前世紀遺跡探訪<80s-バブル終焉>

80年代~バブル文化圏終焉(実質的なバブル崩壊は91年だが、バブルの延長的な空気が即終了したわけではないので90年代前半までとりあえずバブル文化圏と仮定しとく)の音楽や音楽をとりまく事象について、あれこれと。

田原俊彦 - ブギ浮ぎI LOVE YOU (1981)

田原俊彦の登場はエポック・メイキングだった。


歌手デビューは1980年。
デビュー曲「哀愁でいと」は、いきなりオリコン初登場8位を記録した。
「デビュー曲が初登場でオリコンベストテン入り」は、今でこそ特筆すべき事柄ではないが当時としては異例のことだった。オリコン史上初だったらしい。売上枚数約72万枚。これも当時としては異例。
つか、アイドル歌謡つーのは、それまではそんな爆発的なセールスを誇るようなものじゃなかったんすよ。
ニューミュージック全盛期だったから。


「歌下手男性アイドル」という80年代特殊ジャンルを確立したのもエポック・メイキング。
厳密に言うと田原俊彦は音痴とはいえないんだけど、「田原俊彦=音痴という概念を既に日本人全員が一般常識として共有してる」状況なので、「歌下手男性アイドル」とカテゴライズして構わないと思う。
70年代女性アイドルには結構歌下手がいたけど、70年代男性アイドルは歌下手じゃ売れなかったと記憶している。記憶力極端に悪いからあんましアテにならんがな。まあそういう意味でも時代を変えた。


もう1つのエポック・メイキングは「男性アイドル永久機関」としての「ジャニーズ帝国」成立の礎を築いたこと。
田原俊彦が歌手デビューするまでのジャニーズ事務所はそんなに巨大な勢力を誇ってたわけじゃなかった。
むしろ弱小事務所と言っていい。なんせ看板スター郷ひろみの移籍に際して、何の圧力もかけられなかったくらいだからねえ。
フォーリーブスの一番売れたシングルでさえ売り上げ枚数17万枚前後。豊川誕や川崎麻世は言うに及ばず。
たのきんトリオの大ブレイクでジャニーズ事務所はやっと低迷期から脱し「男性アイドル永久機関」というぶっとい鉱脈に辿り着いたのである。
あ、たのきんトリオつーのは田原俊彦近藤真彦野村義男の3人からなるアイドルユニットで、ユニット名は3人の名前の最初の1文字を抜粋して組み合わせて作りました。どうですか、このネーミングセンス。いかにもジャニーさんが3分くらい考えて付けました、って感じの。こんだけ考える気ナッシングな適当ネーミングセンスなのに、耳に馴染めば違和感が無くなるから不思議。まさにジャニーズマジック。



低迷してたジャニーズ事務所の救世主だった田原俊彦
ジャニーズ帝国初期の支柱だった田原俊彦
男性アイドルのエポックメイキング的存在だった田原俊彦
なぜ田原俊彦にそれだけの求心力があったのか。
田原の何がそんなに人々に支持されたのか、以前はまったくわからなかった。
今ならわかる。
時代が彼を求めていたのだ。
80年代という時代。
時代の空気が田原俊彦というスーパーアイドルを生んだのだと思う。
ほれ、80年代って軽くて薄くてペラッペラだからさ。
70年代みたいな重くて熱血で深刻な空気は時代が求めてなかったんだよ。
初期トシちゃんは良くも悪くも「すっからかん」。からっからの底なしの明るさがもう、まぶしい。彼とて人の子だから、当時も何も考えてなかったわけじゃないかもしれないが。
とにかく、時代の空気を投影するのに田原俊彦ほどの逸材はいなかった。
トシちゃんは時代の依代となったのだ。



「ブギ浮ぎI LOVE YOU」は1981年に発売された、田原俊彦の4枚目のシングル。
あれっすね、「あは。あは。あはは。田原俊彦れす」という定番のモノマネを世間に浸透させた元凶がこの曲っすね。
いや、すごかったです、この曲。
何が凄いって、もう全てが。
衣装からして変。
ジャニーズの衣装は元々変といえば全部変なんだが、その中でも特筆すべき「変」。
3原色(赤・青・黄)のツナギに、バスをイメージした可愛いポシェット。ボトムが左右で色違いの上、靴も左右で色違い。
とうてい正気とは思えないこのセンス。
ポシェット提げて、スキップして笑いながら出てきて、「あは。あは。あはは」とすっからかんに笑いながら、カラカラ頭振って、あの声で一言。
「バカだね〜」。
いやもう「バカの国からバカを広めにやってきた人」みたいなことになってて。
「トシちゃん=音痴&バカ」というパブリックイメージはこれで定着したと言っていい。
この「あはははは、バカだね〜」は更にモノマネによって拡大再生産され、その実体以上に「音痴&バカ」として誇張されて人々の記憶に刻み込まれた。
初期田原俊彦を語る上での最重要曲はこの「ブギ浮ぎI LOVE YOU」と言っていい。
 
 


 

 

  
  
 



田原俊彦 - ブギ浮ぎI LOVE YOU(1981)

  
  
トシちゃんと時代のシンクロは更に続く。
1980年代後半から90年代初頭にかけて日本はバブル期に突入。
現状から考えると信じられないぐらいすごい勢いで日本中に金が回っていた。
給料も物価もあがる一方、景気は常に上向きで「今より悪くなること」なんて殆ど誰も考え付かなかった。テレビや雑誌が提唱する「理想的なライフスタイルのあり方」に疑いも持たず追従する人多数。高額なものほど価値があると考えられ、ぼったくりブランド物が飛ぶように売れた。
みんなが金に浮かれていた。
まあ狂ってたんですな。
トシちゃんをとりまく空気も狂ってた。
トシちゃんはバブル期に「俺様キャラ」を確立。
「抱かれたい男No.1」に君臨。
これが数年間続く(抱かれたい男No.1のV3達成)んだから、当時の磁場が狂ってたとしか言いようがない。
とにかく、時代がトシちゃんを求めていたんだろう。バブル文化圏終焉までは。


1994年にジャニーズ事務所から独立、長女誕生記者会見での「ビッグ発言」、この2つで人気急落したってことになってるが。
それもある、というか実際はそれが大きいのだろうが、一番の原因は「時代に求められなくなったから」って気がしてならない。
1989年からシングル売上枚数は下落、1991年には3.1万枚まで落ちていた。…バンドブームのせいなんですけどね。猫も杓子もバンドバンド(これはこれで異常事態だが)で、アイドルの売上枚数激減した冬の時代。
俳優業にシフトして、それなりに業績上げてたように思われがちだが、俳優としても実は教師びんびん物語II(1989年)が頂点。
日本一のカッ飛び男(1990年)逃亡者(1992年)とか、色々やってたけど、「びんびん」ほどヒットしたわけではなく、「トシちゃん転落」への道は、じわじわ、じわじわと、ゆるやかに、そのレールがひかれていたように思う。
ある日突然、超人気者から超嫌われ者になったわけじゃなく、そうなる準備は徐々に、徐々にされていて、ある日いきなり飽和状態に達して引き金が弾かれたような感じ。その引き金を引いたのが「ジャニーズ事務所から独立」、「ビッグ発言」の2つだったのだと思う。
時代に見込まれすぎて、時代と心中しちゃったんだよ。
トシちゃんは80年代の申し子で、バブルとシンクロしすぎた。
バブル崩壊後の日本の空気は、それまでの「トシちゃん的なもの」をもはや必要としなくなっていた。


人気急落といってもまったく業界から干されてたわけではなくて。
95、96年に「笑っていいとも!」のレギュラーになったり、99年に「びんびん」のSPがあったりと、それなりの「返り咲き」のチャンスは用意されていた。返り咲きのチャンスも用意されないまま消えてく人も少なくないから、これはかなり恵まれているほう。にもかかわらずそのチャンスをモノに出来なかったのは、やはり「時代に必要とされなくなった」からだと思うんだよ。

今後はわかんないけどね。
震災・原発格差社会と、負のカードが揃いまくってる2012年現在、トシちゃんのあのからっからの底なしの明るさが、また時代から必要とされるようになるかもしれない。



あ、Youtubeのトシ動画見て思ったんですが、歌は売れなくなってからのほうが上手いですね。
ただまあ私はトシちゃんには「音痴のトシちゃん」でいてほしいですよ。
「音痴のトシちゃん」はホントに愛すべき存在だと思うから。


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