前世紀遺跡探訪<80s-バブル終焉>

80年代~バブル文化圏終焉(実質的なバブル崩壊は91年だが、バブルの延長的な空気が即終了したわけではないので90年代前半までとりあえずバブル文化圏と仮定しとく)の音楽や音楽をとりまく事象について、あれこれと。

中森明菜 - 難破船(1987)

光GENJIは「少年の性の商品化」が露骨だったと前回書いたが、光GENJIに限らず、アイドルというのは「性」の部分も消費される存在である。
70年代の山口百恵に「あなたに女の子に一番大切なものをあげるわ」と歌わせたことや、西条秀樹に「抱いてやる!」と叫ばせたことなどが顕著な例だ。
80年代中盤のおニャン子クラブセーラー服を脱がさないで」なんてのは、かなりモロだろう。最近だとAKB48関連がモロですかね。ランパブのようなPVや、お菓子の口移しCMなどは、もう釣り針がでかすぎなのだが、それでも釣り上げられる人は後を絶たない。

80年代前半でことさらにエロな雰囲気を売り物にしていたアイドルは中森明菜だったと思う。
デビュー時のキャッチコピーからして「ちょっとエッチなミルキーっ娘」。デビュー2曲目の「少女A」(1982)などはタイトルからしてスキャンダラスな匂いがしたし、歌詞にも全体的に性的な符丁が散りばめられていた。「少女A」というのは、「名前のある一個人ではない記号としての少女」という意味だろう。「この子を少女の性の記号として消費してくれ」という事務所側の思惑が前面に押し出された曲だったと思う。
「歌姫」として咀嚼される以前の中森明菜の立ち位置は、その「少女A」に代表されるような「少女の青い性」の記号的商品だった。
こう言ってしまっては非常に申し訳ないが、実際顔立ちも表情も声もエロかったんだよな。幼さと背伸びした大人っぽさが混在してて、どっか影があって、そこはかとなくヤンキー臭がして。

エロというのは影から生まれる。中森明菜には当初から影があった。不幸の影が。
どこまで実話か・どこまでライターが話を盛ってるかは不明だが、「中森明菜・心の履歴書」という本(1994年出版・雑誌ポポロで語った中森明菜インタビューをまとめた本。すんません、こないだうっかりブクオフで買っちゃって。)によると、かなり複雑で孤独な幼少期を過ごしたことがわかる。あと、家庭環境に色々と問題があったこと。「あんたさえいなければ」と実の親に言われて育って、影が生まれないほうがおかしい。歌が好きだからというより「お金のため、家族のため」に歌手になったともこの本で語っている。出自が不幸なので、より一層幸せを渇望してたひとなのだろう。早いうちに好きな人と結ばれて結婚・引退、幸せな家庭を築くという山口百恵コースを辿れればそれが一番ベストだったのだと思う。
皮肉なことに歌姫として成功するのに反比例して、私生活ではどんどん不幸やトラブルに見舞われていったのだが。



歌手としては順風満帆に見えたが、歌手以外の部分で本当に波乱万丈でいろいろあった。気の毒で見ていられないくらいに。
近藤真彦宅での自殺未遂や、金屏風の前での晒し者のような復帰会見。
事務所のトラブル、ファンクラブのトラブル、家族のトラブル。
このへん極めて日本的というかアジア的だと思うんだが、金銭的にあまり恵まれていない大家族の中からスターになって金が稼げる女の子が1人輩出されると、家族全員がそれによっかかって、たかって、家族の自立をかえって妨げちゃうんだよなあ。稼いだ分をほとんど親や兄弟に吸い取られて、家族どころか親戚一同にさえ寄生されて。 90年のインタビューでは中森明菜は「お金はね、盗られてもいいの。でも、心は盗らないで欲しい」 とまで語っている。20代前半の若い女の子のいうセリフじゃないですね。

いま「中森明菜」というと、「80年代前半のエロ路線アイドル」や「実力派歌姫」よりも「いつも薄幸そう」な印象のほうが強いんじゃないかと思う。
いやーホントに、自殺未遂以来、ずーっとずーっと「明菜ちゃん、早く元気になって」と言われ続けているような気がするので。
あの自殺未遂って1989年ですからね。
もう23年間、「明菜ちゃん、早く元気になって」といわれ続けている。
それっくらい幸薄い印象。
近藤真彦との恋愛トラブルが「メディアのこっち側」からも目に見えてわかる不幸の引き金となったのは確かなんだろうけど、「ずっとマッチに未練があるから今も不幸」ってわけではないんだろうなー。もう昔の男のことはどうでもいいんじゃないか?ただ、あれがきっかけでボタンを留め違ってしまった、それが留め違ったままなので負の連鎖からなかなか抜け出せない、って気がするよ。
このボタンの留め違いっていうのはなかなか厄介で。間違ったところから、一旦全部ボタン外さなきゃいけないんだけど、ここまで負の連鎖が続くともうそれが難しいんだろうなあ。
これ、華原朋美にもいえるんだけど。小室哲哉にいまだに執着してるから挙動がおかしいんじゃなくて、あれがきっかけでボタンを留め違っちゃって、直せないんだよ、たぶん。




このひとの一番の不幸は、不幸を吸って肥え太るタイプじゃなかったことだ。
歌手や女優にもいますがね、モノカキに多いんですよ、「不幸喰い体質」。
こういうひとは自分が不幸でいるために常に常に不幸や不満のタネを探している。
こういうひとが口に出す「幸せになりたい」というのも紛れもない事実なんだけど、無意識下で「不幸じゃないと自分じゃなくなる」とも思ってるのが実に厄介なところ。
幸せで充実しちゃうといい作品が書けなくなるっていうのもあるだろうけど、仮想敵と不幸のネタが常に存在してくれないとモノカキとしてのモチベーションがあがらないってひとがいるんだ、たまに。
こういうひとの著述活動は、読者への「不幸のおすそ分け」。
あえて不幸になるような人生の岐路を選択・あえて不幸になるような人生のパートナーを選択・あえて不幸になるような自分の言動を選択し続けるので、いつまでもいつまでもいつまでも不幸なのであった。
でも、それを創作のエネルギーにしてるので、ある意味モトは取れてるんだな。
一般の人間社会の共同体だったら、他人への最低限の配慮にさえ欠ける人物は、和を乱す存在として排除されていくんだが。モノカキってそういうタチの悪さまで特殊性として歓迎される材料になるから、そういう欠点が助長されていくんだよな。
こんな人がもしも身近に居たら、私のほうが我が身の不幸を呪わにゃならん。
でも中森明菜がこれっくらいの不幸喰い体質だったら、不幸をモチベに変換して歌手としてもっと凄いところまで行けたんじゃないかと思う。
ご本人の望んでいるのは歌手としての成功よりもヒトとしての幸福なので、わたしは外野席からものすごく残酷なことを無責任に言ってるんだろうけど。



もう1つの不幸は、ヤンキー体質じゃなかったことかな。
環境や雰囲気はヤンキーなんですけどね、気質がヤンキーじゃないんですよ、中森明菜って。
「日本シメたら次は世界!」くらいの「うぉりゃあ全国制覇じゃあ」っていう気概があったら、もっととんでもなくポジティブ&アクティブに芸能活動できたんだろうなあ。どんなスキャンダルも不幸も全部自分の肥やしに変えてね。他人にどれだけ迷惑かけようとおかまいなく。これじゃ松田聖子か。
でもほんとに松田聖子くらいたくましかったらなあ。
それを望むのは酷だとわかってても、ついそう言ってしまいたくなります。
「明菜の歌手としての本格復帰を待っている」というファンは多いと思うが、もう本人はあまりやる気がないんじゃないかと思う。
この負の連鎖の中で「やる気」出すのは難しい。
ていうか、何より「自分で自分の感情のコントロールができない」点が非常に厄介なわけで。
このひとの何もかもを受け止めてくれて、全身全霊をかけてこのひとを愛して、支えてくれる「王子様」が現れれば心も安定するんじゃないかと思うんだが。
そんな王子様は中森明菜といえどそうそう都合よく現れてくれない。



中森明菜 - 難破船(1987)



これ見てるとわかるけど、このひと歌手としてはバケモンですね。
よく歌姫と評されているけど、美空ひばり並に歌唱力が高いわけじゃない。
このひとはフィギュアスケートでいうところの「芸術点が飛び抜けて高い」タイプ。
「技術点」は“歌が上手い”といわれている歌手の中ではフツー。なんて言ったら明菜ヲタに殺されるか。
でもすっごい芸術点の高さだと思いますよ。
「歌い手としての演技力」に長けているんですね。
沢田研二と同じ。
歌を歌うことで歌詞に書かれた以上のドラマを演じるタイプ。
で、このひとも「歌謡曲」という枠の中で最大限その持ち味を発揮するタイプですね。
ここまでの情念を歌に込められるひとは演歌歌手でもそうそういない。
わたしは中森明菜全盛期は、彼女の持つ「湿気」が非常に苦手だった。
何を歌っても全く湿気ない松田聖子のほうが面白い。
好き・嫌いの問題ではなく実は今もそう思っているんだが。
それでも、この芸術点の高さをこのまま埋もれさせてしまうのは惜しいと思う。
復帰してもう一花咲かせて欲しいような気もするが、もうこのまま「伝説の人」でいたほうがいい気もする。
なんか、一花咲かせても不幸そうだから。
いまの「J-POP」は「難破船」に見られるような情念をもう必要としていないような気もするし。
複雑な気分。

 
 

 

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