前世紀遺跡探訪<80s-バブル終焉>

80年代~バブル文化圏終焉(実質的なバブル崩壊は91年だが、バブルの延長的な空気が即終了したわけではないので90年代前半までとりあえずバブル文化圏と仮定しとく)の音楽や音楽をとりまく事象について、あれこれと。

尾崎豊 - 15の夜(1983)

尾崎豊斉藤由貴の不倫が話題になった時(たしか1991年)、斉藤由貴が記者会見で発した言葉が印象的だった。
「彼と私は同志」。
いや耳を疑いましたよ。90年代になって「同志」って言葉聞くと思わなかったんで。
同志とは、「こころざしを同じくする仲間」「同じ目的のために協力する仲間」って文字通りの意味。元は社会主義用語なんだよね。
日本では当初はイデオロギー関係なく使用されていた言葉だが、社会主義が輸入されてから社会主義用語になっていった。
この言葉の主たる使い手は全共闘世代。つか、学生運動当事者。
80年代に入ってトシちゃんが「ハハハハ、バカだね〜」で一蹴した70年代的「暗く生真面目で重苦しく熱い時代性」の象徴みてーな空気を身に纏った言葉だよ、これ。70年代的なものを忌み嫌った80年代は終ぞ耳にすることがなかった言葉なんで、90年代に入ってメディアでこの言葉用いたのは私の知る限り斉藤由貴だけ。

この「同志」の一言で、両者の関係性が測れたといいますか、まあ簡単に言うとすげーお似合いのカップルだと思いました。
「お似合い」って言っちゃ、尾崎豊の正妻の人とかに申し訳ないか。不倫関係だもんねえ。
でも、ま、お似合いだよ。悪いけど。
尾崎豊って「遅れてきた全共闘」な人だもん、私にとって。
暗く、生真面目で、重苦しく、熱い。
80年代的「存在の耐えられない軽さ」な風潮と逆行するかのように出てきた人。
「くっそまじめ」「常に見えない敵と戦ってる」「ポエム体質」って点が斉藤由貴とすげー似てます。
「YOSHIKI×工藤静香」のカップリングと同じくらい、お似合い。
これ以上のカップリングはないだろう、って感じの。
思わず「ソウルメイト」って胡散臭いスピリチュアル全開用語を発したくなるくらいの。
戸籍的にくっついていたらすっげえ共依存地獄に陥りそうな。



尾崎豊のことを「ヤンキー」という文脈で語りたがる人がたまにいる。
大概、頭でっかち文系男子。リベラルを標榜するインテリが陥りやすい罠だと思う。

尾崎豊と紡木たくとヤンキー文化 - Togetter
紡木たくに言及してるのは後半。「残りを読む」以下に。)

後半からもう目が滑って滑って。
悪いけどリベラルを標榜するインテリ男は少女漫画とヤンキーについて語らんほうがいい。本質からズレる。
理屈っぽすぎて本質からどんどん遠ざかる。
なんでああ「中二病」の一言で簡単に片付くことを、如何にも意味ありげに、理屈っぽく、高尚に、遠まわしに言うかね。いやホントにインテリ頭でっかちさんはヤンキー論に手出さんほうがいいよ。すっごくパンチのきいた勘違いをしてるから。
ここがインテリの人の最大の勘違いだと思うんだが、ガチのヤンキーは立ち位置こそアウトローだがメンタリティは保守だよ。保守反動。
早婚の多産系でお祭り大好きナショナリストで地域密着型タテ社会で上下関係にすっげえうるさい。そんで、基本的に自己肯定的なんだよね。成功・勝利!レッツ・ポジティブシンキング!ってね。自己否定に走るのはむしろ頭でっかちの優等生。
尾崎豊って優等生の脳内武勇伝じゃん。
むろんヤンキーではない。決してヤンキーに支持されてもいない。
どっちかつうと「絶対に校舎の窓ガラス割ったりしないようなおとなしい人」に支持された人。
道を踏み外せない地味で真面目な人の社会不満代弁ソングだもん、あれ。
ていうか、あれは未来に希望があった時代の人間の鬱屈だから。
「バブル景気の恩恵」を受けられない現代の世代は尾崎豊の反抗ソングを必要としない。
いいことなんだか悪いことなんだか、それについては何ともいえないけど。



ただ、尾崎豊という人はガチ中二病ではなく営業用中二病だったのである。
営業的要請があって、あえてショーバイとして中二病をやってたってことね。
なんせ「10代のカリスマ」にされちゃったから。
もちろん高校時代「15の夜」を作った頃はガチ中二病だったんだろう。
でも売れて大人になると、「社会が悪い」「大人は汚い」って主張すんの矛盾が生じてくんじゃん。
もう自分が「大人」で、立派な「社会」の構成員なんだからね。
金稼いでない時に見える「社会」と、金稼ぐようになってから見える「社会」は違うしさ。
宝島社が80年代後半に男性ファッション誌を出したことがある。2,3刊ですぐポシャったけど。
それに尾崎豊のプロデューサーの人(記憶が定かじゃないが、おそらく須藤晃氏か福田信氏だと思う)のロングインタビューが載ってた。
当時、尾崎豊という商品を「仕掛ける」側の人がインタビューに答えるのは非常に珍しかったからよく覚えているんだが。
「青学、自衛隊の親父、もう全ての要素が商品になると思った」
アトミック・カフェで骨折したのはドジだよね。でもおかげで知名度が上がって売れた」
「10代のカリスマで評価が固まっちゃったけど、本人がその虚像との間のギャップに苦しんでるから、今ちょっと休ませてるとこ」
などと語られていて、「尾崎豊」という商品が大変、営業的な要請から作り出されていることがよくわかるインタビューだった。

尾崎豊」と聞くと大半の人が「校舎の窓ガラスを割る」「盗んだバイクで走り出す」を連想する。
コアなファンなら「いや尾崎の歌はそれだけじゃない、そんな青臭い反抗だけが尾崎の世界観じゃないんだ」と言えるだろうが、一般人の尾崎豊のイメージは一番最初に発表したアルバムのイメージで固まったままだ。
20歳過ぎても25歳過ぎてもそれを背負わされるのは本人にも相当な重圧だったんじゃないかと思う。
特定多数の信仰の対象であったことも、だ。


尾崎豊 - 15の夜(1983)



個人的には尾崎豊に何の思い入れもない。
どうでもよかった。
ただ、尾崎を神とあがめる共同幻想を共有することにだけはついていけなかった。
ほんっとーについていけなかった。
尾崎豊を好き」だと他者に向けてアイデンティファイすることは単なる「嗜好の主張」ではなく、既に嗜好を超えた領域に踏み込んだものだったから。簡単に言えば「信仰」だ。
誰が何を信仰しようと個人の自由だから、それ自体はどうでもいい。
が、信仰する者はまるで義務のようにそれを他者に布教し、ともすれば折伏しようとする。
折伏つうかオルグな。全共闘風言い回し。
いやー尾崎オルグ、一時期マジで凄かったねえ。
あの頃オルグしに来た皆様方、期待に応えられなくてごめんなさい。
オルグされればされるほどイヤんなるんで逆効果だよ、と今なら言える。
 
 

 

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