前世紀遺跡探訪<80s-バブル終焉>

80年代~バブル文化圏終焉(実質的なバブル崩壊は91年だが、バブルの延長的な空気が即終了したわけではないので90年代前半までとりあえずバブル文化圏と仮定しとく)の音楽や音楽をとりまく事象について、あれこれと。

田原俊彦と1980年代という時代 はじめに。

Youtubeなどで80年代某ロック歌手の音源を聴くと結構驚く。
いやあ、今聞くとなかなか壊滅的な歌唱力で。
実も蓋も無い言い方すると「音痴」。
不思議と80年代当時はその人を音痴だという人はいなかった。
自分も特に、当時その人を音痴だと思った記憶が無い。
これはひとえに田原俊彦の功績と思われる。
最初に田原俊彦が歌手としてデビューした時、「ここまで壊滅的な音痴が歌手を名乗ることが許されるのか」と神に答えを仰ぎたいくらい音痴だった。が、80年代初頭のアイドルブームで音痴が歌手を名乗ることに慣れちまったんだよ、日本人は(テーブルをドン!!と叩きつつ)。
テレビからラジオからレコードから、日々垂れ流される音痴歌手の歌声。
音痴に慣れ親しんだ我々の耳は確実に麻痺してたってことさ。
音痴を音痴と思わなくなっちまったんだよ(テーブルをドン!!ドン!!と叩いた後、大きなため息)。
というわけで長島ナオト(あっ言っちゃった)は田原俊彦に感謝しておくように。
80年代にキミが音痴と断罪されなかったのは田原俊彦が下地を作っておいてくれたおかげだ。


「80年代男性アイドル=音痴」「音痴が歌手を名乗っていい」「つか、歌手が音痴って別に普通じゃね?」という壮大なる下地を築き、日本歌謡界における歌唱力の敷居をドン底まで下げた英雄・田原俊彦
どんだけ音痴か、その音痴っぷりを盛大に楽しませていただこうとYoutubeでトシ動画巡りを開始したのだが。あり?思ってたほど音痴じゃないや。いや音痴は音痴なんだけどさ。期待してたようなジャイアンリサイタル並の破壊力はないっつうか。
音痴つうより音域が極端に狭いんだな。
んで、発声がなんか変なんだよ。どこが変とか上手く言えないんだけど。声質かなあ。滑舌かなあ。
むしろ音程は狂ってないの。
う〜む、「田原俊彦=音痴」という前提がいきなり覆されてしまった。
「誇張されたモノマネ」のせいで記憶がかなり改竄されていたんだな。
あの頭カラッカラに振って、据わらぬ首で「アハッアハッアハッ!田原俊彦れす」ってモノマネされてる例のやつね。
なんでこんなに「田原俊彦=音痴&バカ」という刷り込みがされてるかっていうと、あの定番のモノマネが原因。
なんでそんなモノマネが定番になったかというと、たぶん「ブギ浮ぎ I LOVE YOU」という曲が原因。
と、どんどんトシ動画を漁ってるうちに、あらやだわ、なんだかトシちゃんが好きになってきちゃったわ。
いやもうトシちゃんに夢中です。あまりにもラブリーすぎて。ようつべでトシ動画ばかり見てきたらだんだん80年代という時代の異常性がみえてきますた(うそ)

80年代という時代。
それは大学がレジャーランドになった時代。
バブルがはじまった時代。
70年代的なものをすべて「ダサい」の一言で駆逐してきた時代。
熱かったり真面目だったり暗かったりするものを足蹴にし、如何にフットワークを軽くするかを「真面目に」競ってた時代。
ま、よーするに「軽い」んだよ。
「軽い」というより、「軽くあるため」に「皆が頑張ってた」の。
軽くて薄くてペラッペラ。
「存在の耐えられない軽さ」を時代が要求してたんだよ。



トシちゃんは、そんな80年代という時代に望まれて人々の支持を得て、バブルとともに頂点に立った。そして、時代と心中しちゃったのです。
「ビッグ発言」がどうこうじゃなく。


というわけで80年代〜バブル文化圏終焉(実質的なバブル崩壊は91年だが、バブルの延長的な空気が即終了したわけではないので90年代前半までとりあえずバブル文化圏と仮定しとく)の音楽や音楽をとりまく事象について、あれこれ書いていこうと思ってます。
そういうブログです。



成長因子 育毛剤