前世紀遺跡探訪<80s-バブル終焉>

80年代~バブル文化圏終焉(実質的なバブル崩壊は91年だが、バブルの延長的な空気が即終了したわけではないので90年代前半までとりあえずバブル文化圏と仮定しとく)の音楽や音楽をとりまく事象について、あれこれと。

小泉今日子 - なんてったってアイドル(1985)

筒井康隆の短編に「おれに関する噂」というのがある。
ごく普通の、一般人の会社員の私生活がいきなりマスメディアの報道の対象になる話。
今日は何を食ったか、何時に退社したか、どの女に何と言って声をかけたか、などのごく普通の日常生活がいちいちメディアを通して実況される。なんで「おれ」の日常生活が衆人環視の対象になるのか。いちいちプライバシーを暴露されるのか。こんなことを実況して誰に何の得があるというのか。理由は「需要があるから供給してるだけ」。これが大衆に消費されて飽きられるまで続く。今のネット炎上社会を予見したかのようなSF不条理ギャグ短編。なんと40年近く前の作品。
                               
  
       
私は芸能人というのは、芸能人でいる限り、この短編に書かれているような不条理が日々続いているのだと思っている。
どの店で見かけただの、誰と一緒だっただの、その店で何を飲食しただの、どーでもいいことがいちいち報道の対象になる。今ならtwitterで実況されるだろう。実況まで行かなくても街ですれ違っただけで、気付かれてヒソヒソ言われたりクスクス笑われたりだのが日常茶飯事。何をやってもどこにいても有象無象の衆人環視に晒されてる状態だ。
そんな状況が日常生活になっていると、ほぼ間違いなく自意識のバランスが狂う。
自意識肥大と自己承認要求の迷宮で病みやすくなるのだ。
だって「人目が怖いけど、人に注目されなくなるのはもっと怖い」という二律背反を抱えてるから。
衆人環視に晒されなくなったら芸能人としての存在価値がなくなるわけだからね。
よく「渋谷で芸能人の○○見かけたけど、ナルっぽくてバカみたいだった。グラサンなんかしちゃって皆に見られてるとか意識しすぎ」などと言ってる人がいるが。そりゃ人目を意識するだろうよ。自分の一挙手一投足がどこで報道や実況の対象になるかわからないんだから。そういう仕事ずっとしてんだから自意識のバランスも狂うよ。ナルがどうこうじゃなくてさ。
 
                                      
 
というわけで「自然体な芸能人」なんて有り得ないと個人的に思ってる。
日常生活が「おれに関する噂」な異常事態で、どうやって「自然体」を保てるのかさっぱり理解できないから。
特にアイドルは。
芸能人というのはキャラクターイメージを売る仕事だ。アイドルはその中でも特に「不特定多数のヒトに愛される要素」を集めて売り出す商品というか商標そのものなので、その商品のキャラクターイメージにそぐわない行動はプライベートでもおいそれと取れない。
だから「自然体なアイドル」というものは存在しなくて、「自然体をウリにしてるので自然体を装っているアイドル」がいるだけだと思ってる。
常に人目を気にしながら「自然体」で居続けることはかなり難しいだろう。毎日が「おれに関する噂」な世界の中で本当に「自然体」でいられるのだとしたら余程のバカか、極端に鈍感か、のどちらかだ。そのどちらでもないとしたら既に「イメージキャラクター演技が素を侵食」してるくらいの大物。田村正和レベルの。
   
   
                                
 
で、小泉今日子だが。
このひとを自然体で好きだという女性が多くてアタマを捻ってる。
どこが自然体なんだかさっぱりわかんね。
「余程のバカ」にも「極端に鈍感」にも「イメージキャラクター演技が素を侵食」にも、このひと該当してないからさあ(たぶん)。
すんごい巧妙に作りこんだイメージキャラクターを演じているひとだと思うのね。商標のイメージから外れること絶対やらないから。
その商標のイメージっていうのが、もう、わたしは苦手で苦手で。
「元気印」で「新人類」で「やりたいことなんでもやっちゃって」「従来のアイドルイメージから逸脱して」「サブカルにも造詣が深く」「オシャレ」「自然体」。
いやーもうでかい釣り針が見えるんだよ。
「自分は普通のアイドルには興味がないんだけど、KYON2は別。この子は面白い」って層を釣ろうっていう、でかい釣り針が。
わかるんですけどね。当時の王道アイドルには松田聖子中森明菜って2大巨頭がデンとすわってて、王道路線でそこに割って入るのは難しかったから邪道路線を画策したってことは。実際、デビューして1年くらいは聖子カットでぶりぶり王道アイドル路線やってたんです小泉今日子。で、泣かず飛ばずだったから差別化図った。髪をショートにして刈り上げたり、奇抜な服装に奔放な言動、「従来のぶりぶりアイドルから逸脱したアイドル(邪道)」って商品イメージを新たに作った。それに見事に嵌ったと。
   
   
   

本人の素のキャラクターがその商標を演じるのに適していたっていうのはデカいでしょう。
松本伊代堀ちえみじゃあのキャラクターは演じきれない。早見優でも石川秀美でもダメ。他のどのアイドルでもあのキャラは無理。
「この子は粘土だから、捏ね方次第でどんな形にもなります」って売り方をした最初のアイドル。
いや、すげーなと思いますよ。思いますけど、あざとくて当時はダメだった。
サリンジャーだのエンデだの語らせんなよ「オサレ読書家」とか無理だって厚木の元ヤンなんだから。あーあざとい。
85年の「活人」とかは特にあざとかったなあ。
いや、秋山道男なんだけどさ。
つか、「KYON2」ってこのひとが手掛けた「商標」なんだけどさ。
たぶん83年頃から小泉今日子を「演出」してたはず、秋山道男
80年代にブランドイメージを手掛けたらハズレなしだったな、この人。
無印良品とかチェッカーズ秋山道男の仕事。
「個人の言動や生き方」まで演出してブランドイメージに仕立て上げる天才。
   
                           
   
「活人」は、その秋山道男が責任編集した雑誌。
もー当時のサブカルの集大成みたいな。
全身を真っ黒に塗った小泉今日子が表紙。
    
                                  


 
                                
    
この雑誌の目玉が、小泉今日子の「人拓」。
セミヌードで全身を墨で塗りたくり、紙に自分の体の形を写しとったやつ。
名付けて「人体測定KYON2 ver.」。
元ネタは言わずと知れたイブ・クラインの「人体測定」(おフランスの60年代パフォーマンスアートでございます)。
小泉今日子という素材をアートとして消費しようという力の入った企画で。
うわあ見えるわ、でかい釣り針が。
「アートとかサブカルとかに興味がある層を釣り上げよう」というでかい釣り針が。
「どうです、この子は普通のアイドルとはちょっと違った面白い子でしょう?こういう楽しみ方もしてみたくなったでしょう?」というでかい釣り針が。
もう勘弁してください〜。
   
      
 
とまあ、小泉今日子というか、「メディアにおけるKYON2」に対しては、複雑な心境だったわけですが。
ていうか、「うわああざとい。釣り針が見える」と思うたびに舌打ちさえしてたわけですが。
小泉今日子がこの曲発表してからは、もうどうでもよくなりました。
              


                         
 
小泉今日子 - なんてったってアイドル(1985)
                             
   
私はギミック。
私はアイコン。
私は素材。
私は偶像。
私は虚像。
  
                       
自分はアイドルで自分はギミックだって、ここまで高らかに宣言されちゃあさー。
「おれに関する噂」のまんまの生活ですけど、それが何か?って内容だもん。
業界人のいいオモチャになってますが、オモチャでいるのは楽しいよってことだもん。
もう認めるしかないじゃない。
つっても、それで小泉今日子に帰依したかというとそういうわけではなくて。
「あざといなあ」と舌打ちするのを止めただけ。
こういう「ギミック初めにありき」ってひとに対してはね、その商標に対する売上にまったく貢献しなくても、「あざといなあ」と感じることが既にその集金システムに乗っかってるも同然だってことがわかったから。
小泉さんはその後も写真集で「ヌードを超えた表現」だとかおっしゃって全身レントゲン写真などを披露してくださって、相変わらずでかい釣り針全開でしたが、もはや何をされても「ああ、そすか」と生暖かく見守れるというか、諦観できるようになったのでした。
    
    
この「なんてったってアイドル」は秋元康の仕事です。
個人的には秋元康の一番評価できる仕事だと思ってる。
しっかし、「ギミックをあえて公開する」って手法を好んで使いたがるひとだなあ、いやホント。
つか、そればっか。
80年代中盤というか、85年という年は、おニャン子クラブがデビューして、アイドルというものの価値基準が大きく変動した記念的な年です。
大きく変動というか、ずばり破壊。アイドルという既成概念の破壊。
小泉今日子みたいなポップ・アイコンもってこられて開き直られちゃ、それまでのアイドルは「過去の遺物」という存在になっちゃうし。
おニャン子クラブみたいなアイドル価格破壊現象起こされちゃ、そのブームが収束したあとは焼け野原でペンペン草も生えないよなー。
 
 
    
    
こういう小泉今日子的な、「私は素材。料理人次第でどんな料理にもなりますから、好きに料理して面白がって。それが私の消費の仕方」ってアイドル、90年代初頭は宮沢りえで、今はきゃりーぱみゅぱみゅだよなあ。
きゃりぱみゅが小泉今日子宮沢りえほどデカいポップ・アイコンとして君臨できるほどの器かどうかは正直まだわかんないんですが。
    
    
後日小泉さんは「ホントはサリンジャー読んでなかった」「あのレントゲン写真は実はまったくの別人のもの」などと、わざわざ仕掛けの種明かしをしてくださったのでした。
それすらもたぶんギミック。
ああ、そすか。
 

 

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