前世紀遺跡探訪<80s-バブル終焉>

80年代~バブル文化圏終焉(実質的なバブル崩壊は91年だが、バブルの延長的な空気が即終了したわけではないので90年代前半までとりあえずバブル文化圏と仮定しとく)の音楽や音楽をとりまく事象について、あれこれと。

松田聖子 - DANCING SHOES (1985)

松田聖子がこないだ再々婚して話題になったが。
松田聖子がなんかやらかすたびに思うことは「TV局は何で新宿二丁目に取材に行かんのか」である。
そのへんのオバチャンに「聖子ちゃん、また再婚?ええ〜っ」とか言わせる絵を撮って何が楽しい。
「一般人の無難なコメント」を絵に撮るのがTV局の本来の目的なら、私が言ってることはとんでもない的外れなんだが、松田聖子について一般人から面白いコメントをもらいたかったら新宿二丁目に行け。組合員からコメントもらって来い。
おそらく、二丁目の組合員の皆様ほど松田聖子を愛している人々は他にいないだろうから。
組合員は過剰でビッチでタフな女が大好きだ。
時代がどう移り変わっても松田聖子とマドンナと松任谷由実は二丁目で支持されると思う。
 
 
ノンケの女も松田聖子が好きだ。
松田聖子を好き」というより、「松田聖子について語ることが好き」。
もうどんだけ読んだか、聞いたかわかんない。あちこちで。メディア上で、ネット上で、リアルな井戸端会議で、プロ・アマ問わぬ「私が語る松田聖子論」を。
松田聖子は普通の主婦がやりたくてもやれないことをやっているから、あの奔放な生き方に多くの女性が憧れている」などとしたり顔で語る評論家(大概は男性)が多々いるが、フツーの女の多くは別に聖子に憧れてねえと思うがなあ。「憧れてる」というより「面白がってる」に近いような気がする。非芸能人(普通に生きてる一般人)はハナっから「聖子みたいになりたい」なんて思ってないと思うよ。一般常識持って一般社会の枠の中で生きていくには、松田聖子的アプローチの仕方は人生レースの障害にしかならないもん。「ああ生きようとは全く思わないけど、ああいう風な生き方したら面白いだろうね」は「憧れ」とは違う。
だから多くの場合は「松田聖子を好き」なんじゃなくて、「松田聖子について語ることが好き」なんだと思うよ。
松田聖子について語ることが好き」な女は松田聖子のゴシップは追うけど、積極的に聖子のライブやディナーショーに行ったりはしない。
松田聖子」という商品の購買者にはならないのだ。
そこで判別つくじゃん、「松田聖子が好き」なのか「松田聖子について語るのが好き」なのか。
 
 
 
80年代でアイドルといえば松田聖子は絶対に外せない存在なんだけど、上述の通り、もう語り尽くされてんだよ、あちこちで。
松田聖子の軌跡やプロフィールなんかは既に「ある世代以上の日本人の一般常識」だ。
今更わたし如きが語ることは何もないとさえ思う。
というわけで、松田聖子はこのブログではスルーしようと思ってた。が、あ〜1コだけあったわ、聖子ネタで語っときたいことが。と思い出したので、覚え書きとして書いておくことにする。
 
 
それは「松田聖子の全米進出」である。
なんだかんだでもう3回(4回だっけ?)も、「全米進出」してるらしい。
なんでそんなに全米進出したいのか。アメリカかぶれか。郷ひろみの影響か。
いや、おそらくは「よっしゃ、全国制覇はなしとげた。既に日本はワシの掌中にある。次は世界制覇じゃあっ。世界制覇にはまず米国。米国とったら世界とったも同じ!レッツ・ポジティブシンキング!ワシは世界の聖子になる!」という一昔前の番長マンガのようなヤンキーイズムから来てんじゃないかと思ってんですが違いますかね。芸能界ってヤンキー界と親和性高いから。アイドルってヤンキーメンタリティな人のほうが成功しやすいんだよね、もともと。
 
 

で、その全米制覇のとっかかりが1985年の「SOUND OF MY HEART」というアルバムである。
これは世界進出を念頭において制作されたもので、全曲英語歌詞。ビリー・ジョエルを手がけたフィル・ラモーンによってプロデュースされた。
フィル・ラモーン以外にも、マイケル・センベロとか当時の洋楽界では著名な顔ぶれが並ぶ。
時はバブル前夜。日本経済は絶好調。ジャパンマネーをバラまけばここまで豪華な面子を揃えることができたのです。
が、聖子の英語の発音が難アリだったので、米国では発売されなかったのですな。たしか12インチが英国発売に留まったはず。
これがそのシングル・カット「DANCING SHOES」
 

 
松田聖子 - DANCING SHOES (1985)
 
 
なんで英国で発売されたのかよくわかんない。サウンドはUKモノというより、典型的な80年代全米ヒットチャートの踏襲。ジャパンマネーもらったからまあしょうがねえや、やってやるかというフィル・ラモーンのやっつけ仕事。
…キッツイ。
えっと、まず体格面で。華奢というか、米人に比べてあまりにも貧弱だから。
日本女性は若く見えるとよく言われますが、このPVだと単にコドモです。
なんでこの髪型にしたのかわかんないけど、これ、体が小さいのにすっごくアタマ大きく見える。
ダンスパーティで恥ずかしがりやで壁の花になってた私を、王子様が手を差し伸べてくれて…ってPVなんすが、この王子様が結構ショボい。
米国内リア充ヒエラルキーではかなり下位のほうの王子様とお見受けしましたが違いますか(ちなみにリア充ヒエラルキーのトップは学生時代フットボールクォーターバックとかやってたような奴)。「ダンスパーティで壁の花になってる米人女子」を聖子の引き立て役にしなくちゃならないので、かなりビミョーなラインを揃えているのがまたキツイ。
実はこれが独身最後のアルバム。
世界進出を念頭にこのアルバム制作したのに、急な結婚で(神田正輝との初婚ね)それがパーになったから。
 
 
松田聖子の正式な全米デビューは1990年。
1988年のバブル真っ只中、ハードウェア・コンテンツ産業を手中に収めた「世界のソニー」が、今度は文化産業を世界に売るべく、ジャパンマネーで横っ面ひっぱたいて米CBSレコーズを買収。
そのCBSソニーより1990年アルバム「Seiko」で全米デビューしたんですね。
シングル「THE RIGHT COMBINATION」はビルボードで最高位54位にランクインしてる。当時アメリカで人気絶頂だったアイドルグループNEW KIDS ON THE BLOCKのドニー・ウォルバーグとのデュエット曲で、やっと、ここまで。
これだけでも快挙といえるのかもしれないけど。
あと、バックダンサーのアラン・リードと噂になった頃は、まんまマドンナの劣化コピーだったな。91年か92年ごろか。
 
 
 
ポップスやロックの世界は「邦楽よりも洋楽のほうがエライ」。
テレビ離れ、新聞離れ、車離れと、色んなもんから離れてまくっている日本の若者。「若者の洋楽離れ」は前回の「Duran Duran」の項でも指摘したが、如何に若者から洋楽から離れようと、ポップス界・ロック界・ジャズ界・R&B界、ヒップホップ界では依然として洋楽のほうが邦楽よりエライのである。それらの音楽を育んだ土壌が「外国」だからだ。
こういうこと言うと外国コンプレックスだという人がいますがね。
「エライ」つうと語弊があるが、そこで生まれた音楽は、その土地のネイティブが演るのに有利に出来ているのは事実。それは発声だったり声質だったりリズム感だったりセンスだったりと要素はいろいろだが、ああいうジャンルの音楽は白人・黒人が演るのに有利な音楽なので、黄色人種は圧倒的に不利なのだ。
演歌で考えりゃわかる。日本人や韓国人には演歌は有利。土壌に根差した音楽だから。白人や黒人が演歌やるのは、どんなに上手くても不利だ。「日本の(というかアジアの)心」がわからないといわれるから。(黒人演歌歌手ジェロが日本の演歌界で受け入れられたのは「祖母が日本人」だから「日本の心がわかる」という説明が事前にあったことが大きい。)
 
 
もう1つ、これも前回の「Duran Duran」の項で触れたが、「国産モノで間に合うなら、輸入モノにはわざわざ手を出さない」んだよ。
米国や英国はポップスやロックの層がとんでもなく厚く、優秀でクオリティの高い国産モノが大量にある。つまり国産モノだけでも供給過剰なんで、輸入モノ(日本からやってきたポップスシンガー)は別に必要としないのだ。輸入モノにわざわざ手を出す理由が無い。
輸入モノに手を出す場合。それは「国産モノじゃ供給できないものを輸入モノが供給してくれる場合」だけだ。
国産モノよりクオリティが高いか、国産モノより価格が安価か。もしくは国産モノとはまったく違った種類の特性を持っているか。
坂本九YMOはそれで支持された(クオリティが高く、違う特性を持つ)。
 
  
松田聖子は「歌謡曲」を米国に輸出するべきだったと思う。
 
 
松田聖子の声には独特の、大量のフェロモンが含まれてる。それを生かすには「80年代全米ヒットチャートっぽいポップス」や「マドンナの劣化コピー」じゃなくて「歌謡曲」がベストだと私は思うので。そして「歌謡曲」は「米国の国産モノ」とはまったく違った特性を持っていると私は思うので。
ぶりぶりアイドル路線で、ピンクのひらひらドレス着て、年齢不詳で、頭にリボンつけてぬいぐるみ抱いて、松田聖子は「アイドル歌謡曲」を米国に輸出してほしい。
セクシーダイナマイトだとか大人のバラードを歌い上げる歌手なんざ米国にナンボでもいる。が、50歳超えてぶりぶりアイドルやれるのは全世界見渡しても松田聖子しかいない。この特性を売らんでどーするのだ。マドンナの劣化コピーなんかやってどーするのだ。英語なんかで歌わんでいい。日本語で行け。
もちろん「アイドル歌謡を米国に輸出」しても聖子が望むような「全米第1位で世界制覇」みたいなビッグサクセスは無理だろーね。でも一部の好事家やマニアにはたぶん支持されるよ。今のきゃりーぱみゅぱみゅみたいに。
ああいう「日本的カワイイ」を受け入れる土壌が、今のアメリカにはある程度あるから。
80年代は無理だっただろうけど。
まあオタクカルチャーの世界的侵食のおかげなんだけどさ。
 
 
 

日本文化は元々リミックス文化。
海外から輸入したものをアレンジしたり換骨堕胎したりしてずっとやってきたんだからねえ。
私は日本の「歌謡曲」はあらゆる輸入音楽の混血であり、「外来音楽のおいしいところのつまみ食い」に日本の土着性を混ぜたものだと思ってる。
その結果、輸入元と全然別の発達を遂げ、非常にケッタイなものに成長してる。
その最たるものが「アイドル歌謡曲」だ。
テクノ以外の音楽で、日本が世界に「日本独自の特性を持つ商業音楽」として輸出できるとしたらソレくらいなんじゃないの。(別に輸出しなきゃならんもんでもないので、世界制覇だの言い出さなきゃ、こんなことは実際どうでもいいんだが)
でもAKBじゃ輸出役として力不足だと思うので、ここは是非「アイドルのプロ中のプロにして職業・松田聖子」の松田聖子さんにお願いしたいわけです。
わたしがお願いしたところでどうにもならんけどな。
 
 
 
全米進出だとか世界制覇だとか、そういう「ビッグサクセス」を目標としないんだったら。
日本市場だけで勝負しようってんだったら。
欧米バチモンの「J-POP」で特に問題ないと思いますよ。
それで市場の需要と供給が立派に成り立ってんだもん。
受け手と送り手がそれで納得してんだったら、外野がとやかく言う必要ないわな。 
アメリカでビッグになりたい」ってこと自体が極めて80年代的成功概念なのかもしんないし。
あ、現代でも赤西仁がいたか。
てことは80年代的成功概念っていうよりやっぱりヤンキーイズムか。
 
 

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