前世紀遺跡探訪<80s-バブル終焉>

80年代~バブル文化圏終焉(実質的なバブル崩壊は91年だが、バブルの延長的な空気が即終了したわけではないので90年代前半までとりあえずバブル文化圏と仮定しとく)の音楽や音楽をとりまく事象について、あれこれと。

チェッカーズ - ギザギザハートの子守唄(1983)

少女漫画にキャラクター化されて描かれたミュージシャンは多い。
最多出場回数を誇るのは70年代グラムロック全盛期のデヴィッド・ボウイだろう。
大島弓子木原敏江山岸凉子らの70年代の作品には明らかにボウイが元ネタの脇キャラが多数登場する。
佐藤史生大和和紀の作品にも出てたなあ。
あとはクイーンのフレディ・マーキュリー、T・レックスのマーク・ボラン、JAPANのデヴィッド・シルヴィアンミック・カーンなども少女漫画頻出洋楽キャラだった。
凄かったのは青池保子で、ZEPやEL&Pをまんま主役キャラに使って「イブの息子たち」「エロイカより愛をこめて」を描いた。青池さんはグラムじゃなくてプログレがお好きだったのだな。
80年代では清水玲子のデュランデュランとか、成田美名子のテレンス・トレント・ダービーとかが有名かなあ。
パンク系・NW系UKロックミュージシャンをやたら登場させてたのは谷地恵美子、富永裕美、早坂いあんとか。
洋楽ミュージシャンをキャラ化してパロッた、全編ナマモノ二次創作の志摩あつこの「8ビートギャグ」なんて作品まであった。

邦楽だとジャパメタのミュージシャンを多数登場させた多田かおる作品(いっぱいある)、楠本まきの「KISS××××」。楠本まきのは自主制作レーベル「トランスレコード」所属ミュージシャンが元ネタ。果たしてどこまで、いったい誰に通じるのか、というくらいマイナー。
キャラのヴィジュアルのモデルとされたのは邦楽では80年代前半は本田恭章中川勝彦
80年代後半は圧倒的に「BUCK-TICK」の櫻井敦司だろう。まさに「2次元の生き物が間違って3次元に存在してる」ようなヴィジュアルだったから。もーあっちでもこっちでも元ネタは櫻井敦司かというキャラを少女マンガで見かけた。ちょっと後の時代ではラルクhydeも多かった。
90年代以降の少女漫画はとにかくV系V系V系。
少女漫画家さんは皆様面食いでいらっしゃるのね。
こうやって挙げていくと、少女漫画家の萌えの対象はものすごく時代性を反映するものだとわかる。



80年代国産アイドル系だと、少女漫画頻出キャラはなんと言ってもチェッカーズだと思う。
ジャニ系も多かったが、チェッカーズのほうが多かったように記憶している。
集英社系少女漫画でやたらとチェッカーズなキャラを見かけた気がする。紡木たくとかいくえみ綾とか。安積棍子もそうだったかな。
だが、チェッカーズ漫画で少女漫画の金字塔に輝くのは、誰が何と言おうと竹宮恵子先生の「>5:00P.M.REVOLUTION」であろう。
「>5:00P.M.REVOLUTION」は「アフター・ファイブ・レボリューション」と読む。
す、す、す、すげかったです。いろんな意味で。
チェッカーズがきっかけでロックに目覚めた」と仰る竹宮先生の当時のフミヤ萌えが集約されてて、かなりパンチが効いた作品でした。いや、仕方がないんです。竹宮先生は「チェッカーズでロックに目覚める」までずっとクラシック畑の人だったので。ロック・リテラシが欠けてても当然。
とは言っても「節子、それパンクとちゃう。尾崎豊や」などと思わずいらんツッコミを入れたくなるほど、ロックに対する豪快な勘違いが随所に詰まってて。
非常に興味深いですよ。
皆様も機会があったらぜひご一読を。





で、チェッカーズなんですが。
チェッカーズって「ロック」ですかね?
初期はかなり「ロック」というカテゴリに入れるのは微妙な気が。
スピリッツがどうこう、生き様がどうこう、姿勢がどうこうという意味ではなく、純粋に音楽ジャンルとして。


80年代中盤までは、バンドがメジャーに進出するコースにはざっくり分けて2種類あった。
「楽器社やレコード会社主宰のコンテストで入賞」コースか、「自主制作(インディーズ)で曲出して話題性を得る」コースか。
80年代初頭だと「コンテストで入賞」コースが一般的。自主制作コースはもうちょっと後の時代。
チェッカーズヤマハ主催の「コンテストで入賞」コースで芸能界入りした。
元々は久留米の田舎ヤンキーで、ロカビリーやドゥワップをやってた人たちである。
ジャンル的にはキャロルやシャネルズの系譜。デビュー前はリーゼントに革ジャンで洋物不良というかアメリカン不良スタイルだった。デビューさせるにあたって、ビジュアル的にあまりよろしくない、ということで、一流スタッフがついて大改革が為される。ようするにアイドル化だ。
ボーカルの藤井郁弥がアイドル性が高いルックスをしていたので、唄って踊れるアイドルバンド化を画策したのですな。
総合プロデュースに秋山道男・奥村靫正、音楽プロデュースに芹澤廣明、ファッションスタイリングに堀越絹衣。これらそうそうたる面子によって久留米のヤンキー兄ちゃん達がポップでキュートでオサレなアイドルバンドに生まれ変わったわけです。
そうして満を持して、1983年、「ギザギザハートの子守唄」でデビュー。

リーゼントの前髪をおろされ、あのチェッカーズカットといわれる髪型に切られた時、メンバーはすんげえ抵抗したそうですがね。
スピリッツはヤンキーな人たちだから。
どんなに女子供向けの「マスコットみたいにカワイイ」アイドルバンドとなっても、彼らはヤンキー要素を捨てなかった。捨てなかったというか、捨てられなかった。飼いならされたチワワみたいなナリしてても、不良性が垣間見えるんですよ。お行儀の悪いヤンチャぶり、っていうか。ヤンキー独特の雰囲気が。
でもそれが「チェッカーズ」という商品の最大の勝因。
この人たちが成立させたのは「アイドル性とロック性の両立」ではない。
「ヤンキーとアイドルバンドの両立」である。
アイドル8に対して、ヤンキー2くらいの割合かな。
チェッカーズはまさに「ヤンキーとファンシーの融合」の象徴みたいな商品。
これがウケなきゃおかしいだろう。
世間様は「ちょいワル」が好きなんで、このくらいの割合(8:2)が「ちょうどいいエッセンス」「隠し味」なんだと思います。
ちょいワルは大歓迎だけど、極悪は引くでしょ、皆さん。
極悪が歓迎されるのは「元不良の更正話」の場合だけ。更正後なら世間も受け入れられるんですよねー、極悪を。


音楽ジャンル的にチェッカーズが「ロック」を演るようになったのは86年以降。
音楽プロデュースをしていた芹澤廣明の元を離れてオリジナル曲を演るようになってからですね。
いわゆる音楽的自立というやつ。音楽的自立=ロック性の強化。
それまでの彼らの音楽ジャンルは「歌謡曲」だったから。
このへんでやっと日本の音楽業界に「アイドル性とロック性の両立」が成立する基盤ができたのだと思う。
時代とタイミングが合ったんですよ。
ちょうど吉川晃司もロック性を強めていた頃で、ぼちぼち「バンドブーム」が起こりかけていた。
秋元康おニャン子クラブでアイドル市場を焼け野原にした時期と重なり、「アイドル冬の時代」と言われる「アイドルが受けない時代→これからはロックバンド」に突入した時期に、ちょうどうまく乗った感じ。
とはいっても当時のメインストリームのロックはまだまだ歌謡ロックでしたがね。
時代がまだゴリゴリのロックを受け入れてくれなかったからしょーがない。
というか、「歌謡曲」という大きな流れがロックを飲み込んで、「ロックを歌謡曲流解釈で消化した」のほうが、当時の流れとしては正しいかも。
これにR&Bやヒップホップが飲み込まれて、いわゆる「J−POP」が誕生する。


その後、チェッカーズではメンバーのソロ活動だのバンドの分裂だのFUMIYART(フミヤート)だの暴露本(バクロではなくボウロと発音すべし)だの、いろいろあったが、まあそのへんはこのサイトの主旨ではないのですっとばす。


実は、日本におけるチェッカーズという商品の最大の功績は「アイドル性とロック性の両立」ではなく、従来のヤンキーファッションを駆逐したことにある。
旧来のヤンキースタイルに拘って、チェッカーズ・カットと呼ばれるあのヘアスタイルをものすごく嫌がっていた彼らだが、皮肉なことに、このチェッカーズ・カットが巷に流行したために、それまでのヤンキーのトラディッショナル・ヘアスタイルであるリーゼント、パンチパーマ、アイパー、アフロが撲滅されてしまったのだ。84年のことですね。「ギザギザハート」でデビューしたのは83年だが、ブレイクしたのは84年だから。
ちょうどDCブランドブーム全盛期と重なったっつうのもあるがね。
本当に消えたね。街中のヤンキー達から、リーゼント、パンチパーマ、アイパー、アフロがさ。
BE-BOP-HIGHSCHOOL」(1983-2003)で多少盛り返した感はあったが、BE-BOP-HIGHSCHOOL全盛期の時(1985,6年頃)には既に、ああいった不良スタイルには懐古趣味的要素も入っていた。


ヤンキーも一般人もチェッカーズ・カットに染まったおかげで、ヤンキーが一般人に擬態するようになった。
横浜銀蝿的なもの」はその存在意義がなくなったと言っていい。
チェッカーズのおかげで銀蝿的なセンスはヤンキー界のオールドスクールとなったのであった。

が、今度はミドルスクールに形を変えたヤンキーカルチャーの中で、「チェッカーズ的なもの」が受け継がれていくようになった。
あの水商売界に根強くはびこってる「スダレ前髪」な。あれ、ルーツはチェッカーズだよ。
あと、ヤンキーのコドモの後ろ髪の一部が長いのもな。
後ろ髪の一部が長い、あのヤンキーのコドモに根強いヘアスタイル。
ジャンボ尾崎へのリスペクトだとか弁髪だとかルーツについては諸説あるが、私はチェッカーズ説を推す。
いや、断じてチェッカーズだ。
あのチェッカーズカットはYMOテクノカットを担当していた本多三記夫の手によるものなんですがね。
すげー伝播の仕方をしたものです。


では、スダレ前髪とビミョーに伸びた後ろ髪を、当時の動画でご堪能くださいませ。

チェッカーズ - ギザギザハートの子守唄(1983)
 
 

 

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