前世紀遺跡探訪<80s-バブル終焉>

80年代~バブル文化圏終焉(実質的なバブル崩壊は91年だが、バブルの延長的な空気が即終了したわけではないので90年代前半までとりあえずバブル文化圏と仮定しとく)の音楽や音楽をとりまく事象について、あれこれと。

横浜銀蝿 - ツッパリHigh School Rock'n Roll 登校編 (1981)

最近のお子さんに多いと話題のキラキラネーム(別名DQNネーム)。
「本気と書いてマジと読む」ようなアレです。
あの漢字の当て字は実は「万葉仮名」と構造は同じだったりする。
漢字は表意文字なのだが、日本人は古代から漢字の本来の意味を無視して音だけ和語に合うように漢字を当てる、ってことをやる民族なんである。和語にテキトーな漢字を当てはめて、それをアレンジしてカナを作り、漢語は漢語でそのまま用いた。が、訓読みは漢語の翻訳だったりするので、和語ってそのへん、かなりいい加減かもしれない。
近代では外来語に当て字が用いられた。「亜米利加(アメリカ)」「珈琲(コーヒー)」「基督(キリスト)」とか。
あのキラキラDQNネームはある意味「万葉仮名の時代からの日本人の習性」だ。
「変わってるけど素敵な名前」と「DQNネーム」の境界線は、おそらくは「命名者の知性・教養」がそこに感じられるか否かが判断基準であろう。知性・教養と一口にいっても明確な線引きは難しいのだが。
文豪・森鴎外の子供たちの名前は、茉莉(まり)、杏奴(あんぬ)、於莵(おっとー)、不律(ふりっつ)、類(るい)と、全部欧米の名前の当て字だったが、これをDQNネームだという人はまずいない。命名者が文豪であるという大前提があるので、イヤでもそこに知性・教養を感じさせるからだ。まあ単なる明治時代の欧米かぶれともいえるがな。

評論家の呉智英はあのキラキラDQNネームを「暴走万葉仮名」(http://www.kanshin.com/diary/1201298)と名付けたそうだ。
呉智英暴走万葉仮名で名付けられた子供は、その子の名前の暴走度が高ければ高いほど偏差値が下がるという「負の相関関係」説を展開しているらしい。
キラキラDQNネームの子は就活で応募してきても採用しないという大企業があると聞いたことがあるが、おそらくは「命名から親の暴走度と家庭環境が伺える」という理由なのだろう。
まあ当たってるとは思いますがね。思いますが。
実は命名権が「親の権利」か「子の権利」かについては、まだ法的な定説がない以上、それを採用基準にしてしまうのはちょっと酷な気がする。命名は所詮、親のエゴに過ぎないからだ。




で、暴走万葉仮名
あれは80年代ヤンキーカルチャー「難解な漢字の当て字」の延長線上にある漢字の利用法だ。
なぜ万葉仮名に「暴走」が付くかというと、直系の先祖がヤンキーカルチャー、特に暴走族カルチャーだからである。
暴走族は日章旗を振り回す。特攻服を着る。難解な漢字による当て字を頻繁に使う。ようするに右傾化だ。
ヤンキーロックバンドの系譜について考えればわかるが、「キャロル」や「クールス」などの1970年代の暴走族カルチャーの影響を強く受けたバンドは難解な漢字の当て字を使わない。特攻服も着ず、革ジャンにリーゼントというアメリカン不良スタイル。
70年代中盤まではヤンキーカルチャーは「洋モノ」だったのだ。
それが1980年代頃からは、日章旗・特攻服・難解な漢字による当て字と、一気に「和モノ」に転じる。
では、なぜ・いつから、暴走族カルチャーは右傾化したのか?
その答えは1978年の道路交通法改正にある。
道路交通法改正により、「集団による暴走行為そのものが違法」となった。ところが、暴走族の集団走行は違法だが、右翼団体として街宣車に乗れば集団走行は「政治活動」になり検挙されないのだった。そんな理由で暴走族の一部が右翼団体に変貌したのである。ヤクザや右翼に抗争のケツ持ち(尻拭い)してもらわないと暴走行為が続けられないという背景も手伝って、右翼政治結社とヤンキーは結びつくこととなった。
あの特攻服の「尊皇愛国」や「七生報国」という刺繍は、元はそういう右翼結社との結びつきから生まれたのである。「難解な漢字の当て字」も、そこが発生源。
ヤンキーと右翼の蜜月状態、それがピークだったのがようするに80年代だったのだ。
 
 
が、如何にヤンキーと右翼が蜜月状態だったとはいえ、本来それはアウトロー文化。
それが一般人にまで波及し、メディアまでがヤンキーをポップカルチャーとして喧伝したのが80年代前期という時代の特異性だ。
ヤンキーをポップカルチャーとして扱った80年代前期の事例は「竹の子族」「ローラー族」「なめ猫」「積み木くずし」「茜さんのお弁当」「刑事ヨロシク」「難解漢字のステッカー」と、枚挙に暇がない。
70年代だったら到底、そこまで一般人にまで波及しません。
80年代になぜそこまでヤンキーカルチャーが一般人に波及したか。
「翻訳家」がいたのだ。
アウトロー文化をポップカルチャーとして翻訳した「翻訳家」が。
それが「横浜銀蝿」である。
 

 
横浜銀蝿、正式名称はTHE CRAZY RIDER 横浜銀蝿 ROLLING SPECIAL。
横浜銀蝿は実はヤンキー(不良)ではなかった。
 
 
銀蝿を元不良だと思ってる一般人の方々は今も多いと思う。
が、銀蝿は不良出身者ではないんだよな。
全員、進学校の出身で大卒だったりする。
嘘だと思ったら横浜銀蝿 - Wikipedia見てごらんなさい。皆さん、高校は結構な進学校だから。ちなみにリーダーの嵐さんは高校時代、生徒会長だ。
高校デビュー」という言葉がありますがね。
あの人らは「大学デビュー」ですらない。
「大卒デビュー」です。
元々、軽音部でバンド組んでた学生バンドの連中が不良のコスプレして出てきただけ。
あれは芸風としての不良。
いわばコスプレ・ヤンキー。
芸能界には「芸能人・元不良部」みたいなヨコのつながりがある。
ブラザーコーンだのとんねるずだのチェッカーズだのRIKACOだのがその構成員ですね。
以前も書いたが、芸能界はヤンキー界と親和性が高い。
「元不良はお互い目を見ればわかる」「お互い昔はヤンチャしてた」などの理由で芸能界内でも元不良同士でつるむ。
が、銀蝿メンバーがその元不良互助会に参加してたのを見たことがない。
何のことは無い、彼らはリアルな元不良でないので、その互助会からハブかれてるのだ。
 
 

 
横浜銀蝿 - ツッパリHigh School Rock'n Roll 登校編 (1981)
 
 
 
徹底してヤンキーの日常生活を謳いあげたのは、本人達が本来ヤンキーじゃなかったからです。
ヤンキーの渦中にいると、ヤンキーの風俗の特異性を笑いものにできないんですよ。
不良カルチャーの渦中にいなかったから、彼らにはその特異性が見えた。
それをポップに翻訳して、謳いあげたわけです。
だからホンモノの不良はあまり横浜銀蝿を支持しなかった。
横浜銀蝿を支持したのは「ツッパリ」をブームとして消費したがったマスコミと、ツッパリを笑い、ツッパリに憧れた一般人達。
真の不良バンドを支持するのは、やっぱし不良だけなんすよ。
当時はアナーキーってヤンキー出身のパンクバンドもいて「亜無亜危異」と表記していたが、あっちはホンモノ。だから支持者も殆ど不良。
銀蝿が一般人に支持されたのは彼らが真の不良ではなく、不良カルチャーの翻訳家だったから。
横浜銀蝿はコスプレ・ヤンキーであり、ヤンキーカルチャーの翻訳家なのである。
 
 
彼らはヤンキーカルチャーをポップカルチャーに翻訳したが、経験則に基づかぬツッパリ、高偏差値の人間がアタマで考えたツッパリには限界がある。
だから銀蝿のコンサートのMCは「説教」。なんせ元生徒会長だから。
ともすれば道を外れそうな銀蝿ファンの若い子達に「人の道・道徳・常識」を説くしかなかったんですよ。「コンサートでは席に座って聴け」とか「ゴミを拾え」とか。
で、杉本哲太や嶋大輔など、「道を外した若い子達」を次々にスカウト。銀蝿ファミリーに加入させて、やったことは「更正」。
銀蝿ファミリーの「ファミリー」のほうの皆さんって、今こぞって真っ当に人生送ってらっしゃるでしょ。
あれは銀蝿が「更正」させたから。
 
 
問題は当人達が芸風としてのツッパリにハマりすぎて更正できなくなったってことですかね。
当人達って言ってもまあ、翔さんだけなんですが。
「アンパンなんてハンパな事やってんじゃねえ」と吠えてた翔さん、 白い粉で何回か捕まってます。
「白い粉はハンパじゃないからいい」ってことなんでしょうか。



愛羅武勇(あいらぶゆう)、 仏恥義理(ぶっちぎり)、 夜露死苦(よろしく)…ああもう、こうやって表記してくと、ホンットーに横浜銀蝿が一般社会に浸透・普及させたものが、キラキラDQNネームこと暴走万葉仮名の直系の先祖だってわかるなあ。

 
 
「世の中の9割はヤンキーとファンシーでできている」と言ったのは根本敬
「ヤンキー市場はこの国最大のマーケット」と言ったのはナンシー関
いやあ、本当に日本人はヤンキーとファンシーが好きだなあと思う。
こうやって80年代カルチャー論書いてると、大半がヤンキーネタとファンシーネタで埋まる。
自分でも驚愕だ。

 

 

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