前世紀遺跡探訪<80s-バブル終焉>

80年代~バブル文化圏終焉(実質的なバブル崩壊は91年だが、バブルの延長的な空気が即終了したわけではないので90年代前半までとりあえずバブル文化圏と仮定しとく)の音楽や音楽をとりまく事象について、あれこれと。

アナーキー - 東京イズバーニング(1980)

漫画家のよしながふみが「むかつく」っていう言葉をはじめてマンガのなかで見たのが「ホットロード」だったと、著作の中で発言している。“すごい衝撃で、「そう、私たちこれ使うの!」って思って、なんで知ってんのこの人、ってびっくりした”とも。
私はこの発言を読んで、ああそうか、よしながさんは育ちの良い都会の優等生なのだなあと思った。
「むかつく」はホットロード以前にもマンガの中に登場してたから。主にヤンキーマンガとかそっちのほうで。
 

むかつく - 日本語俗語辞書
 

日本語俗語辞書によると、
 
むかつくとは「胃がむかつく」に見られるように、胸焼けや吐き気をもよおすことだが、関西などエリアによっては江戸時代から「癪に障る・腹が立つ」という意味でも使われる。1970年代後半のツッパリブーム時には不良が教師や親、警察、敵対する人・グループといった自分たちの自由や思惑の邪魔になる者を対象に、後者の意味で全国的に使うようになる。1980年代に入ると世代・エリアを超え、こちらの意味でも広く浸透。また、1998年に栃木県で起きた教師刺殺事件で犯人の中学生の発言に使われ話題となった。マンガなどではムカつくという表記も使われる。
とある。
 

元は関西由来の俗語だったのが、ツッパリブームで全国に伝播されたのだ。
この間アナーキードキュメンタリー映画見てたら、ボーカルの仲野茂が1980年のインタビューの中で「むかつく」を使っていて、ああやっぱりなと思った。80年代初頭にはツッパリ用語というかヤンキー用語だった「むかつく」は、ホットロードが発表された1986年にはよしながさんのような優等生タイプまで使用するような若者俗語として一般的な言葉になっていたのだろう。




ユーミンが「SURF&SNOW」でバブルを予見したようなプチブル感覚を庶民に布教・洗脳した1980年、まったく対極的なバンドがデビューした。
アナーキー」。
天皇にケンカ売ったバンドとして一部で有名だ。
シブがき隊の薬丸、男闘呼組の成田のフェバリット・アーチストだといえば、なんとなく想像できると思うがまあよーするにヤンキーバンドである。だが、パンクバンドでもあるのだ。


アナーキー - Not Satisfied (1980)


ヤンキーがパンクに触発されてバンドを作ったらこうなったのである。「パンクとヤンキーの融合」と呼ばれているが、狙ってそうなったわけではなく、結果的にそうなってしまったのだ。
アナーキー」は「亜無亜危異」とも表記する。名前の由来はセックス・ピストルズの「アナーキー・イン・ザUK」からだが、彼らが最も影響を受けたバンドはクラッシュだろう。
 


パンクが日本に「輸入」された70年代後半、最初にパンクに飛びついたのは高学歴インテリ層であった。60年代だったら学生運動やってたようなタイプの人たちである。文系頭でっかちな皆さんはパンクをアタマで咀嚼した。「東京ロッカーズ」と呼ばれる流れである。漫画家・森脇真末味が「緑茶夢」で描いたロックシーンはちょうどこのへんの時代だ。
が、不良はパンクを本能で咀嚼した。
「なんだか知らねえけどパンクつうのがいて、コイツら女王にケンカ売ってるらしいぜ。すげえじゃん」→「すげえな。じゃあ俺らもパンクやるか」→「そういや浩宮って同級だよな。あいつでけえ家住んでてむかつくよな」→「よし、俺達ぁ皇室にケンカ売ろうぜ」
こうして出来たのが、「東京イズバーニング」という曲である。いやマジで。
天皇にケンカ売った曲・放送禁止になった曲として有名だが、元々の対象は天皇というより浩宮東宮)だよなあ。インタビュー読むと。
 

あったまくるぜーまったくよー ただ飯食ってーのうのうとー
いい家住んでーのんびりとー なんにもしねーですくすく育って
なーにが日本の象徴だー なんにもしねーでふざけんなー

 

こういう歌詞だ。曲はクラッシュの「ロンドン・イズ・バーニング」をそのまま使った。
実は替え歌なんですね。
個人的には、天皇くらい老人になっても病気になってもヘヴィにこき使われてる存在もそうそういないと思うんだが、まあいいや。
この曲で「アナーキー」は一躍、反体制の先鋒的バンドとなった。が、別に左翼思想とか天皇制批判とかがバックグラウンドにあったわけではない。不良的文脈でロンドンパンクを咀嚼し、それを自分達の日常の不満に置き換えたらこうなってしまったのだ。
 

当時の「パンクに対する日本の媒体の情報量の少なさ」もかなり影響してるだろう。
大貫憲章がロンドンで初めてセックス・ピストルズを見た時、いろんなバンドが出ていてどれがピストルズなんだかわからず、近くにいた田舎くさいガイジンに「あれがセックスピストルズか?」と尋ねたら「そうだ」と言われたので、「そうか。なんかあんまり良くねーなー」などと思いながらライブのレポートを書いたら、実はそれはピストルズではなくクラッシュだったと後になってわかった”と何かで藤原ヒロシが言ってたが、とにかくそのぐらいパンクに関する情報が入ってきてなかった。
アナーキーが結成されたのは1978年だが、情報量が少ないため、正確に「パンクの輸入」が行われず、足りない箇所は自分達の価値観(暴走族センス)で補った。
かくして「アナーキー」を「亜無亜危異」と表記するような暴走族カルチャーというか右傾化文化と、反体制左翼が同居するケッタイな状況ができあがったのである。


アナーキー - 東京イズバーニング(1980)


パンクは元々ニューヨークで生まれた。そのバックグラウンドはアート的なものが主体となっており、ファッションや政治的なものではなかった。
それがロンドンに飛び火し、パンク・ムーブメントとして勃興する。商業的・ファッション的なところからスタートしたスキャンダラスな要素と、当時の世情を反映した反社会的な政治的主張を含んだ要素が同居したもので、根幹となるイデオロギーは(商業的・ファッション的な部分も含めて)基本的には左翼であり反体制だ。
対してヤンキーは、立ち位地こそアウトローだが、そのメンタリティは基本的に保守反動。
保守たるヤンキーが反体制ロックを演る「アナーキー」。
この捩れた現象を解読するには、そこに補助線を引くといい。
それは「日本人は輸入文化を独自の解釈でテキトーに消化し貪欲に取り入れるが、そこに思想性や宗教性は反映されない」という補助線である。キリスト教の宗教儀式を、単なるイベントや恋愛の消費行動として消化してしまったクリスマスなどが顕著な例だ。
ようするに万葉仮名の時代から同じことやってんのだ日本は。輸入文化である漢字を独自の解釈で本来の意味を無視して和語に取り入れ、最終的にそれをアレンジしてカナという独自文化を作ったという、アレと一緒。実に節操がない。が、そこが面白い。
アナーキーはパンクを極めて日本的解釈・不良的文脈で咀嚼し、消化し、アレンジして、「ヤンキーパンク」という新ジャンルを作り上げたのである。

日本に海外のカウンターカルチャーサブカルチャーが輸入文化として入ってきた時、最初にそれに飛びつくのは大概、高学歴インテリ層かおされサブカル層である。だが、彼等の「翻訳」では、輸入文化は一般にまで広く浸透しない。輸入文化が一般層に浸透するには、一旦「ヤンキー」というフィルターを経由しないとダメなのだ。
アナーキーのファーストアルバムはパンクであるにも関わらず10万枚を売り上げた。当時としては異例のことだが、「ヤンキーフィルター」の象徴的事例だと思う。


日本のパンクは、ものすごく乱暴に大別するとインテリ文系の流れと体育会系の流れがあるが、体育会系パンクバンドでアナーキーのDNAを受け継いでいないものはないだろう。
苦節20数年の末、最近やっとブレイクした怒髪天というバンドがあるが、彼等もアナーキーのDNAを強く受け継いだバンドの1つだ。
ドキュメンタリー映画アナーキー」を見ていたら怒髪天のボーカル増子氏が出ていて、「高校の文化祭でアナーキーのコピーを演って、これでこの学校も変わる!と本気で思っていたが学校は全然変わらず、代わりに俺の扱いが変わった」とインタビューに答えていて、飲んでたコーヒーが鼻に逆流した。
面白れーなーこの人。
 
 

 

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