス。
…ほんっと、存在自体がグラムだよなあ。
「ロック・スター」はこうでなきゃ、と思うもの。
でもあくまでもエンタメであり、徹底して歌謡曲
自分が「歌謡曲」の歌い手であることを誰よりも自覚し、常に商業的・娯楽的であることを意識していたひとだった。
 
 
何度も書いてることだが日本文化はリミックス文化。
謡曲というのは、あらゆる外来音楽・輸入音楽のいいとこ取り・換骨堕胎に日本の土着性をミックスさせた混血音楽である。
沢田研二はその「歌謡曲」という枠を最大限利用し、洋楽の先鋭性や前衛性を残したままで「お茶の間のエンタメ」に変換した。
このひとくらいありとあらゆる「日本で初めて」をやり尽くしたひともいないだろう。
「芸能人は消費されてナンボ」ってこともわかりすぎるくらいわかってたと思う。
 
 
 
沢田研二は本当にいろんなことをやり尽くしてるので、どれを俎上にあげようか迷ったが、曲として面白いのは何と言っても「晴れのちBLUE BOY」だろう。
「晴れのちBLUE BOY」は1983年にリリースされた作品。
これさあ、作曲は大沢誉志幸なんだけど、やってんのはモロにジャングル・ビートなんだよ。
ジャングルビートというのは80年代初頭にアダム&ジ・アンツやBOW WOW WOWが演ってたアフリカン・ビートの一種。
フロアタムのドコドコした音が特徴的なやつです。
90年代に小室哲哉H Jungle with T」で「ジャングル」というジャンルの音楽を取り入れてるが、あれとは別物。小室の方はブレイクビーツの発展形の「ジャングル」で、いわばラガ・テクノの類似系列みたいな感じ。
 
 
80年代のジャングルビートは、稀代のロックンロール詐欺師、マルコム・マクラーレンセックス・ピストルズの悪辣マネージャーとして有名)がAdam & The Ants(アダム&ジ・アンツ)をプロデュースした際に、メジャーシーンに持ち込んだもの。マルコム・マクラーレンというひとは本当にいろいろと悪名高いんですが、先鋭的なアンダーグラウンド・カルチャーをいち早く嗅ぎ付けて、メジャーに持ち込み「商売」にすることにかけては天才的でして。ありがちなパンクファッションだったアダム&ジ・アンツを、パイレーツファッションで着飾らせて(もちろんデザイナーはヴィヴィアン・ウェストウッドニューウェーブ、ニューロマとして大々的に売り出した。マルコムさん、あとでボーカル以外のメンバー全員引き抜いて新バンド作るというハデな裏切りをやらかしたけど。そんで作った新バンドってのがBOWWOWWOWなんですけどね。
アダム&ジ・アンツもBOWWOWWOW(バウワウワウ)も、「ジャングル・ビート」というジャンルをこれ以上進化させることはなく、また、後続のバンドに受け継がれて発展することもなく、一過性のもので終わった。
だが、「ジャングルビート」はそこが面白いのだ。
現代に繋がる事なく「80年代」という枠の中で切り離されてる音楽だから。
バンドの人気が失墜すると同時に、消滅していったスタイルの音楽だから。
 
 

Adam and the Ants - Dog eat Dog (1980)
 
 
 

BOW WOW WOW - I Want Candy (1982)
 
 
 
で、このジャングルビートを換骨堕胎して歌謡曲に仕立て上げたのが沢田研二の「晴れのちBLUE BOY」
 
 

 
沢田研二 - 晴れのちBLUE BOY (1983)
  



 
 
 
 
元ネタと聞き比べると面白いよ。
アダムは海賊ルックだったけど、ジュリーはミリタリー。
つーかホント好きなんだね、早川タケジって。軍服と制帽が。つくづく。
これ紅白での映像だっていうけど、よくもまああんな時代にこんなことやったもんだ。70年代後半〜80年代前半の沢田研二って常に「よくもまああんな時代にこんなことやったもんだ」をやり続けていたから、今更だけど。
沢田研二ニューウェーブ消化作品としては、この曲が卓越して面白い。
ジャングルビートを歌謡曲に持ち込んだ例ではシブがき隊の「サムライ・ニッポン」とかもあるんだが、「サムライ・ニッポン」のほうが「ザ・歌謡曲」って感じですね。ジャングルビートはあくまでも隠し味程度にしか使われていない。
「晴れのちBLUE BOY」はアレンジがやたら斬新で大胆。というか、洋楽に寄りすぎて、歌謡曲としてはかなり難しい曲です。
現在ならまだともかく、83年当時の日本人にはリズム取りにくいんですよ。
歌詞も変。意味不明で。意味ありげで。
簡単に言うと当時の売れ線の主流から外れてる。邪道です。
でも、沢田研二が演れば邪道ではなく王道になる。
 
沢田研二という人は、当時そういう人でした。

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